[追悼] 鮎川誠

 90年代の前半にロンドンでキンクスのライヴを見たことがあって、感激した私は「ミュージックマガジン」にその時の感想を書いた。その記事を鮎川誠さんが読んでくれたらしく、その後取材で初めてお会いしたらその記事の話になり、私が書いたことを言ったら鮎川さんは驚いて「おお、あの記事はあなたが書いたんですか。バンドやっとってこんな風に書いてもらったら幸せやろうなあ、と思うとった。そうですか、あなたが書いたんですか」と感慨深そうに言っていただいた。その後何度か取材させてもらったけど、一番記憶に残っているのはその一言だ。ミュージシャンを喜ばせるために原稿を書いたことはそれ以前もそれ以降も一度もないつもりだが、鮎川さんの記事に関しては、そんな意識が働いていたかもしれない。

ミュージックマガジン1993年6月号

 その後パンタさんから聞いた話だが、パンタさんがサンハウスを辞めたばかりの鮎川さんとバンドを組もうとして声をかけたけど、もうシーナさんとやることに決めていた鮎川さんは、そのオファーを丁重に断ったという。もし実現していたらシナロケはなかったかもしれないし、「マラッカ」や「1980X」は全然違うアルバムになっていたかもしれない。でも一度パンタさんのバックでバリバリ弾きまくる鮎川さんを見たかった。

 病を隠し最後までクールでホットなロックンローラーであり続けた鮎川さんを見習って、もし私が病に倒れることがあっても、誰にも言わずひっそりと死んでいこうと決めた。

R.I.P.


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