【黄昏学園SS-12】副葬書簡
ねえ、知っている?
人は、自分の願望の世界では、しあわせを感じることができないって。
だって、そこにあるのは、隠しきれない自分の剥き出しの欲を映した鏡だもの。
だから私は、私の願望の迷宮を作らなかった。一ノ瀬ちゃんが送り込んできた、解決部の部員の願望の世界を作り続けた。
さっき言った通り、自分の剥き出しの欲を反映した世界を見つめ続けられる人間なんて、いないから。こんなことは長続きしないって、分かっていたわよ?
──それでも、ああ。
希望。憤怒。友愛。絶望。
夢想。諦念。歓喜。覚悟。
きらきら、きらきら。
人の欲望は、なんて、きれい。
◆ ◆ ◆
私は塞翁小虎君の世界が好きだった。
彼はよく他人の言動やふるまいを見て、その人となりを汲んでいるようで、特に解決部の仲間は、見た目も人格も、現実世界とそっくりおなじだったから。
もちろん私の仲間だった一ノ瀬ちゃんも。
塞翁小虎君の世界の一ノ瀬ちゃんが、はじめて私を見たときの表情、最高だった。
眼鏡の下の瞳に力を込めて、整った眉を寄せて「最善君、どうして君がここにいるんだい?」なんて硬い声で言うのが、現実の一ノ瀬ちゃんそのままで、可笑しくて、嬉しかった。
「安心して。私はこの世界の守り人よ」
やさしくそう言ったんだけど、頑固な一ノ瀬ちゃんのことだもの。信じてもらえるまで、たくさん時間が掛かったわ。
でも、私がこの世界を守りたいって気持ちは本心だから。毎日時間をかけて、根気強く話すうちに、一ノ瀬ちゃんも少しずつ、私に心を許してくれるようになった。
もちろん、一ノ瀬ちゃんも、しあわせな一日のループを繰り返す世界の住人だから。
私はまず、初めて一ノ瀬ちゃんに会ったとき、こう言った。
「一日が終わって眠る前、入眠儀式として、記憶が一日しか保持できないこと、今日あったこと、私のこと、直筆で日記に綴ってほしいの。それでね、朝起きてまず手に取るもの、一ノ瀬ちゃんは眼鏡かな? そう、たとえば眼鏡の下に、その日記を開いた状態で、置いておいてほしいの。どうか、このお願いだけは、聞き届けてくれないかしら?」
外部記憶装置。
自分の筆致で書かれたものを、聡い一ノ瀬ちゃんは、ただしく理解するでしょう。
こうして、私と一ノ瀬ちゃんの毎日が始まった。
一ノ瀬ちゃんの私への態度は日を追うごとにやわらかくなって、その変化が、外部記憶装置の日記をつけ続けてくれたことが、私はとても嬉しかった。
一ノ瀬ちゃんとの信頼関係が戻ってからは、解決部の部室で、別の世界から来た塞翁小虎君への対策を、一ノ瀬ちゃんと一緒に考えた。
深く考えごとをしたときに頬杖をついて、こめかみを指で叩く癖、変わらないのね。
購買部のプリンがひそかに好きなのも、お気に入りのニット帽をずっと被ってるのも、おんなじ。私のいた世界の一ノ瀬ちゃんと、何も変わらない。
ニット帽の毛玉を取ってあげるから、ニット帽を貸してくれる? って言ったら「髪に変な癖がついているだろうから、ここで脱ぐのは容赦してほしい」って、ちょっと恥ずかしそうに断ったこと。
放課後に雑貨屋を覗いたとき「最善君には可愛らしいものが似合うと思うよ」と、パステルカラーの小花のイヤリングを選んでくれたこと。
私を信じて入眠儀式を続けて「今日も予習をしてきたよ。君はこの世界の守り人の最善君だね」と、控えめな微笑みと信頼を私に寄せてくれたこと。
全部、私の宝物よ。
この世界が正史になればいい。
この世界なら、私と一ノ瀬ちゃんは意見を違えることもなく、手を取り合って歩いていける。
このしあわせを繰り返す世界なら、私もきっとしあわせになれる。
私と一ノ瀬ちゃんは一生懸命、この世界を守ろうとした。
この世界を現実にしようとした。
それなのに。
世界は、神様は、私ひとりの願いを聞き届けてくれるようにはできていないのね。
◆ ◆ ◆
塞翁小虎君の存在の消滅は叶わなかった。
彼との交渉も失敗に終わった。
そして私は、存在証明の戦いにも敗れた。
私は、物事の発端、一たる濫觴に次ぐ二であり、最たる善を選ぶ存在であり、
この世界の守り人の魔女、だったのに。
……存在証明の戦いは、どちらが力強く自己を確立するかにかかっている。
言葉は言霊。
言霊は魂。
魂は存在そのもの。
私は唇から魂のかたちを紡いだけれど、塞翁小虎君を服従させることはできなかった。
でも大丈夫。
彼が、存在証明が揺らがないし消えない、箱猫市における特異体質だって分かってからは、一ノ瀬ちゃんを隠し札のジョーカーにするって決めたから。
幸いなことに、塞翁小虎君は一ノ瀬ちゃんと接触してなかったから、彼は一ノ瀬ちゃんを、一日のループを繰り返す住人だと思っているはず。
私が塞翁小虎君と接触するとき、一ノ瀬ちゃんは学校の解決部で待機して、私が敗れたそのときには、一ノ瀬ちゃんが現実世界の一ノ瀬ちゃんに、塞翁小虎君の危険性を伝達するって決めてるの。
自分の日記を信じる一ノ瀬ちゃんと同じ、現実世界の一ノ瀬ちゃんなら、きっと自分の話を信じてくれるはずって作戦だけど。
この作戦を決めたときの、一ノ瀬ちゃんの眉間のしわ、すごかったな。
今ごろ一ノ瀬ちゃんは、解決部の部室で、メッセージを打ち込んでいるかしら。
はらり、はらりと、白い翳が舞い降りる。
私の夢見た世界が消えていく。
──ああ。
一ノ瀬ちゃん、ごめんね。
私はこの世界でも、あなたにちゃんとしたお別れを言いそびれてしまった。
現実世界と同じように、いざというときのために、あなたの電子機器に言葉を残しておいたのだけれど。
聡い一ノ瀬ちゃんだもの。この世界が終わる前に、気づいてくれるわよね?
……気づいてくれるといいな。
一ノ瀬ちゃん。
あなたが私を見て、もう一度屈託なく微笑んで、私を信じて、私の名前を呼んでくれたこと、すごく嬉しかった。
本当に嬉しかった。
世界の終わりを迎える、一ノ瀬ちゃんの側にいてあげたかった。
何もできなくて、ごめんなさい。
雪のような白い翳に埋もれる世界で、せめて、優しい終わりを迎えられますように。
どうか、どうか、安らかに。
この世界が消えたら、私も消えてしまうから。すぐに私も、あなたの後を追えるから。
そうしたら、また、笑って話しましょう?
もうひとつの世界の、大切な、かけがえのない、私の親友。
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