1時間で読める 森鴎外『舞姫』全訳 現代口語訳(令和版)

森鴎外『舞姫』を現代口語訳したので公開します。翻訳にあたり目標としたのは、小説として読める文章であること。1890年(明治23年)に発表された『舞姫』が日本文学の近代化において代表的な作品であることを感じてもらえたら幸いです。
おまけで、原文にはない章分けを設けました。翻訳文は、今後、こそっと全体を見直してちょこちょこ修正すると思います。また、注解をつけた版を鋭意作成中です(と、書いたのですが、まだまだ先になりそう)。

本文の初投稿2020年8月21日。
【最新更新歴】
2023年11月10日 訳文見直し。「頼みの胸中の鏡は曇ってしまった」→「頼みの胸中の鏡は曇ってしまう」


はじめに

この訳では以下の方針をとっています。
【翻訳方針】
1. 直訳しない。読みやすく語順を変え、長い文は複数の文に分ける。
2. 訳し過ぎない。解釈の押し付けにならないよう、意味が曖昧な言葉でも残す。(例 恨み)
3. 固有名詞やカタカナ語は基本的にそのままとして、明治時代の作品の雰囲気を残す。ただし、現在は使われないカタカナは置き換える(例「ヰ」→「ヴィ」)
4. 発音を漢字に当てはめた漢字表記の国名はカタカナに置き換える。
5. 原文にない独自の説明や解釈を翻訳文に付け加えて読者の理解を特定の方向に誘導したり解釈の幅を狭めることはしない。

主な登場人物


太田 豊太郎(おおた とよたろう)
 男。主人公
エリス・ワイゲルト(えりす わいげると)
 女。主人公がベルリンで出会った少女
相沢 謙吉(あいざわ けんきち)
 主人公の大学時代の友人。天方伯の秘書
天方(あまがた)
 日本の大臣で伯爵。小説内では様々に表記されています。「天方伯」「天方大臣」さらに単に「伯」「大臣」もあります。

分かりにくい言葉

寸(すん)
 尺貫法による長さの単位のひとつで、1寸は約3.03cm
恨み(うらみ)
 「他人をうらむ」の意味だけでなく、「思い通りにならず不満に思う」「残念に思う」の意味も含む。
嘲(あざけ)る
 笑ったり悪口を言って人を馬鹿にする
猜疑(さいぎ)
 人の言動に対し、何か隠しているのかも裏があるのかもと勘ぐって疑うこと
諫(いさ)める
 (主に目上に対して)悪いところを指摘して改めるように忠告すること
レエべマン
 ドイツ語で、遊び人、道楽者のこと。【補足】ここで登場するレエべマンを男娼とみなす俗説があるが根拠に乏しい。レエべマンが登場する箇所の直前に言及されている女性が娼婦と思われるので対として男娼のはずとの憶測のみ(ちくま文庫『現代語訳 舞姫』井上靖 訳、21頁の注釈が男娼説)。しかし、当時の珈琲店は現在と違い社交の場でもあり、ビリヤード台が設置された店があったことなどからすれば道楽者とみなすのが自然な解釈。

翻訳本文はここからです

では、本文スタート!(注 章立ては原文にはない独自のものです)

1. 帰国


石炭の積み込みがもう終わった。中等室のつくえのまわりはとても静かで、熾熱灯しねつとうの晴れやかな光は、むなしく無駄になっている。それというのも、夜になるといつも集まる骨牌かるた仲間が今夜は「ホテル」に泊まり、船に残っているのは自分一人だけだからだ。
あれは五年前のことだ。日頃からの希望がかない洋行の官命が下り、このセイゴンの港にやって来た。目にするもの、耳にするもの、なにもかもが新鮮だった。勢いにまかせて紀行文を書いたが、毎日どれだけたくさんの言葉を連ねたことか。それが当時の新聞に載り、世間でもてはやされた。今になって思うと、ものを見る目は幼稚で、身のほど知らずの言いたい放題、その上、どうということのない動植物や鉱石、さらには風俗までをも、もの珍しげに書いてしまった。心ある人たちはそれを読んでどう思ったことだろう。
今回はどうだ。帰国の途上に日記でも書こうと思って買っておいた冊子は、いまだに白紙のままだ。これは、ドイツで物を学んでいるうちに、一種の「ニル、アドミラリイ」の気性が身に付いたためだろうか。いや、違う。理由は別にある。
確かに、東に帰る今の自分は、西へ向かったときの昔の自分とは違う。学問についてはいまだ学び足りてはいない。だが、この世がうつろいやすいことを知った。人の心が頼りにならないことは今さら言うまでもないが、自分が、自分の心でさえもが、変わりやすいものだということが良く分かった。昨日は良しとしたことを今日は良しとしないとする瞬間の感触を書いたところでいったい誰に見せるというのか。これが、日記を書かない理由だ。いや、違う。理由は別にある。
ああ、ブリンヂィシイの港を出てから、早くも20日あまりがたった。普通なら初対面の船客とも交流をして旅の憂さを慰めあうのが航海のならわしだ。なのに、体調がすぐれないことを理由に船室に閉じこもり、同行の人たちともあまり言葉を交わしていない。それというのも、誰も知らない深い恨みに頭を悩ませているからだ。この恨みは初めは一抹の雲のように心をかすめ、そのせいで、スイスの山景色が目に入らず、イタリアの遺跡に心をとどめもしなかった。中頃になると、世の中に嫌気がさし、自分の身をはかなみ、内臓が日に何度もひっくりかえるようなひどい痛みを感じた。今は、心の奥に凝り固まり、一点の影だけとなっている。だが、ふみを読むたびに、物を見るたびに、鏡に映る影や声に応じる響きのように懐かしむ気持ちが際限なく呼び起こされ、何度となく私の心を苦しめる。
ああ、どうすればこの恨みを消せるのか。もし他の恨みだったら、詩にしたり、歌に詠めば、そのあとはすがすがしい心地になるだろう。この恨みはあまりに心の奥深くに刻み込まれているので無駄かもしれないが、今夜はあたりに人もおらず、ボーイが来て電気を消されるまで時間もあるし、さて、その概略を書いてみることにしよう。

2.洋行


私は幼き頃より家で厳しくしつけられ教えを受けていたので、父を早くに亡くしても、学問をおろそかにして怠ることはしなかった。旧藩の学館にいた頃も、東京に出て大学予備校に通っていたときも、大学法学部に入った後も、太田豊太郎の名は同級のなかでつねに先頭に記され、首席を占めていた。そのことが、一人っ子な私を心の支えにして生きていた母の心を慰めていたようだ。十九の歳には学士の称号を得て大学を卒業した。大学創立以来初めての名誉だと人に言われた。某省の官職に就き、故郷の母を東京に呼び迎えた。楽しき日々が三年を過ぎた頃、官長からの評価が格別に高かった私は、洋行して一課の事務を調査してこいとの命令を受けた。今こそ出世し家を興す機会だと思う心が勇み立ち、五十を越える母との別れだというのにそれほど悲しむことなく遠く家を離れ、そして、ベルリンの都に着いた。
まだぼんやりとした功名心と、厳しく慎むことに慣れた自制力を携えて、たちまちこのヨオロッパの新大都の中央に立った。一体なんだ、目を射ようとする鮮やかで美しいこの光は。一体なんだ、心を惑わそうとするこの色使いは。広くまっすぐな大通りの「ウンテル・デン・リンデン」は、訳せば「菩提樹の下」なので、奥深く物静かなところのように思える。ところが、両側の石畳の歩道を見れば、何組もの男女が連れだって歩いているではないか。まだウィルヘルム一世が窓から街を眺めておられた頃なので、さまざまな色で飾った礼装をして胸を張り肩を高くした士官がいた。パリの流行をまねて化粧をし着飾っている顔立ちの整った少女がいた。どれもこれも目を驚かさないではいられなかった。車道のアスファルトの上を音もさせずに走る様々な馬車。雲にそびえる高い建物が少しとぎれたところには、晴れた空に夕立のような音をさせて勢いよく落ちる噴水。遠くを眺めれば、ブランデンブルク門が緑樹を隔て、交差した枝の間からは中空に浮かぶ凱旋塔の女神像。これらの景観がごく近くに集まっているので、初めてここに来た者なら当然、次から次へと目を奪われてしまう。だが、私の胸には、どんな場所を訪れたとしても無用な美観に心を動かされはしないとの誓いがあったので、常に襲いかかる外物がいぶつを遮り留めていた。
呼び鈴のひもを引き鳴らし、面会の取り次ぎを求めた。国からの紹介状を見せ、東の国から来た理由を告げた。相手をしてくれたプロシア官員は、みな快く私を迎えてくれた。公使館からの手続きが何事もなく済めばどんなことでも教えるし伝えもすると約束をしてくれた。嬉しかったのは、日本でドイツ語とフランス語を学んだことだ。彼らはみな、初めて私と会ったときには、いつどこでそれほど学んだのかと質問をしたものだった。
それから、仕事の暇があるたびに、かねてより国には許しを得ていたことだが、この地の大学に入って政治学を修めようと聴講の手続きを進めた。
ひと月ふた月過ぎた頃、公務の打ち合わせが済んで、調査も次第にはかどってきた。急ぎの報告書は作って送った。そうでないものは写しをとり、ついには何冊にもなった。大学の方は、政治家になることに特化した科目があるものと稚拙な考えで期待していたのだが、そのような科目はありはしなかった。あれこれと迷ったあげく、代わりに、二、三の法律学者の講義を受けることに決めて、受講料を納め、行って聴講した。

3.まことの我


こうして夢のような三年が過ぎた。時が来れば包み隠そうとしても隠しきれないのが人の性向だろう。父の遺言を守り、母の教えに従い、人から神童だと褒められるのが嬉しくて怠らずに学んでいた時から始まり、官長に良い働き手を得たと励まされることに喜んで、たゆみなく勤めていたときにいたるまで、ただ受動的、器械的な人間だった。そのことにずっと気がつかずにいた。だが、二十五才にもなり、この自由な大学の風にもかなり長くあたっていたので、心の中はなんとなく穏やかではなくなり、奥深くに潜むまことの我が次第に表に出てきて、昨日までの自分は自分ではないと攻めるかのようだった。私には、今の世に活躍する政治家は向いていない、それに、よく法典をそらんじて判決を下す法律家も相応しくない、そう悟った。ひそかに思っていたことだが、母は自分を生きた辞書にしようとしていたのではないか、官長は自分を生きた法律にしようとしていたのではないか。辞書ならば堪えることはできても、法律には我慢ならなかった。それまでなら官長からの些細な質問にもきわめて丁寧に返事をしていたが、この頃は、官長に送る手紙において、しきりに法制の細目にとらわれるべきではないと論じ、ひとたび法の精神を理解すればゴタゴタとした複雑なことの全てが竹を割ったようにすっきりと分かるようになると大口をたたいた。また、大学では、法律の講義をおろそかにして、歴史文学に興味を持ち、面白味がわかり始めていた。
官長はもともと自分の自由にできる器械を作りたかったのだろう。自分の考えを持ち、人とは違う面持ちをした男を喜ぶはずがない。そんなことをして、危うくなるのは自分の地位だ。それだけなら、まだ地位を失うことになったりはしない。だが、ベルリンにいる留学生たちのなかで勢力のある一群が私との関係が良くなく、その連中は私を猜疑さいぎして、ついには事実を曲げてありもしないことで私のことを悪く言い、私を陥れた。だがそうなるのも、理由がないことはない。
私が一緒になってビールを飲まず、ビリヤードのキューも取らないことを、かたくなな心と自制心のせいだと連中は思い、一方ではあざけり、一方ではねたんだ。そう思うのは私を知らないからだ。ああ、その頃の自分にだって分かっていなかったことが、他人に分かるものか。私の心は、あの合歓ねむという木の葉に似て、触れれば縮んで避けようとする。私の心は処女おとめのようだ。幼い頃から年長者の教えを守り、学びの道をたどり、官職への道を歩んだのも、勇気があってしたことではない。忍耐強く勉強していたようにみえたのも、みな、自分を欺き、他人までをも欺いたのであって、人がたどらせようとした道をただひたすらにたどってきただけに過ぎない。他に気をとられて心を乱すことがなかったのは、外物がいぶつを捨ててかえりみないほどの勇気を持っていたからではない。ただ、外物がいぶつを恐れて自分の手足を縛っていたからだ。故郷を離れる前は、自分が才能ある前途有望な人物であるとの思いに何ら疑いをもたず、また、自分の心は忍耐強いと信じきっていた。ああ、そう思っていられたのは、しばらくの間でしかなかった。船が横浜を離れるまでは見事な豪傑だと思っていたのに、止まることのない涙にハンカチを濡らし怪しいと思いはしたが、むしろこれが本性だったのだ。この心は生まれながらに持っていたのだろうか、あるいは、早くに父を亡くし母の手に育てられたために生じたのだろうか。
そんなだから、あの連中があざけるのは分かる。だが、ねたむのは愚かなことだ。この弱く不憫な心を。
赤く白く化粧をし、輝いた色の服を着て、珈琲店カッフェエに座り、客引きをする女を見ても、その女のところへ行き、触れあう勇気はなかった。高い帽子をかぶり、眼鏡に鼻をはさませて、プロシアの貴族らしく鼻にかかった声で話すレエベマンを見ても、その者のところへ行き、遊ぶ勇気はなかった。これらの勇気がなければ、例の活発な同郷の連中との交流はできない。付き合いの悪さから、あの連中はただ私をあざけねたむだけでなく、その上さらに私に対して猜疑心さいぎしんを抱いた。そのせいで、無実の罪を負い、わずかな間に、はかりしれない苦しみを味わい尽すこととなった。

4.出会い


ある日の夕暮れ、獣苑をあてもなくぶらぶら歩いていた。それから、モンビシュウ街にある下宿に帰ろうと、ウンテル・デン・リンデンを通り、クロステル街にある古い寺院の前に来た。あの灯火の海を渡り、この狭く薄暗い通りに入ったのだ。寺院の向かいに見えるのは、屋上の手すりに敷布や肌着などが干したままでまだ取り込んでいない人家、ほほひげが長いユダヤ教徒の老翁が戸の前にたたずむ居酒屋、階段の一つが直に建物の高層まで届き他の階段が地下に住む鍛治屋へと通じる貸家。凹字の形に引っ込んで建てられた三百年前の遺跡であるこの寺院を眺めるたびに、心は恍惚となった。そうしてしばしばたたずむことは何度あったか分からない。
この場所をまさに通り過ぎようとしたとき、閉ざされた寺院の門扉に寄りかかり声を呑みつつ泣いている一人の少女が目に入った。歳は十六、七。頭にかぶった布からはみ出してみえる髪は、薄い黄金色をしていた。着ている服は垢がついて汚れているようには見えない。私の足音に驚いて振り向いたその顔は、詩人としての才能を持たない私には表現のしようがないくらいだった。青く清らかで物問いたげなうれいを含んだ目が半ば露を宿すまつげに覆われていた。なぜかそれは、たった一目見ただけなのに、用心深い私の心の奥にまで届いた。
なぜ彼女は、こんなところに立って泣いているのか。人の目を気にする余裕がないくらい、はかりしれないほど深く悲しい目にあったのだろうか。臆病な心よりも憐れに思う気持ちが勝り、思わず近づいて声をかけた。
「どうして泣いておられるのですか。煩わしい関わりを持たない外国人の方が、かえって力を貸しやすいかもしれません」
我ながら自分の大胆さにあきれた。
彼女は驚いて黄色い私の顔をじっと見つめた。飾り気のないまじめな私の心が表情に表れていたのだろう。
「あなた、良い人みたいね。あの人のような酷い人とは違う。母とも」
しばらく枯れていた涙の泉がまたあふれだし、可愛らしいほほを流れ落ちた。
「助けてください。このままだと恥知らずになってしまう。母が、あの人の言葉に従わせようとぶつんです。父が亡くなり、明日は葬儀だというのに、家には少しのお金もありません」
あとは、すすり泣く声だけがした。私の目は、このうつむいた少女のうなじが震えるのをただ見つめていた。
「あなたのお家にお送りします。まず心を落ち着かせてください。泣き声が人に聞かれてしまいます。ここは人通りのある往来ですから」
彼女は、話をしてるうちに無意識に私の肩に寄りかかっていたのだが、このときふと頭をあげ、そして初めて私を見たかのように恥ずかしがり、すばやくそばから離れていった。

5.ワイゲルト家


少女は人に見られるのを嫌がり足早に向かった。そのあとをついて、寺院の筋向かいに立つ大戸を入ると、欠け損じのある石階段が見えた。これを上がって四階に着くと、腰を折ってくぐらなければならないくらいの戸があった。少女は、錆びた取っ手を回し、手を掛けて強く引いた。中からは、しわがれた老婆の声がして、「誰だ」と問う。帰ったとエリスが答える間もなく戸が乱暴に引き開けられた。その老婆は、髪が半ば白く、人相は悪くないが貧苦の跡を額にしるした顔をしていた。毛織の服を着て、汚れた上靴を履いていた。エリスが私にお辞儀をして中に入ると、老婆はそれを待ちかねたように激しく戸を閉じた。
しばらく呆然として立っていた。ふと、ランプの光に透かして戸を見ると、エルンスト・ワイゲルトと塗料で書いてあり、その下には仕立物師と書き添えてあった。これが少女のいう亡くなった父親の名に違いない。中から言い争うような声が聞こえてきた。また静かになり、戸が再び開いた。先ほどの老婆は、物腰低く丁寧な態度で、無礼な振る舞いをしたことをわび、私をなかに迎え入れた。戸を入ると、そこは台所だった。右手には、低い窓があり、真っ白に洗った麻布が掛けられていた。左手には、粗末に積み上げられたレンガのかまどがあった。正面の一室は、戸が半分開いていて、白い布でおおわれた寝床があった。寝床にいるのは亡くなられた人に違いない。かまどのそばの戸が開き、招き入れられた。そこは街に面した、いわゆるマンサルドの一室で、天井はない。隅の屋根裏から窓に向かって斜めにさがるはりに壁紙が貼られていて、その下に寝床があった。立てば頭がつかえるような場所だ。中央に机があり、美しい敷物を掛けた上に書物を1、2冊と写真帳を並べ、陶器の瓶にはここには不釣り合いな高価な花束が生けてあった。そばには、少女が恥じらいを帯びて立っていた。
彼女はとても美しかった。乳白色のような顔に灯火が映り薄紅をさしていた。手足は、か細くしなやかで、貧しい家の女とは思えない。老婆の部屋を出てきたばかりなので、少女の言葉には少しなまりがあった。
「許してください。ここまで連れてきた心のなさを。あなたは善い人。まさか恨みはしないでしょう。明日に父の葬儀が迫って、シャウムベルヒを頼ろうとしたんです。彼を知ってますか。ヴィクトリア座の座長です。彼のもとで二年も働いてるから、なにもいわずわたしらを助けてくれると思ってました。なのに、人の不幸につけこんで無理な要求をするんです。お願い、私を助けて。少ない給料だけど、なんとかして返します。たとえ、わたしが食べられなくなってでも。もしだめだっていうなら、母の言う通りに...」
彼女は涙ぐんで体を震わせた。その上目遣いには、人に嫌だとは言わせない媚びたところがあった。これは、わざとしているのだろうか、無意識なのか。
ポケットに二、三マルクの銀貨があったが、それで足りるわけがない。懐中時計を外して机の上においた。
「これを質に出して一時の急場をしのぎなさい。質屋の使いがモンビシュウ街三番地の太田を訪ねてきたら必ず金を払うから」
少女は驚き感激したようにみえて、私が別れの挨拶として差し出した手に唇をあてると、はらはらと落ちる熱い涙を手の甲に注いだ。

6.悪因


ああ、なんという悪因。
少女は、この恩に感謝して礼を言いに自ら私の下宿にやって来た。私は、ショオペンハウエルを右におき、シルレルを左において、終日じっと座って読書をしていた。その部屋の窓のそばで、少女の存在は一輪の名花を咲かせた。このときを始めとして少女と会うことが次第に増えていき、同郷人にさえも知られてしまった。彼らは早合点して、私がとっかえひっかえ踊り子たちと関係を持ったのだと思っていた。私たち二人の間には、子供っぽく無邪気な付き合いしかなかったというのに。
名を明かすのは差し控えておくが同郷人のなかに事を荒立てたがる人がいて、私が芝居の劇場に出入りして女優と関係を持っていると官長のもとに報告をした。ただでさえ私が学問の道から外れていることを知り憎らしく思っていた官長は、ついに公使館に連絡し、私を免官し職を解いた。公使は、その辞令を私に伝えると、加えてこう言った。すぐ帰国するなら旅費を出すが、もしここに残るなら国からはもう何も援助はしない、と。一週間の猶予をもらい、あれこれと悩んだ。そうしているうちに、人生で最も悲痛な二通の手紙が届いた。この二通はほとんど同時に出されていた。一通は母の自筆。もう一通は親族からで、母の死を、私が最も慕う母の死を伝える内容だった。母の手紙に書かれていたことをここに繰り返すのは堪えられない。涙が迫ってきて書くのを妨げるからだ。
私とエリスの交際は、このときまでは、他人が見るのと違い、清く潔白だった。彼女は、父親が貧しいため充分な教育を受けられず、十五のときに、踊りの先生が出した募集に応じて、その恥ずかしい技を教わった。クルグスを終えたあとは、ヴィクトリア座に在籍し、劇場で二番目の地位を占めていた。だが、詩人ハックレンデルが当世の奴隷というように、はかない踊り子の身の上だ。安い給金で雇われ、昼は練習、夜は舞台と厳しく使われる。芝居の化粧部屋に入ればこそ、化粧をして美しい衣服をまとう。場外に出れば、一人身の衣食にさえも不自由しがちで、その上さらに親兄弟を養う者の辛さはどんなだろうか。そのため、彼女らの仲間がいやしい限りの行為に落ちないことはまれだという。エリスがそこから逃れていられたのは、彼女の性格の大人しさ、それに豪気な父親による保護があったからだ。彼女は、幼いときから物を読むことを好んでいたが、手に入るのは卑しきコルポルタアジュという貸本屋の小説だけだった。私と知り合ってからは私が貸した本を読んで学び、やっと味わうことも知り、言葉のなまりを正し、ほどなく私に寄越す手紙の誤字も少なくなった。つまり、二人の間に生じたのは、まず師弟の関係だった。
思いがけない私の免官を知った彼女は真っ青になった。私は、免官の理由が彼女に関係していることを隠した。彼女は、このことを母親には秘密にするようにと言った。というのも、私が学資を失ったと知れば彼女の母親が私を疎むかもしれないと恐れたからだ。
ああ、詳しくここに書くことでもないが、彼女を好きな気持ちが急に強くなり、ついに離れがたい仲となったのはこのときだ。一大事が目の前に横たわり、まさに危急存亡のときなのに、なぜそんなことをしたのかと不思議に思う人、また非難する人がきっといるだろう。だが、エリスが好きだという感情は、初めて見たときから浅いものではなかった。私の不幸を憐れみ、別離を悲しんで、伏して沈んだ顔には、横から垂れた髪の毛が掛かっていた。その美しくいじらしい姿は、激しい悲しみが影響して普通ではなくなっていた脳髄を射た。そして、恍惚としている間にこうなってしまったのだから、いたしかたない。

7.新生活


公使に約束した期限が近づき、運命の時が迫ってきた。このまま国に帰っても、何の成果もなく汚名を負っただけの身では浮かぶ瀬もない。かといってここに留まっても、金を得る手段のあてがない。
助けてくれたのは、いまこの船に同行している一人、相沢謙吉だ。彼が東京にいたとき、すでに天方伯の秘書だったが、私の免官が官報に出ているのを見つけて、某新聞紙の編集長を説得し私を新聞社の海外通信員にしてくれた。仕事は、ベルリンから政治・学芸などの報道をすることだ。
新聞社の報酬はたいしたことがなく、下宿を変え、昼食に行く食堂も変えねばならないが、細々となら暮らしていけそうだ。などと思案しているうちに、誠意から助け船を出してくれたのはエリスだった。彼女がどうやって母親を説得したのか知らないが、彼女ら親子の家に住まわせてもらえることになった。私とエリスは、いつからということはなしに互いの少ない収入をあわせ、心配ごとはあるものの、楽しい月日を送った。
朝の珈琲カッフェエを終えると、彼女は練習に行き、練習がない日には家にいた。私の方はキョオニヒ街にある休息所に赴いた。その休息所は、間口が狭く奥行きがとても長かった。そこで、あらゆる新聞を読みあさり、鉛筆を取り出してあれこれと材料を書きとめた。開いた天窓から明かりを取り入れているこの場所には、定職についていない若者、そこそこの金を人に貸して遊び暮らす老人、取引所の仕事の暇を盗んで足を休めている商人などがいて、彼らと肘を並べて、冷ややかな石のテーブルの上でせわしなく筆を走らせた。女給が持ってきた一杯の珈琲が冷めるのを気にもせず、細長い板切れに挟まった新聞を持ち、各種新聞が掛け連ねてある方の壁と何度も行き来した。そんな日本人を、知らない人はどう見ていただろう。また、午後一時近くになると、練習がある日の彼女は帰りにそこへ立ち寄った。普通の人とは違う軽やかな身のこなしで手のひらの上でも舞えてしまえそうな少女が、私と一緒に店を立ち去る姿を、怪しんで見送る人がいたに違いない。
我が学問はすさんだ。ランプの灯がかすかに照らす屋根裏で、劇場から帰ったエリスが椅子に寄りかかり縫い物などをしている、そのそばの机で私は新聞の原稿を書いていた。以前は枯れ葉のような法令条目を紙の上にかき集めていたが、今はまるで違う。活気にあふれ勢いがある政界の運動や、文学・芸術に関する批評など、あれこれと結び合わせ、力のおよぶ限り、ビヨルネよりむしろハイネを学んで思いを構え、様々な文章を作った。そうしているうちに、ウィルヘルム一世、フレドリック三世と崩御が続き、新帝の即位やビスマルク候の進退の行方などについて特に詳しく報告をした。そんな状況だったので、この頃から思いのほか忙しくなり、多くもない蔵書を開いてそれまでしていた勉強や研究を継続するのは難しく、大学に籍は残してはいても、受講料を納めるのが困難なために一つだけにした講義にさえ行くことはまれになっていた。
我が学問はすさんだ。だが、それまでに持っていなかった一種の見識を広めていた。というのは、およそ民間学においては欧州諸国のなかでドイツが最も活発だったのだ。数百種の新聞・雑誌に散見される議論には思いのほか高尚なものも多い。かつて大学に頻繁に通っていた頃に養った物事を見通す力を通信員となった日から発揮して、読んではまた読み、写してはまた写し、そうしていくほどに、今まで一筋の道のみを走っていた知識が自ずから総括的になっていき、同郷の留学生などのほとんどには夢にも思うことができない境地へといたった。彼らの仲間にはドイツ新聞の社説でさえ良くは読めないものがいたというのにだ。

8.相沢からの手紙


明治二十一年の冬が来た。表街おもてまちの歩道には砂がまかれ、雪かきもされていた。だが、クロステル街の周辺は凸凹で歩きにくいところがあり、表は一面凍り、朝、戸を開けると哀れにも飢え凍えたスズメが落ちて死んでいた。部屋を暖め、かまどに火を焚きつけても、壁の石を通して衣服の綿をも突き抜ける北ヨオロッパの寒さは、なかなかに堪えがたい。二、三日前の夜、エリスが舞台で卒倒したといって人に助けられて帰ってきた。それ以来、気分が悪いといって休み、物を食べても吐いてしまった。これはつわりかもしれないと最初に気がついたのは母親だった。ああ、ただでさえ自分の将来がおぼつかないというのに、もし本当にそうだったらどうしよう。
今朝は日曜日なので家にいるが、心は楽しくない。エリスは寝床で横になっていないといけないほどではなかったが、小さな鉄の暖炉のそばに椅子を寄せ、言葉は少ない。このとき戸口で人の声がして、ほどなく台所にいたエリスの母親が郵便の書状を持ってきて渡された。それは見覚えのある相沢の筆跡なのに、郵便切手はプロシア、消印にはベルリンとあった。一体何事かと思って開いて読んだ。
「急なことなので事前に連絡できなかったが、昨夜ここに着いた天方大臣と一緒に自分も来た。伯が君と会ってみたいとのことなので、早く来てくれ。君の名誉を回復する絶好の機会になるはずだ。気が急いているので伝えるのは用件のみにした」
読み終え呆然とした顔をしているのを見てエリスは言った。
「故郷からのお手紙ですね。まさか、悪い知らせなのでは」
彼女は例の新聞社の報酬に関する書状と思ったらしい。
「いや、心配なさらないで。あなたも名前を知る相沢が、大臣とともにこの地に来ていて、私を呼んでいるのです。急ぎとのことなので、今からすぐに」
可愛い一人っ子が出掛けるときの母親でもこれほど心配したりはしない。大臣にお目にかかるかもしれないと、エリスは病を押して立ち上がり、ワイシャツもできるだけ白いものを選び、丁寧にしまってあったゲエロックという二列ボタンの服を出して着せ、ネクタイまで私のために自ら結んだ。
「これなら見苦しいとは誰も言えません。私の鏡をご覧になって。どうして面白くもないお顔をなさっているのですか。私も一緒に行きたいくらいです」
少し見た目を整えてから言った。
「いいえ、このように服装をお改めになった姿をみると、私の豊太郎様ではないみたい」
また少し考えてから言った。
「もし富貴ふうきになられる日がきても、私をお見捨てにならないでください。この病が母のいうようなことでなかったとしても」
富貴ふうきですか」
私は微笑した。
「政治社会などに出る望みを捨ててから、もう何年も経っています。大臣を見たいとも思いません。ただ、何年も久しい親友に会いに行くだけです」
窓の下には、エリスの母が呼んだ一等ドロシュケが雪道を車輪の下にして待っていた。手袋をはめ、少し汚れのある外套がいとうを袖を通さずに肩にかけ、帽子をとると、エリスに接吻をして、下に降りた。彼女は、凍りついた窓を開け、乱れた髪を北風に吹かせたまま、私が乗った車を見送っていた。

9.天方伯


カイゼルホオフの入口で車を降りた。ボーイに秘書官相沢の部屋の番号を尋ね、久しぶりで踏み慣れない大理石の階段を上がり、広間に行き着いた。中央の柱にプリュッシュで覆われたゾファが据え付けてあり、正面には鏡が立ててあった。そこで外套がいとうを脱ぎ、廊下を渡り、部屋の前に来た。だが、そこで少しためらった。大学時代は私の品行方正さを激賞してくれた相沢が、今日どんな顔をして出迎えるのだろうか。部屋に入り対面してみると、体つきこそ昔に比べ太ってたくましく変わっていたが、気性は前と変わらず快活で、私の過ちをたいして気にしていないように見えた。会っていなかった間の出来事を話す暇もなく連れていかれ、大臣に拝謁した。そこで依頼されたのは、ドイツ語で書かれた文書で急を要するものの翻訳だった。文書を受け取り、大臣の部屋を出ると、相沢が後から来て昼食を一緒にとろうと言った。
食事の席では、彼が多く問い、私が多く答えた。彼がたどってきた道はおおむね平穏だったが、私の身の上は数奇だった。
私の胸のうちを明かして語った不幸な出来事を聞いて、彼はしばしば驚きはしたが、なかなか私を責めようとはせず、むしろ凡庸な留学生たちをののしった。話が終わると彼はまじめな顔をし、いさめるようにこんなことを言った。
「この一件は、もともと生まれつき持っている心の弱さが原因だ。今さら何を言ってもしかたがない。とはいえ、学識があり才能もある者が、いつまで、一人の少女の情にとらわれて目的なく生きているんだ。今は、天方伯もただ君のドイツ語の語学力を利用することしか考えていない。私もまた、伯が当時の免官理由を知っていることもあり、あえてその考えを変えさせようとは思わない。事実を曲げて庇いだてする人間だと伯に思われることになったら、友の得にならないし、私にとっても損でしかない。推薦の前にまず力を知ってもらうことだ。力があることを示し伯に信用してもらうんだ。それとその少女との関係だが、たとえ彼女が純粋な気持ちであったとしても、たとえ男女の関係が深くなっていたとしても、人材を知っての恋ではない。慣習という一種の惰性で生じた関係でしかない。意を決して断て」
相沢が示した今後の方針は、大海原で舵を失った舟人が遥か彼方の山を望むかのようなものだ。いつか行き着いたとしても、いや、はたして行き着かなかったしても、私の心を満たしてくれるのかどうかわからない。貧しくても楽しいのは今の生活、捨てがたいのはエリスの愛。私の弱い心には決断できなかったが、しばらくは友の言葉に従うことにして、この情縁を断とうと約束した。敵対する相手には守るものを失わないように抵抗するが、友に対しては否定しないのがいつものことだった。
別れて外に出ると風が顔を打ちつけた。ホテルの食堂は二重のガラス窓をしっかり閉ざして大きな陶器の暖炉で火を焚いていたが、午後四時の外の寒さは薄い外套がいとうではとても防ぎきれず堪えがたかった。鳥肌がたつとともに、心のなかに一種の寒さを感じた。
翻訳は一夜にして終わった。それからカイゼルホオフに通うことが次第に増えていき、初めは伯の言葉は用事だけであったのが、後には、近頃の故郷でのことについて私に意見を尋ねたり、折に触れて道中での人々の失敗談などを話して笑うようになった。

10.ロシア


ひと月ばかりが過ぎたある日、伯は突然私に向かって言った。
「明日の朝、ロシアに向かって出発するつもりだ。一緒に来れるか?」
この数日間、相沢はある公務で忙しく顔も見ていなかったので、この問いがあまりに突然なことで驚いた。だが、返事はすぐにした。
「どうしてめいに従わないことがありましょう」
私の恥を明かそう。この返事はいち早く決断した上で言ったのではない。自分が信じて頼りになると思う人に突然ものを問われると、その答えの意味をよく考えもせず、すぐに承知してしまうところが私にはある。承知したあとで行うのが難しいとわかっても、虚ろな心を無理して隠し、我慢して実行することがよくあった。
この日は翻訳代に加えて旅費ももらって持ち帰り、翻訳代はエリスに預けた。これでロシアから戻ってくるまでの間の生活費は足りるだろう。彼女は、身重な体であると医者から診断されたと言った。貧血ぎみな体質であったことから、判別するまでに何ヵ月もかかってしまったようだ。座長からは、休みがあまりに長く続いたので除籍したと言ってきた。まだひと月なのに、こう厳しいのは何かあるのだろう。ロシアへ旅立つことについて、彼女は特に悩んでいるようには見えなかった。偽りのない私の心を信じてくれたからだ。
鉄道なのでそう遠くない旅だ。特に用意することもなかった。身に合わせて借りた黒い礼服、新たに買い求めたゴタ版のロシア廷の貴族譜、二、三の辞書などを小カバンに入れただけ。今回は、さすがに気がかりなことが多いので、出ていったあとに残す者たちが心配だ。停車場でまた涙をこぼしでもしたら、心配になってしまうだろうから、翌朝早くにエリスを母親にお願いし知人のもとへ連れていってもらった。旅の身支度を整えると、戸締まりをし、入口に住む靴屋の主人に鍵を預けてから旅立った。
ロシア行きについて、何を書いたらよいだろう。通訳としての任務は、たちまち私を連れ去って青雲の上に落とした。大臣の一行に伴ってペエテルブルクにいた間、私を取り囲んでいたのは、パリ絶頂の贅沢を氷雪のなかに移した王城の装飾、ことさらにいくつも灯された黄蝋おうろうのろうそく、いくつもの勲章、いくつものエポレットが反射する光、巧みなわざを尽くした彫刻や彫金が施されたカミンの火に寒さを忘れた宮女が使う扇のひらめき。その間、フランス語を最も流暢に使いこなせた者は私であったため、客と主人の間を取り持って通訳するのもまた多くは私だった。
その間、エリスを忘れることはなかった。いや、彼女は日ごとに手紙を寄越したので忘れようがなかった。彼女からの最初の手紙はだいたいこんな内容だった。
「旅立たれた日はいつになく灯火に独り向かうのがせつなくて、知人のもとで夜まで話して疲れるのを待ち、それから家に帰ってすぐに寝ました。次の朝、目が覚めると、独りあとに残されたのは夢だったのではないかと思ったものです。起き出すと心細くなりました。こんな思いは、生活費に困ってその日に食べるものがないという時でも感じたことがありません」
またしばらくして届いた手紙はかなり感情が高ぶって書いたようだ。手紙は、「いな」という言葉で始まっていた。
「否。あなたを思う心の深さが今になってやっとわかりました。あなたはふるさとに頼れる縁者がいないとおっしゃっていました。それなら、この地で生活費を稼げれば留まることがおできになるはず。それに、私の愛でつなぎ止めます。それがかなわず、東にお帰りなさるというのなら、親と共に一緒に行くのはたやすいことです。ですが、多額の旅費を用意するのは無理なことでしょう。いままでは、なにをしてでもこの地での暮らしを成り立たせ、あなたが世に出る日を待っていようと思っていました。それなのに、しばしの別れだと旅立たれてからのこの二十日ばかり、別離の思いが日に日に強くなっていきます。別れは一瞬のつらさだと考えていましたが間違っていました。この体が普通とは違う理由が思っていた通りだとやっとわかり、そのこともありますし、たとえなにがあっても私を捨てたりしないでください。母とはひどく言い争いました。それでも、以前の私とは違って固く決心しているのをみて、母は折れました。私が東に行くなら、遠い親戚がステッチンあたりで農家をしているので、そこに身を寄せるとのことです。いただいた手紙に書いてあるように大臣があなたを重用なさっているのなら、私の旅費はなんとかなるでしょう。今はただ、ひたすらあなたがベルリンにお戻りになる日をお待ちしております」
ああ、この手紙を見て初めて自分の置かれた立場を理解した。恥ずかしいのは、自分の鈍い心だ。自分の進退についても、自分とは関係のない他人のことについても、決断ができると自ら心に誇っていた。だが、この決断力が発揮できるのは順調な状況のときだけだ。逆境には当てはまらない。私と人との関係を照らそうとすると、頼みの胸中の鏡は曇ってしまう。
大臣からの信用はすでに厚い。だが私の目は近眼で、ただ自分がつくす職分のことしか見えていなかった。私がそこに未来の望みをつなぐということは、神もご存知だろうが、私には全く思いがいたらなかった。だが今ここに気がついてしまえば、心は冷然としてはいられない。以前、友が勧めたときは、大臣からの信用は屋上の鳥のように手が届かないところにあった。だが、今は少しは得られていると思うので、相沢がこの頃の言葉のはしばしに本国に帰ったあとも一緒にこのようであったら云々と言っていたのは、大臣がそう言われたことを友とはいえ公務に関することなので明らかには告げられなかったからだろう。今更ながら思うに、軽率にも彼に向かってエリスとの関係を絶とうと言ったことを、もうすでに大臣に告げていたのかもしれない。

11.エリスとの再会


ああ、ドイツに来たはじめのころ、自ら自分の本領を悟ったと思い、また器械的人物にはならないと誓ったが、それは、足に糸を縛られた鳥が放たれて、しばらく羽ばたいて自由になったと誇るようなものではないか。足の糸はほどきようがない。先にこの糸を操っていたのは某省の官長。今は、ああ、天方伯の手中にある。大臣の一行と共にベルリンに帰ったのは、ちょうど新年の明け方だった。停車場に別れを告げ、我が家に向かって車を走らせた。ここでは今も除夜には眠らず元日の朝に眠る慣習なので、どこも静かだった。寒さは強く、路上の雪は角の尖った多角形の氷のかけらとなって晴れた陽の光を反射し、きらきらと輝いていた。車はクロステル街へと曲がり、家の入口で止まった。この時、窓を開ける音がしたが車からは見えなかった。御者にカバンを持たせて階段を上がろうとすると、エリスが階段をかけ降りて来た。彼女がひと声叫んで私のうなじを抱きしめるのを見て、御者はあきれた顔をして何やら髭のうちで言っていたが聞こえなかった。
「よくお帰りなさいました。もしお帰りになられなかったら、私の命は絶えていたでしょう」
私の心はこの時まで定まっておらず、故郷を思う念と栄達を求める心とが時として愛情を圧倒しそうになっていた。だが、ためらい悩んでいたのがこの一瞬で消え去り、私は彼女を抱きしめた。彼女の頭が肩に寄り、喜びの涙がはらはらと肩の上に落ちた。
「何階に持っていくんですか?」
と、銅鑼どらのように叫んだ御者は、先に行って階段の上に立っていた。戸の外に出迎えたエリスの母に御者をねぎらうようにお願いして銀貨を渡し、私はエリスに手を引かれて急いで部屋に入った。一目見て驚いた。というのも、机の上には白い木綿、白いレースなどがうず高く積み上げられていたのだ。
エリスは声をあげて笑いながら、それを指して言った。
「どうですか、この心構えを」
そして木綿ぎれを一つ取り上げた。見ればオムツだった。
「私がどんなに楽しみにしているとお思いですか。生まれてくる子はあなたに似て黒い瞳を持っているでしょう。この瞳。ああ、夢みたのは、あなたの黒い瞳のみ。生まれる日には、あなたの正しい心が、まさか太田姓以外を名乗らせはなさらないでしょう」
彼女は頭を垂れた。
「子供っぽいとお笑いになるかもしれませんが、寺院に入る日にはどれほど嬉しく思えることか」
そう言って見上げた目には涙が満ちていた。

12.罪人


二、三日は大臣も旅の疲れがあるだろうからあえて訪ねず家にこもっていたが、ある日の夕暮れに使いが来て招かれた。行ってみるととても待遇が良く、伯はロシア行きの労を問い、慰め、そして言った。
「一緒に東に帰る気はないか。君の学問ははかり知るところではないが、その語学力だけでも世の役に立つ。ドイツにいるのがあまり長いと様々な係累もあるだろうから相沢に尋ねたが、そういうことはないと聞いて安心した」
その様子は否定できるものではなかった。まずいと思ったが、さすがに相沢の言ったことが偽りだとは言い難かった。また、もしこの機会を逃したら本国を失い、名誉を挽回する道も絶たれ、この身は広漠とした欧州大都の人の海に葬られてしまうという思いが心頭を衝いて起こった。なんて節操のない変わりやすい心なことか。
「謹んでお受けいたします」
と答えていた。
厚顔であったとしても、帰ってからエリスになんて言えばよいだろう。ホテルを出たときの心の錯乱は例えようがなかった。道の東西もわからずに、思い悩んで行くほどに、行き会う馬車の御者に何度か叱られ驚き飛び退いた。しばらくして、ふと辺りを見回すとそこは獣苑のかたわらだった。倒れるように道のそばのベンチに向かった。焼けるように熱く、ハンマーで打たれたように響く頭を背もたれにもたせ、死んだように時を過ごした。激しい寒さが骨にしみて目が覚めると、夜から雪が激しく降りだしていて、帽子のひさしや外套がいとうに一寸ばかりもの雪が積もっていた。
もはや十一時を過ぎて、モハビットとカルル街を結ぶ馬車鉄道の軌道も雪に埋もれ、ブランデンブルク門のあたりのガス灯は寂しく光を放っていた。立ち上がろうとする足は凍え、両手でさすってようやく歩けるくらいになった。
足の運びは遅く、クロステル街まで来たときには真夜中を過ぎていた。ここまでどうやって歩いてきたのか覚えていない。一月上旬の夜ならウンテル・デン・リンデンの飲み屋や喫茶店はまだ人の出入りが盛んでにぎわっているはずだが、全く記憶にない。私の頭のなかにはただただ、自分は許すべきではない罪人だ、と思う心のみが満ち満ちていた。
四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ていないとみえて、光り輝く一つの火が暗い空に明るく見えた。だが、さぎのごとく降りしきる雪のかけらのせいで、たちまち覆われ、たちまち現れ、風にもて遊ばれているかのようだった。戸口に入ると疲れを覚え、体の節々が痛んで堪えがたく、這うように階段を上がった。台所を過ぎ、部屋の戸を開いて入ると、机のそばでオムツを縫っていたエリスが振り向いて「あ」と叫んだ。
「どうなさったんですか。そのお姿は」
驚くのも無理はない。顔は青ざめて死人同然の顔色、帽子はいつの間にか失い、髪はからみあって乱れ、何度もつまづいて倒れたせいで衣服は泥まじりの雪に汚れて所々裂けていた。
返事をしようとしたが声が出ない。膝はがくがく震えて立っていられず、椅子をつかもうとしたまでは覚えているが、そのまま地に倒れてしまった。

13.エリス


意識が戻ったのは数週間後だった。熱が激しくてうわごとを言っていた私をエリスは丁寧に看病してくれた。ある日、相沢が訪ねてきて、彼に隠していた一部始終を詳しく知り、大臣には病のことのみを告げて、うまいこと取り繕ってくれた。初めて病の床にいるエリスを見て、その姿の変貌ぶりに驚いた。彼女は、この数週間でかなり痩せ、目は血走ってくぼみ、頬は灰色となりこけていた。相沢の助けで日々の生活費には困ってはいなかった。だが、この恩人は、彼女を精神的に殺した。

これは、あとから聞いたことだ。
彼女は相沢と会ったとき、私が相沢にした約束を聞き、また、あの夕方に大臣に尋ねられて承諾したことを知り、急に椅子から躍り上がり「私の豊太郎様が、そこまで私を欺きなさるなんて」と叫んで、その場に倒れた。相沢は母親を呼んで共に助け、寝床で横にさせた。しばらくして目が醒めたときには、目は直視したまま、傍らにいる人が誰かもわからず、私の名前を呼んでののしり、髪をむしり、布団を噛むなどし、また、突然何かに気がついて物を探し求めた。母親が色々と与えてみたが、それらをことごとく投げ捨てた。ところが、机の上にあるオムツを与えると、それを探ってみてから顔に押し当て、涙を流して泣きだした。

それからは騒ぐことはなかったが、精神の作用がほとんど働かず、そのおろかな様子は赤子のようだった。
医者に診てもらったところ、過激な心労のために急に起きたパラノイアという病で治癒の見込みはない、と言われた。ダルドルフにある精神病院に入れようとしたが、泣き叫んできかず、後には、あのオムツひとつを肌身離さずそばにおき、何度か取り出しては見、見てはすすり泣いた。病床にある私のそばを離れないのだが、それもわかってしているようには見えない。ただ、ときどき何か思い出したかのように「薬を、薬を」とだけ言った。
私の病はすっかり治った。生きるしかばねとなったエリスを抱いて、止まらない涙を流し続けたことが一体何度あったことだろう。大臣と一緒に東に帰るときには、相沢と相談してエリスの母になんとか生活するのに足りるくらいの資金を与え、あわれな狂女の胎内に残した子が生まれるときのことも頼んだ。
ああ、相沢謙吉のような良き友は、この世で二度と得られるものではない。だが、我が脳裏に一点、彼を憎む心が今でも残っている。

おわり

【参考】個人的おすすめ鑑賞方法

この小説を学校の国語の教材として読むときなど多くは登場人物の心情に着目して読むと思います。さらに、主題は何で、近代的自我の目覚めがどうしたこうしたと小難しいことを考えさせられたかもしれない。ですが!文学的な表現の面白さもぜひ楽しんで見てください。
個人的なオススメは、さまざまな箇所で、陰と陽のような対立構造があることに着目して読むことです。
以下に例をあげてみます
・熾熱灯の晴れがましさ vs 船室に主人公だけ
・西へ行く時の主人公(沢山書いた。新聞に掲載されもてはやされる) vs 東へ行く時の主人公(何も書けないでいる)
・陽キャな勢力ある留学生たち  vs 陰キャな主人公
・明るくにぎやかなウンテル・デン・リンデン vs 暗いクロステル街
・大学を卒業し官職についたエリートで金に困っていない主人公 vs 学もなく金もないエリス (出会いの時点)
・エリート街道を進んでいた主人公 vs 将来に不安を抱えた免官後の主人公
・華やかなロシア宮廷(雪のなかでも寒さを忘れる暖かさ) vs ドイツの厳しい冬の寒さ(暖炉があっても寒い)
このような対比の構造は、この現代語への翻訳版でも味わうことができます。

【補足情報】

高校の授業などで教わる定番の解釈とは異なる視点で考察した記事を書きました。

【現実的な考察】森鴎外『舞姫』
https://note.com/onoken_nobelles/n/n132664b250ed

この記事の目次から進んで『【考察7】なぜ、豊太郎はクズになったのか?』だけでも読んでみてください。豊太郎の印象がかなり変わると思います。さらに『【考察3】なぜ、豊太郎はエリスを捨て日本に戻ることにしたのか?』も読んで欲しい。

『舞姫』に対する定番の解釈を正解として真に受けるのではなく、自分の頭で考えるきっかけになれたら嬉しい。

【参考】『普請中』-『舞姫』から20年後

『普請中』は森鴎外が書いた短編小説で、『舞姫』の発表から20年後の明治43年に発表されました。非常に短く、主人公の官吏の男性が、ドイツ人と思われる女性と日本で久しぶりに再開し、西洋料理の店で一緒に食事して別れる、それだけの内容です。官吏の男性とドイツの女性ということから、『舞姫』の考察の際によく比較に用いられているようです。

「普請(ふしん)」とは、土木や建築の工事のことです。主人公は「日本は普請中だ」と言っており、20年たってもまだ日本は普請中だと森鴎外が語っているようにも思えます。

読みやすく書き直したものを以下で公開したので、興味がありましたら読んでみてください。

更新履歴

本文の初投稿2020年8月21日。
【更新歴】
2023年11月10日 訳文見直し。「頼みの胸中の鏡は曇ってしまった」→「頼みの胸中の鏡は曇ってしまう」
2023年11月9日 訳文見直し。「短い間に」→「わずかな間に」
2023年11月9日 訳文見直し。「屋根に開けた引窓から明かりを取り入れているその場所にいたのは、定職についていない若者、そこそこの金を人に貸して遊び暮らす老人、取引所の仕事の暇を盗んで足を休めている商人だった。彼らと」→「開いた天窓から明かりを取り入れているこの場所には、定職についていない若者、そこそこの金を人に貸して遊び暮らす老人、取引所の仕事の暇を盗んで足を休めている商人などがいて、彼らと」
2023年10月26日 訳文見直し。「法令条目を紙に掻き寄せていた」→「法令条目を紙の上にかき集めていた」
2023年10月26日 日本語修正。「いたしかたがない」→「いたしかたない」
2023年10月14日 訳修正。クロステル街界隈→クロステル街。原文は「クロステル巷」だが他の箇所が「クロステル街」なので統一。
2023年10月14日 訳修正。界隈→通り。原文は「巷」
2023年10月14日 日本語修正。かざりけ→飾り気
2023年08月04日 誤訳修正。原文の「勉強」を漢語の意味として訳出した。
2022年10月20日 誤訳修正。諸先輩→留学生たち、に変更。原文では諸生輩)

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