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たまに全てを手放していいやって思うことがある

人に恵まれてきた人生だと思う。

家族に友達、学内の人間関係、バイト先、関わるコミュニティ
人間関係で苦しんだ経験は人よりだいぶ少ないように感じる。

だからなのか分からないけど、別に誰でもいいやって思う癖がある。

元々人に対する執着が持続することはあまり無くて、友達に対しても引き止めようとか、離れたくないと思ったことがない。
一生関わりたいと思っていた人への想いも、ある瞬間を境にストンと胸から落ちて離れた。

大事だと思っていた人への「その人でなければ」って言う想いがなくなっていることに気づくときは、悲しい気がする。
悲しいと思いたい自分がいるだけな気もする。


別にそれに対して病むことも、ない。
そんな自分が嫌いかって問われたら、好きではないけど別に嫌いでもない。

「別に」「そんなに」「どうでもいい」
そんな口癖があることに気づく。
口に出しているかは分からないけど、ほとんどの人に対して、出来事に対してそんなふうに思っていることは確かだ。


泣いている人、苦しそうな人を前に冷めている自分。

数年後には、今そばにいる人のほとんどがいないんだろうなって思うとき、それを悲しいとか寂しいとか思わない自分に、そんなもんだよねって思う。
信じることができないとか、さらけ出せないとかじゃなくて、別に他の人でもいいかなって思えちゃう、その感覚。


中学生のあのとき、みんながなんで泣いてるのか分からなかった。
感動とかで泣く人の気持ちがわからなかった。

てか今もわからない。


表情が豊かだと言われるようになった。
自然体なみのが好きだと言われるようになった。

嬉しい。
作ってるつもりも偽ってるつもりもないから、そんな自分に対していい印象を持ってくれる人がいることは嬉しい。

でもいつもどこか冷めてる自分は、豊かなんだろうかって思うことはある。

ネガティブは危機察知能力とか、本来生き物全てが持っている本能の部分らしい。
あるのが当たり前らしい。
自分にとっての危機とは何なんだろう。


こんなことを書きながら、実際別にどうでもよくて、今この人たちといる時間が楽しいならいいやって、そんな程度。

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