[映画評」「アルツハイマーと僕〜グレン・キャンベル音楽の奇跡〜」(2014年 ジェームス・キーチ監督


 Apple TVにてレンタル鑑賞。カントリー歌手のグレン・キャンベルが2011年に75歳にしてアルツハイマーを発症し、音楽活動断念を決心。あえて自らの病気を公表して、全米105箇所を回る最後のツアーに出た、その一部始終を追ったドキュメンタリー。

 今が何年なのか、ここはどこか、アメリカの初代大統領は誰か、はては自分の娘や妻の名前もわからない。でもステージに上がれば別人のようにイキイキして、往時と変わらぬ張りのある歌声と見事なギター・テクニックを披露する。認知を司る脳の領域がどんどんシュリンクしていくが、グレンの場合その中で音楽に関するエリアが多くを占めているのだろう、という医師の言葉もある。いろんな記憶を失っていっても、音楽する本能だけは忘れない。着々と症状が進み、日常生活はおろか次第に演奏にも支障が出るようになる後半のあたりはつらいが、本人のキャラが至って明るくアッケラカンとしているので、事前に覚悟していたほど悲惨なトーンにはならず、最後までカラリとしている。ブルース・スプリングスティーンやジ・エッジ等もコメント出演。

 イメージが何より大切なはずのポップ・スター、それもグレンほどのスーパースターが自らの病気を公表し、ステージ上のみならずオフ・ステージまで撮影を許すとは勇気があるし、家族もよく決断したと思うが、3人の子供がバックバンドをつとめ、妻もツアーすべてに同行するという家族あげてのバックアップがあったからこそできたことだろう。その意味でグレンは恵まれている。ツアー各地に詰めかけた客もすべてを承知して、これが最後だとわかっているから暖かい。アーティストとしては幸せな晩年だったと言っていいだろう。グレンはツアー終了後に引退状態となり、2017年に亡くなっている。

 グレン・キャンベルは私がポップ・ミュージックを聴き始めたころには押しも押されもせぬ大スターで、ヒット曲も連発していた。でも同じカントリーと言っても(たとえばジェリー・ガルシアが頭を下げて教えを乞うたという)ジョニー・キャッシュのような「大御所」ではなく、もっと大衆的で庶民的な、いわゆるポップ・カントリーの人なので、ロックしか興味のなかった当時の私には全く縁がなく(当時で言えばアンディ・ウイリアムスとかトム・ジョーンズとかエンゲルベルト・フンパーディングと同じクラスタ)、いくつかのヒット曲にかろうじて聞き覚えがある、程度の知識しかない。にもかかわらずこの映画を見たのは、やはり「認知症」というテーマを扱っているからだ。身近に認知症の人がいたり、現に介護してたりする人にとっては身に積まされるはず。同じことを何度も何度も訊いたり、なくなるはずがないものをなくなったと大騒ぎしてアイツが盗んだに違いない、などと当たり散らすあたりの描写は、とても他人事とは思えないという人も多いだろう。私が見ている最中ずっと感じていたのは、私もいずれこうなるかも、という思いだ。それは私がもう老齢と言われる年齢になったからだが、アルツハイマーは老人だけのものではなく、若年性のものもあるし(それを描いた名作が渡辺謙主演の「明日の記憶」)、脳に突発的なアクシデントがあれば、それで発症することもある。若い人だっていつそうなるかわからないのだ。

 グレン・キャンベルはアルコール依存症だったこともあるようで、認知症の発症にはそんなことも関係しているらしい。いずれ人間は死ぬとしても、その瞬間まではしっかり意識のある、自分が自分である状態のまま逝きたいものだ。ヒトの心を優しく支えるのは「記憶」「思い出」なので。

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