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かき氷がすごく好きです

今から6年前。
新宿の追分だんごで食べたいちごのかき氷がきっかけだった。
祭の「カップかき氷」とは明らかに異なる柔らかな氷のたたずまい。
胸をときめかせた。

会う友達会う友達に、かき氷の美味しさを熱く語った。
「湘南にすごいところがある」「長瀞は行ったか」と2人の食通が情報をくれた。

どちらも、ずいぶん遠いなと思った。
ある晴れた日、日帰り旅行がてら湘南を訪れた。埜庵という店だった。角を曲がると見えた長い長い行列に驚き、その日は諦めてしまった。
別の日にもう一度行った。
いちごのかき氷を食べた。こんもりと愛らしい氷に、ひとさじスプーンを差し込み口に運ぶ。さわさわと風が吹いたようにいちごの爽やかな酸味と優しい甘さが鼻を抜けていった。
夢中でむさぼった。
帰りがけ、朗らかな店主さんが笑顔で「お待たせして申し訳ありません」と言ってくれた。
こちらこそ。
お礼を言いたかった。
こんな美味しい食べ物を食べさせてくれてありがとう。恥ずかしかったので、心の中にしまった。

長瀞に行った。阿左美冷蔵には開店1時間前に着いた。すでに長蛇の列で、かき氷にありついたのは2時間後だった。シロップは控えめで氷の美味しい店だなと思った。

そこからは熱病のようにかき氷を食べあさった。
埜庵を超える店はなかった。
夏が終わり、かき氷はどこも販売をやめてしまった。近場では青山の京はやしやというところが通年でかき氷をやっていたので、時々、楽しんでいた。

冬に埜庵に行った。
ほとんど満席だった。キャラメルみるくを食べた。「お好みで」と塩胡椒がついてきた。ほろ苦くいままで食べたことのない味に、また夢中でむさぼった。もう一杯食べたいとお代わりした。

その頃、かき氷の情報は「トーキョーウジキントキ」というブログくらいしか見つけられなかった。
ある時、蒼井優さんが『Casa BRUTS』という雑誌でかき氷の連載をしているのを知った。仲間がいる。嬉しくなった。毎月楽しみに読んだ。
本になった時、小脇に抱え、東京、岐阜や京都の店を回った。
台湾、ベトナム、マレーシア、ハワイ…かき氷を求めて海外にも行った。

季節限定で下北沢の大山茶寮がかき氷を出していた。クリスマスに何時間も並んで食べた。ひみつ堂三日月氷菓ができ、通年営業の店が増えた。かぼちゃのかき氷、エスプーマのかき氷…毎年毎年新しいブームができる。と思えば、なくなってしまったかき氷専業店もあった。

冬に雪が降ると「店が空いてる」と、嬉々として服を着込み、埜庵や慈げんに行った。一口一口、泣くような感動を感じて、何杯も食べ、震えながら電車に乗った。

かき氷のイベントや、かき氷の本も出版された。
そんな時、ある本で「ゴーラー」という言葉を目にした。かき氷マニアをそう呼ぶらしい。浮ついたイヤな呼び名だなと思った。

冬にかき氷を食べる。かき氷を2杯食べる。かき氷を熱く語る。
いつも、ひとの目は恐ろしく冷たかった。変人扱いされた。付き合ってくれる人もあまりいなかったので、一人で食べ続けた。

そんなかき氷への熱病を「ゴーラー」という軽々しい呼び名に押し込められるのかと思うとやりきれない気持ちになった。まるでブームに乗っている人として辱めを受けている気持ちになった。
やめてくれ! パンケーキやポップコーンと一緒にしないでくれ!!
かき氷は日本の文化なんだ。かき氷はロマンなんだ。日本のかき氷はきっといつか世界を席巻する。
そう心で叫びながら、今日も一人静かにかき氷を食べている。