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[過去原稿アーカイヴ]Vol.18 Public Image Limited『Metal Box』ライナーノーツ(2011)

 ジョン・ライドンのPILが1979年に発表したセカンド・アルバム『Metal Box』2011年にリマスター再発された時に書いたライナーノーツ。

『パブリック・イメージ』ライナーより続く)

 残念ながら僕は歴史の本の中には生きていない。僕はその次に来る新しい章を書こうとしているんだ。前のページは見ない。
 ──ジョン・ライドン(1980)

 パブリック・イメージ・リミテッド(PiL)のセカンド・アルバム『メタル・ボックス』(原盤番号 Virgin METAL1)をご紹介しよう。本作は1979年11月14日に発売され、全英アルバム・チャート18位まで上昇している。プロデュースは彼ら自身。メンバーはジョン・ライドン(vo)、キース・レヴィン(g)、ジャー・ウォブル(b)、ジム・ウォーカー(ds)の4人。初回限定缶入り・45回転12インチ3枚組という特殊パッケージで、完売後は通常の33回転LP2枚組・ペイパー・スリーヴで『Second Edition』と改題され再発された。そちらの方はチャート46位まで上昇している。

 本作はポスト・パンク〜ニュー・ウエイヴ期の英国ロックを代表するアルバムであるというだけでなく、広くロック史全般を見渡してみても、その突出したオリジナリティ、過激なまでの前衛精神、そしてそれらが時代の激動の中で奇跡的なまでに純粋に結晶化した空前にして絶後の異様な傑作である。メジャー・レーベルから出たアルバムとしては、そのパッケージングの奇抜さも含め、ファウストのファースト・アルバムと並び、もっともラジカルな実験精神が一切の妥協なく発揮された作品と言えるだろう。セックス・ピストルズのフロントマンとして時代を扇動し続けた男はピストルズからわずか2年で、こんなところまで行き着いてしまった。

 満を持してリリースされたファースト・アルバム『パブリック・イメージ』は、全英チャート22位と期待はずれの結果に終わった。これまでのピストルズ的/パンク的なものを期待するオーディエンスとの乖離が起こり、音楽的評価もまた決して芳しいものではなかった。78年のクリスマスにはロンドンのレインボウ・シアターで初ライヴをおこなうものの、ピストルズの曲をリクエストする観客とはすれ違い、腹を立てたライドンとレヴィンは客に背を向けて演奏する始末だった(ライドンが客に渡したビール缶が、栓が開けられないまま投げ返され、それがあやうくライドンに当たりそうになったから、というのが真相らしい)。だが彼らの意気は決して阻喪することはなかった。

 また彼らはマネージャーを置かず、すべての交渉事を自分たち自身でおこなっていた。マルコム・マクラレンにいいように搾取された経験から、アーティストがすべてをコントロールすべきという考えからだった。彼らのふるまいは、当然ながら既存の音楽業界と激しい摩擦を引き起こすことになる。

 1979年6月、10月と2枚のシングル(7インチ/12インチ)を発表、そして11月に発表されたセカンド・アルバム『メタル・ボックス』は、そのタイトルの通り、映画のフィルム入れを思わせる金属缶(地雷を想定したと言われる)に3枚の45回転12インチ・シングルが収められるという異例のパッケージで登場した。自宅に巨大なサウンドシステムを持つほどのオーディオ・マニアだったライドンが、レゲエ/ダブの重低音を再現するために、音のいい12インチ・シングルというメディアにこだわった結果だった。

 「年がら年中飽きもせずに発表されるアルバムのやり方には、もう嫌気がさしていたんだ。いつだって同じうんざりするようなありきたりの形式だ。25年前を振り返ってみたって、今と全く同じじゃないか」(ライドン)

 だが当然のようにレコード会社ともめ、結局缶入りは初回限定5万セットのみ(バンド側はもっと数多くプレスしたがっていたという)、缶の経費(35000ポンド)はバンド側が全額負担し、3ヶ月後には通常の紙ジャケ2枚組の体裁の『Second Edition』として再発されることになった。このあたりの騒ぎはクラッシュの『サンディニスタ』を巡るレコード会社との攻防を思わせる。まだアーティスト・サイドに立ったインディペンデントのレコード・カンパニーのシステムは十分に整っておらず、制作環境の自由を求め自らのアーティスティックなこだわりを押し通そうとするなら、旧来の音楽業界のシステムの中心であるメジャー・カンパニーと衝突せざるをえなかった時代の話だ。

 アルバム・リリース→プロモーションのためのツアーというルーティンに疑問を投げかけ、バンドにすべての負担を押しつけ利益だけをかすめとろうとするやり方に、広告やサンプルをエサに評論家や雑誌を飼い慣らし、プロモーションと称してメディアを操作して、クズのようなヒット・レコードをデッチあげる手口に、彼らはうんざりしていた。

「(自分たちの主張が受け入れられれば)おそらくレコード会社の独裁体制が崩れるだろうな。レコード会社なんて、中間に入ってうまい汁を吸う仲買人みたいなものだ。このシステム全体を変えなきゃいけない。僕らのやっていることは少し徹底しすぎかもしれないが、もし僕らの望むことの半分でも実現しはじめたら、素晴らしいことになる。そうなったら最高だよ。僕らもそれを願ってる」(ライドン)

 「僕らにとって一番大事なのはサウンドそのものと、全体としてのサウンドが人々に及ぼす効果なんだ。僕らはそういったことに必要な技術を身につけながら、サウンド作りに専念している。現在活躍中のバンドの中でも、僕らが一番進んでると確信している。僕らは何時間もかけて音を作る。でもレコード会社の連中には、こんな僕らの真剣な姿勢が理解できないんだ」(レヴィン)

 おわかりになると思うが、彼らの掲げていた要求は、インターネットが普及しインディペンデントなプロモーションやディストリビューションのシステムが完備して、DAWの普及でレコード制作にまつわる費用が激減、結果メジャー・カンパニーの力が相対的に弱まった現在において、実現しつつある。だが30年前のこの時点ではあまりに急進的すぎた。

 とはいえ、彼ら自身も認めているように、ヴァージンはまだアーティストに理解があるほうだった。まして元セックス・ピストルズという金看板を背負ったジョン・ライドンに対して、ヴァージンは大きな期待をかけていた。ヴァージンはライドンが敬愛するジャーマン・プログレッシヴ・ロックの宝庫でもあった。PiLのアヴァンギャルドなサウンドへの理解も、ある程度はあるはずだった。もしPiLのメンバーにもう少しオトナの判断ができていれば、事態は少し違っていたかもしれない。だがそこをくみ取り、ほどほどのところで妥協するには彼らはあまりに若く、純粋で、一途でありすぎた。だからこそ、この時期の彼らにしかできない、異様な傑作が生まれたのである。

 特筆すべきは本作の録音の素晴らしさだ、通常よりもはるかに大きなバランスでとられたウォブルのベースが地を這うようにうねりまくり、五感を揺さぶっていく快感。まさしくレゲエのサウンドシステムのロック的展開と言えるが、この時期注目すべきは、彼らは自らをダンス・バンドと規定し、ディスコ・ビートへの関心を示して、ディスコ音楽を高い機能性をもった実用的な音楽として評価していたことだ。自らをダンス・バンドと見定め、ダンス・サウンドの本質とはリズムと「音響の快楽」であるという、クラブ・カルチャー以降ごく当たり前のこととなった概念を、この時点で徹底してアルバム・コンセプトとして打ち出した先見性には脱帽せざるをえない。だが、先駆者であるということは、すなわち孤独であるということだ。

 レゲエ、ダブ、ディスコ、カンやノイなどのジャーマン・ロック、現代音楽から実験音楽まで。ほとんど断末魔の悲鳴のようなライドンのヴォーカル、ソリッッドにタイトに刻まれる、あえてうねりを押し殺したような金属的なリズム、獣の咆哮のように悲しげなノイズを発するレヴィンのギター、世紀末の退廃と荒廃を奏でる美しくも恐ろしいシンセサイザーのメロディ。ヒリヒリするような孤立の念が押し寄せてくる。当時の彼らがいかに孤独な闘いを強いられていたか、ヒシヒシと感じる。どこを切ってもありきたりなロックやポップ・ミュージックのクリシェから逸脱していくような実験的なサウンド・プロダクションだが、決してただ難解なものにはなっていない。DISC 2)1のタイトル「POPTONES」はもちろん反語的な意味もあるが、同時に彼ら流の新時代のポップ宣言でもある。最前衛こそが最ポップにもなりうるという概念こそがPiLの、そしてこの時代のポスト・パンク/ニュー・ウエイヴの理念を象徴している。このPiLの試みが当時正当に評価されたとは言い難いだろう。だが20年後にアラン・マッギー(クリエイションの創始者)は新たに設立したレーベルに、この曲から名前をとって敬意を表した。ザ・ラプチャーを筆頭とするゼロ年代のポスト・パンク・リヴァイヴァルで、この時代のPiLが参照されまくったのは、PiLのサウンドが、20年を経てようやく<ポップの基準>として認められた証拠だろう。まさにそれは歴史の教科書の次(の次の次の次‥‥かもしれないが)の章に書かれるべき音楽だったのだ。

 本作のリリース後、ジャー・ウォブルが脱退。ライドン=レヴィン=ウォブルという奇跡のようなトライアングルによるPiLはアルバム2枚を残しただけで終わった。ベースレスという異常事態のまま新作の制作に突入した彼らは、『フラワーズ・オブ・ロマンス』というロック史に残る壮絶な傑作を産み落とし、あっけなく空中分解する。

 この『メタル・ボックス』は、まだ20代前半の若者たちが、音楽業界の旧弊なシステムや、ポップ/ロック・ミュージックの手垢にまみれた<伝統>とやらに果敢に挑んだ記録である。その音は未だに、いや今だからこそ圧倒的なまでのリアリティを放っている。PiLの音楽を聴くことは、単なる形式やスタイルを超え脱ロックから反ロックまで至る、しかしある意味でロックのもっとも根源的な本質に肉薄していくことだった。

*本作に先立ち、2枚(それぞれ7インチ盤と12インチ盤あり)のシングルがリリースされている。
●DEATH DISCO  / AND NO BIRDS DO SING (VIRGIN VS274) (6/79)
 7インチ盤。"DEATH DISCO"は本作収録の「Swan Lake」と同じ曲。AB面とも本作収録とは別ヴァージョン。全英チャート20位。
DEATH DISCO (1/2MIX) / DEATH DISCO (MEGGA MIX VS274-12))
 12インチ盤。ジャケは7インチ盤と同じ絵柄の反転。A面は7インチ盤のロング・ヴァージョン、B面はファースト・アルバム『Public Image』収録の"Fodderstompf"のインスト別ヴァージョン。
●MEMORIES / ANOTHER (VIRGIN VS299) (10/79)
 A面は本作収録とは別ヴァージョン。B面はアルバム未収録。12インチ盤も収録曲は同じ。全英チャート60位。

2011年5月24日 小野島 大 Dai Onojima

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