プリンス、そしてデヴィッド・ボウイを巡る言説について思ったこと。

 プリンスの突然の死には大きな衝撃を受けました。私もそうですが、その喪失感で仕事もなにも手につかない、という思いをしている人は多いでしょう。こんな記事を目にしました。

ごめんなさい、プリンス:追悼

 「WIRED」の編集長によるものだそうです。プリンスについての記述は、これはこれで嘘のない実感でしょうし、ひとつの意見としてありだと思いますが、デヴィッド・ボウイのことを引き合いに出しているのは少し違和感がありました。

リアルタイムでは知らないのだが、ボウイがアルバム『レッツ・ダンス』を出したとき「時代がついにボウイに追いついた」と言われたのだと、どこかで読んだことがある。これはもちろん揶揄であって、それまでずっと時代の先端を走ってきたボウイが、ついに時代に追いつかれたという意味だ。
それが誰によって、どんな風に言われた言葉なのか、よくは知らない。けれども、そこに大きな幻滅があったことは想像に難くない。というか、むしろ痛いほどよくわかる。それまでの勇猛果敢なボウイを愛すればこそ、ナイル・ロジャースあたりとつるんでちゃらちゃらしているのが度しがたい堕落、裏切りと見えたのだろう。言うまでもなく、それは大きな期待があればこその想いだ。

 これは違う、と思いました。私見ですが、『レッツ・ダンス』そのものがダメだと思っている(いた)ボウイ・ファンはほとんどいないと思います。堕落とも裏切りとも思ってない。あのころまでは「次に何をやるかわからない」ボウイだったから。『ヤング・アメリカンズ』をシンプルに機能的にモダナイズしたような『レッツ・ダンス』は、当時それなりに新鮮だったんですよ。「今度はこう来たか」という。もちろんポップな売れ線作品ではありますが、「今回はこういうのをやりたかったんだろうな」と明確にわかった。でもその成功に足元をすくわれた形になったそれ以降、つまり『トゥナイト』以降のボウイがダメだということだと思っています(もちろん『トゥナイト』以降のボウイも最高だと思っているファンの方もいるでしょうけど)。

 ボウイは『レッツ・ダンス』を「売るための音楽」として作った。アメリカで売れたかったから。そして実際に世界的なビッグ・セールスになった。やりたいことが明確で、そのための戦略も完璧で、実際に売ってみせた。そういう意味では見事な作品なんですよ。上のリンク先の文にあるように「時代に取り残されそうになり焦って追いつこうとして媚びた」のではなく「あえて合わせた」確信犯的作品だった。そこが、もうすでにアメリカでバカ売れしていた『ダイヤモンド&パールズ』時のプリンスと違うところだと思います。でも肝心のボウイの音楽的なモチベーションが70年代までで尽きているから、実際に売れてしまえば、それ以上やることがなくなってしまった。ここを取り戻すためにボウイは時間がかかったのだと思っています。

 ボウイで一番売れた作品は(『★』までは)、『レッツ・ダンス』ですが、プリンスは『パープル・レイン』でしょうか。ですがそこに至るまでの過程とその後の展開が大きく違う。つまり、音楽的にやりたいことをやり尽くして、最後に残った課題であるセールスを『レッツ・ダンス』で狙い達成したのがボウイで、音楽的に自分のやりたいことをやりたいようにやる自由を確保するために作ったのが『パープル・レイン』という違いがある気がします。実際、『パープル・レイン』がメガ・セールスとなり、スーパースターの座を手に入れ、なんでも好きなことができる創作上の自由を得たプリンスは『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』に始まる凄まじい傑作群を次々と送り出していく。

 『レッツ・ダンス』以前、つまり70年代ボウイの創作活動って、たぶん多くのアーティストにとって理想だと思うんですよ。あそこまで好き放題に、アルバムごとに全然違うことやって、そのいずれもが時代を揺るがす傑作という。プリンスがどこまでボウイを意識していたか知りませんし(ライヴではカヴァーをやってますね)、ボウイというよりは70年代スティーヴィー・ワンダーが彼にとってのロール・モデルだったのかもしれませんが、いずれにしろプリンスの時代、そして彼をとりまく状況では、ボウイと同じことをやろうとしても無理なわけで。なので最初にセールスという担保が必要だったんじゃないでしょうか。つまりプリンスは『パープル・レイン』のあとに何をやるか、やりたいかというプラン、戦略が明確だったけど、『レッツ・ダンス』以降のボウイはそれがなかった。あるいは、プランがなく、その場の思いつきで衝動的にやっても、なんとかなった70年代と比べ、80年代以降はセールスの規模も、周りの状況もまるで違ってしまって通用しなくなった、そういう言い方もできるかもしれません。

 一方、こんなブログも読みました。音楽評論家の内本順一さんのコラムです。

プリンスのこと。

 果たしてこのまま続けていたら、いつか『パレード』や『サイン・オブ・ザ・タイムズ』に匹敵する傑作がまた生まれることはあっただろうか。また、プリンスにはそういう傑作をもう一度ものにしたいという欲求がそもそもあったのだろうか、なかったのだろうか。もしかすると傑作をものにすることなどもうさして興味がなく、ただ“良質な”音楽を作り続けつつライブさえやれればそれでよかったんじゃないか。

 これは私の実感に比較的近いでしょうか。近年のプリンスは常に余力を残してる感じがちょっともどかしくもありました。アーティストというより職人的というか。それが悪いとはもちろん言いませんが、プリンスの考え方が昔とは少し変わっていたのかもしれません。

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