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[過去原稿アーカイヴ]Vol.9 ニック・ケイヴ・インタビュー(1996)

  ニック・ケイヴが『マーダー・バラッズ』(1996)をリリースした時の対面インタビュー。ニック・ケイヴはこのあと第2回フジロックで来日しているが、それ以降来日ツアーは一度も実現していない。掲載は「ワッツイン」誌。

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 ニック・ケイヴが新作『マーダー・バラッズ』をひっさげて来日した。パンク/ニュー・ウエイヴの怒号の中から出発し、84年のソロ1作目『フロム・ハー・トゥ・エターニティ』以降、研ぎ澄まされた詩世界と深くルーツに根ざした音楽世界の融合で完全に独自の地位を築いたニックは、アルバムを発表するごとに前回の自己世界記録を更新していくという離れ業を演じているが、9作目にあたる今作も例外ではない。そしてライヴも、それにふさわしいテンションを感じさせる壮絶なものだった。

 今回の取材は新作のテーマである「死」を巡って、ニックの人生観と精神的な変遷について探ってみた。まずは前作『レット・ラヴ・イン』で愛の極限を追求したニックが、なぜ今回「殺人」をモチーフにしたのか、という点である。

 「たとえば新作の“ホエア・イズ・ザ・ワイルド・ローゼズ・グロウ”は、長い間俺がとりつかれていたカイリー・ミノーグへの耽溺と執着について歌った。つまりあれは彼女へのラヴ・ソングなんだよ。実際に会ったことは一回もなかったけどね。そのモチーフを殺人にしたのは、次第に彼女から離れていく俺の気持ちの比喩なんだ。

 俺はいろんな愛の歌を歌ってきた。だがその多くは、究極の怒りの歌なんだよ。愛とか恋とか女性との関係ほど、俺の心を落ち込またり、怒らせたり、殺してしまいたいと思わせるほど激しい感情を植えつけるものはない。きっと、どこかでその女性に騙されているのでは、という恐怖なんだろうね。俺はまだ恵まれているよ。そういう感情を歌にすることによって、中和できるんだから。確かにそういう意味で、人を殺すという行為には愛と非常に密着した感情がある、と言えるだろうね」

 「ロック無頼派詩人」の異名にふさわしく、度をすぎたドラッグやアルコールへの耽溺など、つねに死と隣り合わせの人生を送ってきたニックは、38歳の今になって初めて死を意識したという。

 「若いころは向かうところ敵なしだった。ありとあらゆるドラッグや酒を浴びるほどやって、そうすることによってある種の力が得られると思い込んでたんだ。でも38歳になって、そんなことありえないと悟った。若いころに比べるといまはずっと思慮深くなってる。世の中や周囲の人たちと、より強い関係を築いている。若いころにはそれができなかった。若いころはただフラフラと根無し草のように彷徨して、物事に深く関わることを避けていた。だが次第に、より現実的にものを見なければならなくなった。もし俺の人生に何か悲しい出来事が起きたとしても、以前の俺ならただ現実逃避していたろう。でもいまは、人生をあるがままに受け入れることができる。それが歳を取るということなのかどうか、俺にはわからないがね」

 以前ニックは「マーシー・シート」という自己告白的な曲で「俺は死を恐れない」と歌っているが、その心境も変化してきたのだろうか。

 「そうだね。死が怖くない人なんかいないよ。なぜ死が怖いかっていうと、自分の存在が消えてなくなって、みんなから忘れられてしまい、この世で自分のやったことがすべて無駄になってしまうんじゃないか……って恐れなんだ。だから俺の場合、つねに創造してなきゃならない。いつでもレコードを作ったり詩や本を書いたりする必要があるんだ。死の恐怖は、あらゆる人の生き方に影響を及ぼしてる。だからみんなお金を稼いだり、家族を持ったり、さまざまな生産活動をする必要があるんだ。俺は、自分がやり遂げようとしていることが最後の土壇場になって無意味になってしまうことが、一番怖い」

 そうしたニックの変化は、やはり子供を持ったということが大きいようだ。

 「子供と一緒にいることで何が変わったかといえば、俺と世の中の間に、ある種の精神的な繋がりができたことだ。この俺にも世間と現実的な関係が持てる、ということを子供が教えてくれたんだよ。俺は過去、どんな人間関係でも、そのように感じたことはなかった。ガールフレンドとでも友人とでも、その人たちと自分の間に何か現実的な繋がりがあるなんて、考えたこともなかった。いつ、どこにいても、ある種の疎外感を感じていたんだ。だが俺の子供が、俺と世の中を繋げてくれた。そして、こんな俺にもどこかしら取り柄があって、良い人間になれるってことを教えてくれたんだよ。俺の視野を広げてくれたのさ。

 残念ながら音楽はその役割を果してはくれなかった。確かに音楽などの創作活動は自分に大きな自信を与えてくれたよ。でも長い間それだけにすがりついてしまい、自分の身の回りにおこっている出来事には無関心だった。レコードを作ることさえできれば、それがどんなに破壊的な力を働かせても、まるで関心がなかったんだ。俺は音楽を作ることによって、ただのロクデナシじゃなく、何者かでいることができた。しばらくの間は、それで良かったんだ。でも、そういった名声は傷つきやすいものなんだ。いずれ消えてなくなるものだし、そうなりゃ俺はただの欠陥人間だよ。俺はいつも、もしいつか曲を書けなくなったら……という恐怖で一杯だった。

 でも、そんなときに、ほかにも何かできることがあるって、子供が教えてくれたんだ。そうしたら“いつか何も創れなくなるんじゃないか”という恐怖は消え去ったよ。いまや、もしも自分からクリエイティヴな才能がなくなったとしても、それほど気にならないと思う。世の中、それ以外にも重要なことはいくらでもあるからね。でも面白いもので、一度その恐怖が取り去られたら、以前より一層クリエイティヴになったように思うんだ」

 そうしたニック・ケイヴの創作活動で重要なモチーフとなるのは「神」である。歌詞にも聖書のエピソードの引用やキリストについての言及が数多く見られる。前述の彼自身の人生観の変化と、宗教観にはなにか関連があるのだろうか。

 「神は常に自分自身の中にある。俺は、それ以外の神を信じていない。キリストが伝導した言葉は、実は俺自身のものの感じ方の基本なんだ。キリストの生き方は、運命とか言われてる理不尽な支配と戦い続ける人間の象徴だと思う。俺は天国も地獄も信じていない。キリストが語る天国や地獄は、我々の心の中に存在しているんだ。

 キリストの言葉は俺の生き方の基本にある。さまざまな現実的場面に遭遇すると、それがよくわかる。俺に確信をもたらしてくれる、的確な対処の仕方やふるまい方が、彼の言葉にはあるんだ。それは俺の仕事にも影響してる。つまり、俺の中にある“良い部分”っていうのが、ある意味では神との直接の繋がりを示すと言えるだろう。それに改めて気づかせてくれたのが、子供の存在かもしれない」

 かって「暗黒大王」などと言われ、つねに人間存在のダーク・サイドを見つめつづけたこの男にして、この変化。『マーダー・バラッズ』も、タイトルから受ける印象ほどの禍々しい雰囲気はなく、まるで伝承童謡のようなファンタジックなユーモア感覚さえ、感じられる。かってのニックが同じモチーフを扱っていたら、もっと陰惨なものになっていたろう。そうした自身のポジティヴィティについてはどうか。

 「俺は自分がポジティヴなのかどうか、わからないよ。ただ俺は、他の誰とも同じように、物事や人生と戦っているだけさ。世の中にはいろんな生き方がある。死を忘れようとしてドラッグをやったり、酒を飲んだりしながら人生を送ることもできるし、何も考えずテレビを見て楽しんで、子供を育てて終わる人生もあるだろう。でもそうじゃなく、もっと精神的な生活を送ることもできる。だがそれには、ある種の秩序や規律が必要だろう。物事すべてに対して反抗的なのに、神との繋がりを持つことはむずかしい。そのためには、世界とある種の調和を保つことが必要だ。人生とは苦しみの連続だ。みんな大なり小なり苦しんでいる。だから、そこには逃げ道がいつも用意されている。それを現実逃避というなら、俺はそれほどポジティヴじゃない。でも、それが人生なんだよ。“いつか人は死ぬ”って考えは、“人生は苦痛だ”ってことを暗黙の内に物語っている。でもそこには、苦痛を乗り越え、生きていく手段だって、存在している。それが俺たちの人生の基本なんだよ……。今日はえらくヘヴィな話が続くな。ここらで気分転換に、音楽の話をしてみないか?(笑)」

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