普通であることにこだわる僕3
前の記事では父と母に触れたが、今回はその生活に触れてみようと思う。
父はとにかく自分至上主義で、末っ子が甘やかされるだけ甘やかされ正しい教育を受けないまま大人になったモンスターだった。
記事1でも書いたことだが、父は基本的に寝ている。ひたすら寝ている。
で、起きたと思うと「コカ・コーラを買ってこい」と言う。
ここで母がコカ・コーラより安いペプシコーラを買ってくると烈火のごとく怒り出す。怒り出す、というかもはや手が付けられないくらい暴れ出す。
「日清のカップヌードル買ってこい」と言われ金がないので安いカップラーメンを買っていくと、また烈火のごとく怒り出す。
一応言っておくがこの男、無職である。
無職のくせに自分の食べるものにはブランド指定をして来るのだ。
これ、ブランドに拘っているならそれはそれでまだいい。
問題は他人のものになると無頓着な事だ。
僕が小学生2年生位の頃、たまごっちが大ブームになった。
欲しくても中々手に入らないあの時代に無職の父が「たまごっち買ってきてやる」と出かけた。
買ってきたのがコレだ。
ラクラクダイノくん。
紛うことなきパチモンだ。
これを俺と妹の分とで2個買ってきた。
コカ・コーラの代わりにペプシを飲まされるとキレる男がたまごっちの代わりに買ってきたのがコレだ。
ちなみにこの男、これだけじゃなく
僕が小学五年生の時にはキックボードが流行った。
移動手段はみんなキックボード、みたいな感じで結構誰もが持っていた。
親父はここでもキックボードのパチモンを買ってきた。
ハンドルが牛の角みたいに曲がってることからモーモーキックとバカにされたのを覚えてる。
ここまで話すとあたおかな父親の唯一の父親らしいエピソード、となるわけだが僕に子供が生まれて2歳くらいになった時に「誕生日何が欲しい?」と聞かれたので「ストライダー」と答えたら、やっぱりストライダーのパチモンを買ってきた。
父親からしたらどれも一緒だけど、自分が使うものは本物じゃなければ嫌だ。と言った感じであろうか、とにかくこのような経験のせいか僕は偽物よりも本物を追い求める性分に成長してしまい、大人になった今でも「普通の人は本物を持っている」と考えているので、本物にこだわってしまうのだ。
と、ここまで書いて思い出したことがある。
父親が子供の頃の話だ。
当時父親が小学生の頃に「象が踏んでも壊れない筆箱」が大流行したらしい。
ゆとり世代の俺からしたら人生でゾウに筆箱が踏まれるシーンなど有り得るわけが無いのでそんな筆箱の何がそこまで人気なのかよく分からないが、親父はこの筆箱が欲しくて欲しくて堪らなくて母親(僕の祖母)に、頼み込んで象が踏んでも壊れない筆箱を買ってもらったそうだ。
父親はその筆箱を学校に持って行ってみんなに自慢したらしい。
誰もまだその筆箱を持ってなかったことから、父親は一躍ヒーローのように扱われたそうだ。
そんな中、1人の友人が「踏んでみよう、象が踏んでも壊れないんだ!」と父親の筆箱を踏んだらしい。
バキッと壊れたらしい。
どうやら偽物を掴まされたようで、父親はそれが悔しくて悔しくて仕方がなかった、と、後から聞いた。
なるほど、そのトラウマがあるから大人になった今本物に拘っているのかもしれない。
そう考えると、父親には情状酌量の余地が
あるわけがない。はたらけ。
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