シド・バレットのドキュメンタリー映画「シド・バレット 独りぼっちの狂気」を見た。

 昨日(4月5日)はカート・コベインの命日だった。そんな日にシド・バレットのドキュメンタリー映画の試写を見た。

 なんというか、いろいろ考えさせられた作品だった。

 家族(姉)、ピンク・フロイドのメンバー全員と主だったスタッフ、関係者、ジャーナリスト、友人、歴代の元カノまでが勢揃い、同時代の音楽家としてピート・タウンゼンドまで登場してコメントする。本人の映像が少ないから証言者の数で補うしかないんだろうが、この映画の「本気度」がわかると思う。そうは言っても、画期的な新事実などは特になく、わりとよく知られている事実が述べられるだけ。それでも本当に身近にいた当事者でしか語り得ない迫真のコメントで、もう50年以上も前に人前から姿を消した希代の天才アーティストの実像が浮かんでくる。

 ロジャー・ウォーターズが冒頭で、もしシドがいなかったら我々はただのブルースやR&Bのコピー・バンドで終わっていたはずだ、と述べる。確かにそうかもしれないし、メンバー全員そういう思いなのだろう。でもシドがああいうカタチでリタイアしたからこそ、残されたメンバーの才能が開花したのも間違いない。もしシドが健康なままバンドを抜けずフロイドのフロントマンであり続けたら、ロジャーの才能が花開くのはもっともっと遅くなっていただろうし、「原子心母」も「狂気」も、もちろん「炎」も生まれることはなかったかもしれない。デイヴ・ギルモアに至ってはピンク・フロイドのメンバーになることもなく、趣味的なブルース・ロック・バンドのギタリストで終わっていた可能性すらある。そうであるからこそ、シドの存在はいつまでも関係した者の心に消えないしこりを残したんじゃないか。もし彼がジミ・ヘンドリックスやジム・モリスンのように、あの時あっさり死んでいたら、残された者の気持ちの整理もすぐについただろう。生きながらえながら精神の荒野を30年以上にもわたって彷徨い続けるという壮絶な人生だったからこそ「もし自分があの時シドに救いの手を差し伸べておけば」「もし自分が見捨てなければ」「自分がこうしている間もシドは彷徨い続けている」「自分たちは彼ほど純粋ではなかった」という思いをずっと抱えてこの人たちは生きざるをえなかったのかもしれない。一般のファンも同様だ。「この人を追い詰めた好奇に満ちた視線のひとつが自分だった」という後ろめたさから逃れられない。そんな人たちが彼の死から15年以上がたって初めてフラットに語れるようになった。今がそのタイミングだった。そんな感想を持った。

 1967年の時点で、世界で一番クールでヒップで才能溢れるかっこいいロック・スターは、ジム・モリスンとシド・バレットだったことは間違いない。その2人とも、アーティストであることとロック・スターであることの相克に耐えきれず自壊していったのはあまりに象徴的だ。そこにはもちろん60年代のサイケデリック〜ドラッグ・カルチャーが背景にあるわけで、両者とも70年代の開幕と共に退場していったのは偶然ではない。

 そしてそれから20年以上がたって、同じような理由で我々は希代の才能を持ったカート・コベインというロック・スターを失ったのだった。

よろしければサポートをしていただければ、今後の励みになります。よろしくお願いします。