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おいしい遊び ~痛みから遊びへ

何かをするときには必ず予測誤差が生まれる。理想が先にあってそれに向けて何かがなされるときには予測誤差はネガティブな要素、痛みとなる。しかし、予測誤差を環境に存在する情報として置き換えて、他者性を楽しめるような遊びの文脈にのせることで創造性の契機とできる。

詳しくは<どう>のところで書きたいと思うが、<何を>の文脈ではどのようなことが言えるだろうか。たとえば、環境の中にあえて予測誤差を生むようなものを含ませる。それは、もちろん痛みではなく遊びの文脈にのるような現れを持つものである。遊びの文脈にのった予測誤差は知覚を鋭敏にする。

そして、その先に意味や価値を見いだせた時、それはより大きな知覚の悦びへとつながらないだろうか。その時、それをおいしい遊びと呼べるように思う。

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