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あらかじめ決められた恋人たちへ:池永正二インタビュー 新作『響鳴』を巡って 「感情を四捨五入したくない」

  あら恋の新作『響鳴』が1月17日に発表される。前作『燃えている』から約1年4ヶ月ぶりという短いタームでのリリースは、バンドとしての好調を物語っていると言えるだろう。

 前作は「東京」をテーマにした作品だったが、今作は明確なテーマ設定はなく、バンドの原点である「ダブ」を現在の視点で捉え直した作品だ。前作同様全曲がインストだが、なまじな歌ものよりもはるかに雄弁でドラマティックな音像は、まさに「シネマティック・ダブ・バンド」の触れ込み通りの素晴らしさ。前作が気に入った人なら今作も絶対いけるし、さらに多くの人たちに届く可能性を秘めている。1月14日からは京都・東京・大阪でレコ発ライヴも予定されている。

 リーダーの池永正二にインタビューするのはこれで4回目だが、いつも示唆されるところが多く、刺激的な会話になる。彼と話すのはいつも個人的な楽しみなのだ。

あらかじめ決められた恋人たちへ
「響鳴」

1.Round
2.Stance
3.共振
4.Come
5.Contact
6.Sketch
7.Dawn

発売日 : 2024/1/17
形態:CD DIGITAL
CD 品番 : DDCZ-2304
税込価格:3300円

​​前作『燃えている』

ダブをやりたいと思った。でもオリジナルと同じようなものになっても面白くない

──前作『燃えている』から1年4ヶ月ぶりの新作です。力のこもったアルバムを毎年出せるというのは、創作的にはかなりノッている状態とお見受けします。
池永:そうですね。作りたいものがあったので。作りたいイメージが明確にあると早いです。これやりたい!って。

──前作は「東京」という、割とはっきりしたテーマがあって、それに沿った曲を作るというコンセプトがありました。今回は、どんなことを考えていたんですか。
池永:コンセプトがないのがコンセプトみたいな。バーッて勢いで作れたら良いなと思ったんです。具体的にはダブをやりたかったんですよね。自分のルーツであるダブを。いわゆるルーツ・ダブじゃなくて、ブリストル・サウンドとか、ニュー・ウエイヴ〜パンク上がりのオルタナティヴみたいな。ああいうのがやりたいなぁ~と思って。

──ON-Uサウンドとか?
池永:そうそう。あっちの方ですね。ブリティッシュの、UKに近いですね。ド頭の一曲目め「Round」と「Stance」、一番ケツの「Dawn」が、さらさらってできて。じゃあアルバムにしようかって何曲か書いていって。

──あら恋はダブ・バンドということでこれまでずっとやってきたと思うんですけど、今回特にそういうことを意識したのって、何かきっかけがあったんでしょうか。
池永:なんかね、あまりやっていなかったんですよね、ダブ・バンドと言いながら(笑)。ダブよりのロック、みたいなのが良さだったんですけど、ちゃんとしたダブ・ミュージックっていうのをやっていなかった。避けていたのかな? ほんまの人(本格的なダブをやる人)がいるんで、ウチがやるのもなって思ってたんですけど。でもダブって言っている限りはダブをやりたいなと。

――なるほど。
池永:この前のインタビューで「集大成」と言いましたけど、前作で今のバンドの集大成をちゃんと形にできたなって思って。次に何をやろうかなって思ったときに……昔(2011年)「Calling」という曲をやってたんですけど、そういうのを今のヴァージョンで、一周まわって一回り大きくなったところで、そういう音楽をしっかりやりたいなと思ったんです。

──ご自分の原点を確認するという意味合いもあったんでしょうか。
池永:そういうのは結果的にあったと思います。自分の原点を探ろうっていう感じはそんなになかったんですけど、作っていくうちに、あぁーそもそもこんなのをやりたかったんだよなって再確認したんです。昔って、できていなかったんですよね。いわゆるマッシヴ・アタックとか、ああいうの。

──あぁ、なるほど。
池永:やろうとしていたんだけど、できなかった。ノイジーなところ、オルタナティヴなところにどんどん寄っていってしまって。今になってようやくできるようになったのかなぁ。

──それはやっぱり、いわゆる王道というか、オーソドックスなものはやりたくないという気持ちがあったから?
池永:昔はありました、絶対、もう、マッシヴ・アタックっぽいものはマッシヴ・アタックがやった方がかっこいいですし。同じようなものを作ってもしゃあないなって。王道には行かんとこ、というのは。絶対レゲエのミュージシャンがやった方がうまいし。リー・ペリーと対バンした時にめっちゃ思ったんですよ。あのノリって俺らにはでけへんなぁって。じゃあ逆に、あの人らができないものでこっちがやれるのは何かって言ったら、ベアーズ(難波ベアーズ)流れのノイジーなものとか、ああいうものじゃないかと。そうしてやってきたものの最終型が『燃えている』なのであれば…その次は何にしようかなって思ったとき、もういっぺん、そっちのダブの方に挑戦してみようって思って。

──人の真似をしないというのはミュージシャンなら当たり前の気持ちだと思いますけど、でもあえてそういう、型通りのことをやる意義というのもあるじゃないですか。
池永:あります、あります。

──でもそういうのは避けたいと思うのは、やっぱりご自分の音楽上のこだわりだったりするんでしょうか。
池永:いや、できないんですよ。俺、すごく不器用なんですよ。楽器もめっちゃ下手ですし。さらさらってそういうものをしようって思ってもできないんです。だったら自分にしかできないことをやろうっていう。反抗しているわけではないんですよ。

──でも今までだってサントラを含めていろんな仕事をいっぱいやってきて、できないってことはないでしょう(笑)。
池永:いや、同じなんですよ、サントラとかも。結局自分のできるところで勝負しようとしているだけで。クラシック畑の、音大出身の人なんて、すぐポポポンっとできるんですよ、なんでも。僕がどれだけアカデミックなことやろうとしても、向こうの人の方が絶対に、絶対にうまいんですよ(笑)。じゃあ、アカデミックの人らがしないものをやろうっていうだけ。全部そうです。できることしかできない(笑)。だからレゲエもそうですよね。おなじ土俵でやると、たぶんできない。

──それは技術的なことというより心構えというか、そうしたくないという気持ちの方が強いんじゃないんでしょうか。
池永:あるんですかね、確かに。今回「Contact」っていう曲が入っていて、ハンマービートをやりたくて作ってたんですけど、ふと聞くとノイ!みたいだなって。それだったらノイ!の方がいいやん、って。

──ノイ!みたいな曲やオードドックスなダブをやろうと思ってもできないし、やりたくないみたいな気持ちが常に、池永さんの中にあるわけですね。
池永:あります。あ、これ一緒やん、って思ったら、一緒じゃない方向で、ノイだったらノイが影響受けた音楽や、ノイに影響を受けたバンドやら、どんどん掘り下げていって。自分にフィットする音楽に捻じ曲げていったり。オリジナルと同じようなものになっても面白くない。

踊らせる曲、泣かせる曲、良い歌詞とか、良い音楽はいろいろあるけど、ダブの音響感、音場感が凄かった。歌詞がなくても、それだけで物語が作れるじゃないですか。

──アマチュアの頃にコピーとかやっていたことはあるんですか?
池永:それはねぇ、BOØWYとかやっていたんですけど(笑)。

──(笑)BOØWYって、あのBOØWYですか?デヴィッドじゃなくて氷室京介の。
池永:「B・BLUE」とかやっていました(笑)。大好きです。BUCK-TICKとかもめっちゃ好きですよ(笑)。今日も聴いていて。

──マジすか(笑)。ヴォーカル?
池永:ギターです(笑)。ギター好きだし。歌下手ですから。ギターもよく弾けないですけど。ぶきっちょなんですよね。

──なるほど(笑)。ダブに目覚めたのはいつ頃なんですか?
池永:高校です。でも、もろのダブじゃなくて、マッシヴ・アタックとか、マッド・プロフェッサーとか聴いて。なんやこれ!って。これがすごいかっこいいってなって。

──どこが魅力だったんでしょうか?
池永:曲じゃない曲、じゃないですか。サビとか何もないじゃないですか。音像だけでうわぁって。ガガガ-ンって。気づけば7,8分経っているというか。

──それまでは歌があって歌詞があってサビがあって、いわゆる普通のポップソングの形式みたいなものが当たり前だと思っていたけど、それだけじゃない魅力みたいなものが、ダブにはあったということでしょうか。
池永:そうそう。クラブミュージックとかも似た感じではあるんですけど。でもダブって、音像というか、空気感というか。音を使ってこう飛び回ったりとか、一気に抜いてベースとドラムだけになったりとか。その楽しみ方がもっと自由で。

──音楽の楽しみ方に色んなやり方があるということに気づいた。
池永:そうですね。踊らせる曲、泣かせる曲、良い歌詞とか、良い音楽はいろいろあるけど、ダブの音響感、音場感が凄かった。歌詞がなくても、それだけで物語が作れるじゃないですか。

──音楽の自由さ、可能性みたいなものがそこにはあった。
池永:そうそう。包み込むような音響の気持ち良さ。ライヴで盛り上がるとか、クラブで踊れるとかじゃない音楽。すげえなぁと。

──ダブを聴いて、そういう魅力に気づいてからは、そういう感じの音楽を自分でもやりたいと思うようになりました?
池永:その時は打ち込みで音楽をやっていたんですけど、でもうまく作れなくて。結局、ギャーギャーうるさい方にいってましたね、俺は(笑)。ノイズとか。スカムな感じでしたね(笑)。

──なんか、若い頃はそういう衝動をぶつける方が。
池永:そうです。衝動だけでできるじゃないですか。何かやろうってなったら、ガー!!って曲を。まぁ曲にはなっていないんですけど (笑)。衝動をぶつける方が好きでしたね。

──あら恋を始めて、今と通じるダブっぽいものを、という意識は最初からあったんですか?
池永:もともとはあらかじめ決められた恋人たちってバンドだったんで、それこそノイ!とかアモン・デュールみたいなことをやろうとしてたんです。なんか流行っていたんですよね。みんなクラウトロックが好きやってああいう感じでやっていて。でもバンド続かなくてやめて、ひとりでやろうかなってところからですね、あら恋って。やっとCDを出せるっていう時は(2003年)、けっこう、ダブっぽいものをやっていました。

──最初は1人でダブっぽいことをやり始めて。そこからバンド表現になっていったという過程があるわけですよね。
池永:あります。あります。バンドの方がウケるんですよ、ライヴの現場では。ひとりでやるより、バンドの方が。(ひとりは)弱いんですよ、やっぱり。自分たちにしかできないことは何かって、ずっと考えて。

──それをやっていく過程で、いわゆるオーソドックスなダブみたいなものからは、ちょっと離れていく。
池永:離れていく。もうどんどんどんどん離れていく(笑)。あれ、何がやりたかったっけ?あ、マッシヴ・アタックとかマッド・プロフェッサーだったな、やっぱりかっこよかったなぁって(笑)。ああいうのが、今と合ってる気がするんですよ。古くないというか。今でこそ新しい音楽かなぁって。

──マッシヴ・アタックって、いつまでも古臭くならないですよね。
池永:不思議ですよね。なんかずっと聴けるんですよね。今の社会の雰囲気、戦争やなんやかんや、ああいう感じの中で、響く音楽。ああこのニュアンスって、いますごく合うなぁって思ったんですよ。ツイッターがバーって炎上とかしている時とかに、マッシヴ・アタックってすごく似合うんですよ。サウンドトラックとして。あら恋でこういうこできへんかなぁって、そう思っていました。前の(ツアーの)ライヴが終わった時くらいの時に。

手癖を最後にポッて入れるだけで自分のものになったりする。逆に手癖から少し変えるだけで、全然新しいものになったりする。一、二個変えただけで見え方、雰囲気が随分変わる。

──なるほどね。具体的に今回の作業というはどういうところからスタートしたんでしょうか?
池永:打ち込みで始めて。で、たたき台を作って、みんなに曲を聴いてもらって。

──それは今までと同じ過程ですね。
池永:同じですね。変わらないです。過程は同じですけど、みんな上手くなりました。バンドのグルーブもいい感じですし。

──ダブを作ろうと思って取り組むのと、前作みたいにテーマがはっきりあって、それに沿ったものを作ろうと思う時と、具体的な作業って変わってくるんでしょうか。

池永:あぁー、照らし合わせるコンセプトがないので気楽ですね(笑)。

──テーマ、コンセプトが決まっていると、そこに向かっていくだけじゃないですか。でも向かうべき道がはっきりしていない場合はどういうことになるんでしょうか。
池永:全体像考えずにバーって曲作っていくうちに固まっていくんですよね。「あ、ここをこうしたら、あら恋っぽくなるやん」っていう。何か月かかけて曲がフィットして、自分の思うものになっていくみたいな感じ。

──たとえば、こうしたいけど、こういうやり方だとうまく行かなかった、でも違うやり方でやってみたらうまくいったとか、そういう繰り返しがあるわけですか。
池永:そうです。ずーっと繰り返し、繰り返し。煮詰まったら、抜けられないんで一旦置いておいて別のことやってから、また戻ってきてやり直し。

──例えば、音楽に限らずどんなものでもそうかもしれないですけど、自分の中でのある種のセオリーっていうか、パターンみたいなものって経験としてだんだん蓄積されていくでしょう。こういう風にやればこういう音が出るとか、こうすればこうなるとか。そういうことって役に立つものなんですか。
池永:めちゃめちゃ役に立ちますけど。それで終わらせちゃうとそれだけになっちゃうんですよ。「前と一緒やん」って。それをもう一個だけでもいいんで、変えないとだめなんですよ。それが時間がかかりますね。一個というか、一個だけじゃなくて何個も買えた方が良いかもしれないですけど、変えすぎると別の人の曲になっちゃいますし。でも手癖だけでやっちゃうとすっとできちゃうので(笑)。

──手癖に対する態度って、音楽家によって違っていて。手癖は絶対に排除したいっていう人もいるし。手癖は自分の個性なんだから良いじゃん、って言う人もいるんですけど。池永さんは前者だと。
池永:真ん中っす。

──あ、真ん中(笑)。
池永:っぽいでしょ(笑)!手癖は絶対に個性なんですよ。でも、手癖を全否定してやってる人なんて、俺はいないと思います。でもあれって不思議なもので、手癖を最後にポッて入れるだけで自分のものになったりする。逆に手癖から少し変えるだけで、全然新しいものになったりする。一、二個変えただけで見え方、雰囲気が随分変わる。自分のいつもの手癖のフレーズなのに、こんなに変わるんや、って。テンポを変えたりとか、音色を変えたりとか、変なところにブレイクを入れてみたりとかで、十分成立するんですよね。

言葉で共振しあおう、共感しようとは思っていないです。共振が熱狂を通して力を持つと戦争に繋がることもあると思うので。大きい共振は怖いです。

――確かにそうかもしれませんね。さっきノイ!とかクラウトロックという言葉が出ましたが、今回のアルバムを聴いていて、ちょっとROVOっぽいところもあると思いました。
池永:そうです。「Contact」とかROVOっぽいですよね(笑)。ROVOの根幹のひとつってクラウトロックだと思うんですけど。ウチもクラウトロックっぽいことをやろうとして、で、クラウトロックでやってへんこと、ノイ!がやっていないことって何かあるかなって考えて、移調とか転調って絶対やっていなかったじゃないですか。だからそれを細かいスパンで入れていったら面白いなって。で、その転調をジャンプ台に面白い方向へ積み上げていったらなんかROVOっぽくなってしまって。ROVOは好きですけど、ROVOを真似してROVOっぽくなったわけではないから。あら恋っぽい仕上がりになったしOKにしました。

――ROVOはジャズや即興演奏を昔からやっている、めちゃくちゃテクニックのある人たちが、シンプルな繰り返しの多い音楽をやるとああいう風になる。
池永:根幹が違いますもんね、ウチと。だからいいかな(笑)。

──別に意図しているわけでもないのに何となく共鳴(響鳴)してしまうみたいな感じ。
池永:そうそう、響鳴です。

──で、ダブがコンセプトだって言っても別にそれだけじゃない。
池永:そうです、そうです。そんなわけではないです。

──結果的に、必ずしもストレートなダブじゃないわけじゃないですか。
池永:全然、全然(笑)。そうですね。

──そこがやっぱり池永さんらしいと思いますね。
池永:確かにね。それは思います。ずっとダブやったらあら恋としては違うんですよ、やっぱり。アルバムとして物語があるのがあら恋なんで。そういうアルバムも良いですけど。ウチの場合は飽きずにストーン!っと聴かせたいなぁと思って、ジャンルの真ん中をいくんじゃなく、ちょっとこう、紆余曲折を経た方が良いんじゃないかなと。ダブメインじゃなくなっちゃってますね。

──今回アルバム・タイトルは「共鳴」ではなく「響鳴」となっていますね
池永:鳴り響かせたいなぁと。

──響きが大事だと。
池永:大事ですね。さっきも言ったマッシヴ・アタックみたいな感じで。響く感じの音場感として。物語として。

――たとえばJ-POPとかJ-ROCKって、「共感」の音楽だと思うんですね。あるある!とか、わかるわかる!とか。そういうところで成り立っているのがJ-POPとかJ-ROCK。そうじゃない、共感とかじゃない、響くところ、音の響きとか心の響きとか感情の響きとか、そういうもので繋がっていく感じがあら恋の音楽なのかなと。
池永:それ(その言葉)、使いたいです(笑)。でも、確かにそうです。そんな感じです。言葉で共振しあおう、共感しようとは思っていないです。共振が熱狂を通して力を持つと戦争に繋がることもあると思うので。大きい共振は怖いです。あら恋は自分の為に作っていることが多いので。それを皆さんに聴いてもらえたらなという感じなので。言葉もないですし。音を含めての。

──こうやって喋っていても、池永さんって饒舌な方じゃないですか。決して無口なタイプではないですよね。
池永:(笑)確かに無口ではないです。

──でもその割に音楽は前作もそうだし、今回も全曲インストでしょ。
池永:そうですね。確かに。音でわかってほしい、というのが俺はありますね。あまり言いたくないことですけど(笑)。

──あのね、経験則的に言うとテクノとかエレクトロニカとか、そういうインスト中心の音楽をやっている人って、だいたい饒舌な人が多いんですよ。
池永:そうなんですか!

──むしろ、普通のロックをやっている人の方が、無口な人は多いです。言葉を使わない音楽をやっている人って、意外と饒舌なんですよ。インタビューとかになると。
池永:それ面白いですね。

──けっこうほぼ例外なくそうですね。テクノやっている人で無口って、俺は会ったことないもん。
池永:(笑)意外。

──普段よく喋るから、音楽は言葉じゃない方を求めているのか。最終的に言葉じゃないものを信じようとしているのか。それとも言葉じゃないもので勝負しているから、普段は言葉を信じているのか。
池永:あぁー。俺、言葉はあまり信じていないですね。っていうとカッコ良いんですけど。基本活字は苦手なんですよ。喋る分にはバーッて喋れるんですけど。擬音が多いんですよ。だから音楽になったのかな。喋る時は自由にノリでグルーヴで喋れる(笑)。

──前作のインタビューの時に次は何をやるかって話になって、歌モノをやろうかみたいな話を半分冗談でしていましたけど。結局歌モノにはならなかったですね。
池永:予定はあったんですよ(笑)。でもいろいろ事情があってうまくいかなくて流れました。だからインストで考え直して…これでいけるわ、と。

──そんな事情があったんですね。池永さんは言葉はあまり信じてない。でも今回このアルバム・タイトルも含めて、曲ごとのタイトルがすごくシンプルで、シンプルだけど色々な含みのある言葉が選ばれていますね。いろいろと想像力を働かせたくなる。
池永:そうです。いろんな含みのある単語が多いです。可能性のある言葉というか、それは考えてます。

感情を四捨五入したくない。


──今回は冒頭の二曲のミュージックビデオも作られていますね。「Stance」の方は、街の風景を。
池永:はい。10年ぐらい前にハイエイト・カメラで撮ってたのが出てきて、東京に出てきたころの。これは面白いなぁと。



──前作の「東京」の続きみたいな感じもありましたね。
池永:確かにね。しかも酔っぱらった帰りみたいな感じ(笑)。撮った段階でああいう感じになっていたんですよ。

──あ、そうなんですか。あとから加工したのではなく最初からああいう感じの。
池永:ハイエイトカメラの機能でああいう風に撮影できるのがあって、掛け録りです。それが面白くて、パソコンに取り込んで編集をしなおして。それが「Stance」です。

──タイトルも抽象的だし、歌詞がないこともそうだし。映像もはっきり明瞭に映すんじゃなくどこか曖昧で。具体的にハッキリ述べるっていうことがないじゃないですか。
池永:ないです。

──それは常に意識していることなんですか。
池永:俺、そういうのが好きなんです、やっぱり。隙間に情緒があるっていうか、揺れてる感情にグッとくるんです。

──ハッキリ言うのは、あまり好きではない?
池永:違うことは違うと言った方が絶対良いんですが、表現する上では感情を四捨五入したくなくって。ハッキリ言った方が伝わるんですが、四を捨ててる時点でちょっと嘘じゃないですか。むしろ捨てた四の方に表現するべき事があるかもしれないし、だからいろんな感情を大切にしたいです。

──「Round」の方は、タイトル通り回っているものを色々と写している、
池永:そうです(笑)。

──あれは映像作家の方が作られたんですか?「なょ」とクレジットがありますが。
池永:あれは僕です(笑)。”いけなが”の”な”と、”しょうじ”の”ょ”をとって”なょ”。発音できないでしょ(笑)。

映像っぽい音楽を作りたい


──資料には「シネマティック・ダブ・バンド」とありますが、映像と音楽のつながりを常に意識されているということですよね。
池永:意識しています。あ、いや、でも、そんなにしていないですね。音楽で映像っぽいことをしたいな、というのはありますけれども。

──「映像っぽい音楽」というのは、どういう音楽でしょうか?
池永:映画って物語があるじゃないですか。その物語に沿って映像とかイメージをあてていく。セリフではなく表情や実景で物語を語る事もある。それを音楽で、とりわけ言葉のないインストミュージックで物語が浮かぶような音楽をやりたいなという。何らかの映像的なシーンを浮かべて曲を作っているというよりは、物語の方です。「シネマティック」というのはそういうことですね。

──言葉にしなくても物語がある。
池永:あります。「Round」とか、不穏な中で、いったん落ち着いて、途中に綺麗なテルミンが入って、コード進行が変わって、美しくなる、みたいな。演出のところ、ですかね。ちょっと伝わりづらいですかね(笑)。

──要するに、音で綴られた物語ということですね。
池永:そうです。音響の物語。音響の中でも物語は作れるよ、っていう。

──何となくの曖昧な気分を音にした、というのとは、ちょっと違う。明確に音楽に起伏があってドラマチックな流れがちゃんとある。
池永:そう。ドラマチックな部分を入れよう、入れるためには、ちょっと引いた、ドラマチックじゃない平たいパートを溜めれば溜めるほど、ずっと同じコードで行って、溜めれば溜めるほど、ちょっとコードが動くだけで物語がグッと動くんですよ。

──あぁ。なるほど。
池永:始めからコードがバンバン動いていたら、全然来ないんですけど。溜めれば溜めるほど動いた時にグッと来る。

──単なる繰り返しだけではなくていざと言うときに変化をつけて、聴く者の感情を動かす。
池永:そうそう。どこでグッと来させるかというのが、映像的だと思います。そこらへんは、実際の映像の編集を見ていると勉強になる部分があるので。それを音楽に活かしたいなと。

──コードの鳴りを変えるだけで、いきなりグッと来ちゃったり。あれは不思議ですよね。
池永:不思議ですよね。一気に夕焼けっぽくなるとか、そういう何か、ありますよね。このまま淡々と終わっていくよなーって思ったときにフッと変わると、グランってくる。ここで泣かせるんや、って。意外なところでグッとくると、あぁあああってきますね。

──それはいわゆるドラッギーなハマり方とはちょっと違うかもしれませんね、
池永:違いますね、全然。感情の方だと思います。心の方、物語の方だと思いますね。グッとくる、エモーショナルな感じがやっぱり好きなんですよね。

──それを言葉でドラマチックにするんじゃなくて、音で演出していく。
池永:音で、音響でみせていきたいです。ウチってけっこう、わかりやすいじゃないですか。20分同じワンコードでやるとかじゃないので。結構わかりやすい展開をしている。難しくやるよりも、わかりやすいほうが好きなので。

──さきほども「飽きずに聴かせたい」という言葉がありましたが、聴く人にとってわかりやすいものを作りたいという意識は常にある?

池永:ありますね。聴く人が飽きないもの、わかりやすいもの。

──わかるやつだけわかればいいとは、思わないでしょう?
池永:思わないです、思わないです(笑)。わかってほしいです。

──それは池永さんの音楽の基本にある気がします。ある意味、人懐こいというか。
池永:あぁ。ありがとうございます(笑)。

──自分一人に閉じこもって、他の人は関係なく自分の気持ち良いと思う音だけを出している、という感じはない。
池永:ないですね。

──こういう音楽を自分一人でコンピュータに向かってやっているんじゃなくて、最終的にはちゃんとバンドでアウトプットするのは、ちゃんとわかりやすく伝えたいという意思の表れなのかなと。
池永:そうですね、自分ではあまり思ったことなかったです(笑)。それおうてます。でも聞かせるために作っているつもりもないんです。それが第一に来ちゃうと、ちょっと変わって来るじゃないですか。お客さんのためにウケるものを作るんじゃなくて、自分のやりたいことを、お客さんに。

──やりたいことがあって、それを理解してもらうために、いろんなことをやっている。
池永:わかりやすくしている、聴きやすくしているというとアレだけど。でも、グッとくる感じにしたいということは、そういうことでしょうね。

──昔、あるインディーズのアーティストが「自分としてはこのアルバムで完璧に自分のやりたいことができた。だから、誰にも聞いてもらわなくてもいい」と言っていたんですよ。要するに自分が満足するものを作るのが一番大事なんで、それが聞き手にどう届くかは二の次だと。でも池永さんはそうは考えないですよね。
池永:自分のやりたい事はやりますが、それをお客さんにもちゃんと届けたいです。

──そういう人だったら「響鳴」っていうタイトルはつけないですよね。曲も「共振」っとか「Contact」とか。繋がりたい、という気持ちが、どこかに現れているのかなと。
池永:たしかにそうですね。ありますね(笑)。

──「Come」とか。「来い」って言っているわけだし。
池永:そうですね!やべぇ(笑)。うん、たしかにそうですね。俺、わかってほしいです(笑)。中二病か(笑)。そっち側です。聴いてほしいし、わかってほしい。

──音源に関しては池永さんがひとりで作っているわけですが、そのさいの判断はどうしていますか。一人で作っていると客観的な視点って、なかなか持ちにくいじゃないですか。
池永:それは、他人に聴かせます。

──奥さん?
池永:そうそう、妻とか。あとはスペシャの人とか。メンバーには、ちょっとカッコつけてもうて、大体なんとなくでき上がってサマになってからくらい(笑)。だから他人に判断してもらうことが多いです。みんな結構厳しいです(笑)。でも、厳しい方が良いんですよ。だから土台で結構いいものを作っておかないとOKがでないので。聴いてくれない(笑)。

──自分の身の周りに厳しい聞き手がいるので、ある種客観性が担保されている。
池永:そうです。でも最近は減っていますね、人に聞かせるのは。自己判断ができるようになりました。昔はほんま、人に訊きまくってたけど。

──自己判断ができるようになったということは、自分の音楽を客観的に見られるようになってきたということでしょうか。
池永:ちょっと自信がついてきたのかもしれないです。自分を信用できるようになってきたというか。ちょっと中二病っぽいですけど(笑)。あ、これいいやん、って思うことを信用できるようになったという。うんでも、今回めっちゃ良いのができたと思います。毎回言っていますけど、めちゃめちゃ良い。

──本当に、あら恋らしいアルバムで。気持ちが良いし。新鮮だし。これ、ジャケットの絵柄はどういう?
池永:これはいつもあら恋でジャケットやデザインをしてくれているSHOHEI TAKASAKI君の作品で。あぁ、合うなあと。これで響鳴って面白いなと思って。生活感がすごいですよね。

──緊縛されているということでしょうか?
池永:縛られていて。どういう意味合いかは聞いてないです。音源聴いて何個か送ってくれて。これを選びました。

──このインタビューが掲載されてすぐに京都・東京・大阪でライヴがあります。どんな感じになるんでしょうか?
池永:東京は映像と照明で響鳴な空間を作りたいです。照明とVJと打ち合わせをしているんですけど、良い感じですよ。開場から僕がアンビエントライブやります。そのままシームレスにあら恋ライブに繋げる予定です。オープンからクローズまで一本のショーにしたいです。大阪はハードダブなライブにします。京都は久々のワンマン、ガッツリやります。どれも無茶苦茶楽しみです。必ず良いライブします。是非、観に来てください。

(2023年12月22日 東京・スペースシャワーにて)

2024年1月「Dubbing XIV」レコ発ワンマンライブツアー決定!

京都 2024年1月14日(日)@Club METRO
Dub Mix:石本 聡
open 17:00 start 17:30 advance ¥4,000+1D

<先行早割チケット> ¥3,500 +1D
受付期間:10/18 wed 18:00 ~ 10/31 tue 23:59迄
『早割お申し込み方法』
<ticket@metro.ne.jp>にて受付いたします。
件名を「1/14 あらかじめ決められた恋人たちへ 早割希望」とし、
お名前と枚数を明記してメールして下さい。
受付・詳細

<e+前売チケット>11/1(wed)10:00~

東京 2024年 1月18日(木)@Shibuya WWW
VJ : rokapenis、照明:谷田 明彦、Dub Mix:石本 聡
open 18:45 start 19:30 advance ¥4,500+1D
<タイムテーブル>
18:45 open
19:00 池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)アンビエントセット
19:30 あらかじめ決められた恋人たちへ

<オフィシャル先行予約 >10/18 wed 18:00 ~ 10/30 mon 23:59 受付URL

https://eplus.jp/sf/detail/3979370001-P0030001?P6=001&P1=0402&P59=1

<e+プレオーダー>11/2 thu 18:00 ~ 11/8 wed 23:59 受付URL https://eplus.jp/dubbing-xiv/

<一般発売>11/18 sat 10;00~
e+販売 (URL)

ぴあ P CODE:255-121
ローソンチケット L CODE:

https://l-tike.com/arakoi/

問い合わせ WWW 03-5458-7685
主催:BIAS & RELAX adv. 企画制作:BIAS & RELAX adv.

「Anasickmodular」
2024/01/13(Sat)
At Namba BEARS
Open:16:30 Start17:00
Adv.¥2,500 Door¥3,000

あらかじめ決められた恋人たちへ
Shinjimasuko
KK manga
sense of life
SLUG

Info: slug122020@gmail.com /


[小野島による、あらかじめ決められた恋人たちへ 過去インタビュー]

 

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