おいしい思考 補足

■『アフォーダンスの心理学―生態心理学への道』 199(翻訳2000)エドワード・S. リード
この本では、単純な相互行為から思考の獲得にいたるまでの人間の発達過程の流れを、環境との切り結びの視点から順に捉えていく。
(1)[ 自分] → [ 相手] [自分] ← [ 相手]・・・静的な対面的フレームの中での二項的な相互行為。単純な反応や真似など。自己と他者を理解し始める。表現や簡単なゲームもできるようになる。
(2)[自分]→→[モノ]←[相手] [自分]→[モノ]←←[相手] ・・・動的な社会的フレームの中での三項的な相互行為。同じ物を挟んでの相互行為で環境を共有できるようになる。物を交互に動かしあったり他者と遊びや活動を共有できるようになる。文化のなかに入り始める。
(3)[自分]→→[認識]←[相手] [自分]→[認識]←←[相手] ・・・集団の中に入ることで薪を集めたり食べ物を探したりと言った具体的課題に含まれる一連の活動の方略とその適正さについて考えられるようになる。すなわち<認識>を共有できるようになる。これは、生きたプロセスであり、自己と周囲との接触を維持する能力でもある。
(4)[自分]→→[言語]←[相手] [自分]→[言語]←←[相手] ・・・<言語>は人-物-人の三項関係の物の部分に言語を当てはめた相互行為とも考えられる。言語とは、観念あるいは表象の手段ではなく、情報を他者に利用可能にするための手段であり、それによって自身および集団の活動調整に寄与するものである。また、言語がこれほど強力な調整者である理由の一つは、人々に現在の環境状態だけでなく、過去や未来の環境状態を意識させるからであり、これは変容され集団化された一種の予期的制御である。
(5)[自分]→→[言語]←[自分] [自分]→[言語]←←[自分] ・・・<思考>は上記の人-言語-人の三項関係の相手の部分に自分を当てはめた相互行為とも考えられる。すなわち自分が生成した言語を環境として受け取り自分で知覚し、さらに生成するサイクルが思考なのではないだろうか。実際の場面では三項関係の相手は自分・相手・書物などと入れ替わったり、環境から知覚の一種として言語を抽出するような行為もあるかもしれない。本書では思考は、世界の諸側面を自分自身に向けて表象する自律的能力と定義している。思考はより複雑な予期的制御を可能とするだろう。ここで思考は圧縮した相互行為の結果としての概念を生み出し、それが再び知覚対象として環境に提出される。

■ケンペケ04「建築の素材」 403architecture [dajiba]辻琢磨 2015 オノケンブログ
『第二部の終盤に出た「現場での瞬発力と議論はどういう関係か」というような質問とそれに対する応答が印象的だったのですが、403では「議論の積み上げ」と「現場等での応答」の2 つが意識的に使い分けられているようです。403の三人で可能性を排除していきながら、抽象のレベルで建築の強度を担保できるようなものが見つかるまで徹底的に議論を重ね、それを共有してから現場に出ることではじめて瞬発力がうまれる、というようなことが語られていました。』(太田)

■ deline ARCH(K)INDY/博多/ 佐賀のこと  2015 WEB記事
『ちなみに、質疑でも答えさせていただいたが、私が考える建築のクオリティは、抽象的で計画的で演繹的な質と、具体的で現場主義的で帰納的な質との関係性によって決まる。その両者を関係付けさせる設計環境を用意することが何より重要である。それはほとんどそのまま、上記した言語と実体験の関係性と同義である。その環境を作る為の方法の一つが、言語や計画を生み出す場所( =設計事務所) と反応するべき現場(= プロジェクトサイト) を物理的に近づけるということであり、さらにその仕事のレイヤーに自らの生活のレイヤーを重ねることで一層両者の関係性は影響し合うだろうと私は考えている。しかしともかく私が彼らに伝えたかったのは、生活と設計と街と現場が一体となったような生き方についてである。』(辻琢磨)
これは概念(抽象的で計画的で演繹的な質)を現場(具体的で現場主義的で帰納的な質)と同じ設計環境の中に提出することで両者をそれぞれ要素の一つとして並列に扱おうとしているのではないだろうか。

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