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【黄昏学園SS-8】つがいといっぴき

 榎本さんが立ち去って、おれはひとり、高級喫茶店に残される。
 喫茶店にいるのは、きちんとした服装の大人ばかりだ。おれみたいに耳にピアスをたくさんつけた、ゆるい服装の学生なんて一人もいない。

 場違いなところにいる居心地の悪さに背をまるめつつ、まだ温かなコーヒーをちびちび飲む。
 おれと違って、榎本さんは堂々と背筋を伸ばしてコーヒーとケーキを楽しんでいた。こういう場所でも気後れしない榎本さんは、すごく素敵で格好良い。

 ここが裏解決部の拠点になるなら、おれもこの雰囲気に慣れておかないと。
 さっさとコーヒーを飲んで逃げ出したい気持ちを抑えて、おれはバッグからロルバーンのメモ帳とペンケースを取り出した。さっき話してくれた榎本さんの依頼を、紙に書き出して整理しておきたかったからだ。それに、手を動かしている方が気がまぎれやすい。
 さっそく方眼紙のメモ帳に、思いつくままペンを走らせる。

 裏解決部初依頼。
 おれの助手採用を決める試験。
 試験内容は、体育館裏に住みついていたニャン吉(メス)の捜索。
 課題は二つ。
 ひとつめはニャン吉の発見。
 ふたつめはいなくなった理由の調査。
 このふたつの課題をこなして初めて、おれは榎本さんの助手に認定される。

 手掛かりは榎本さんがくれた写真一枚だけ。もうちょっと情報が欲しかったんだけどな……。好きな食べ物とか、他にお気に入りの場所があるのか、とか。でもきっと、この少ない情報でニャン吉を見つけられるかどうかも、腕試しの一環に違いない。

「塞翁君、君ならば猫の気持ちもわかるのではないか?」

 榎本さんは、さっきおれにそう言った。

 ねこのきもち。
 ……無理じゃない?

 いやいや!
 あわてて頭をぶんぶん振る。榎本さんが自分にはないものを求めていて、それが心の機微を読む能力で、その能力がおれにあると見込まれているなら、なんとか期待に応えたい。

 さいわいおれの名前は小虎でネコ科だし、同じ生き物である以上、言葉は通じなくても行動を予想することはできるはず。そうだ、猫でも人でも、必ず行動には理由があるはずだ。

 おれはニャン吉になったつもりで、慣れ親しんだ体育館裏から離れた理由を考えた。


①嫌な思いをしたから体育館裏に行かなくなった

 ……うーん。可能性は低そう。だって体育館裏によくいるのは、榎本さんとオダネネだ。ついこないだ三人で下校したときだって、猫を見たときに全員声を揃えて「あ、ねこ」って言ったくらいだし、猫好きならニャン吉に嫌な思いなんてさせないだろう。そもそも心当たりがあるなら、榎本さんはおれにこんな依頼を頼まない。
 あの二人以外が体育館裏でニャン吉に何かした可能性もあるけれど、その見込みは限りなく薄いと思う。
 おれは数字のとなりに△印を書き込んだ。


②別の場所が気に入って、体育館裏に行かなくなった

 これはありそう。今以上に居心地がいいところを見つけたら引っ越したくなるのは、きっと人でも猫でも同じだと思う。
 この場合は、今度は榎本さんやオダネネが、新しいニャン吉のすみかに遊びに行けばいいんじゃないかな。
 おれはぐりんと◯印をつけた。


③誰かが引き取って飼い始めた

 今度はニャン吉がどうしたかじゃなくて、ニャン吉がどうされたかを考える。
 ニャン吉は可愛いし、学校で見掛けた誰かが家に連れ帰って、飼い猫にした可能性もありそうだ。でももしこれが正解なら、引き取った人を見つけるのが難しそう。
 良い変化ではあるけれど、榎本さんとオダネネもなかなかニャン吉に会えなくなるし、できれば違っていてほしい。
 いちおう◯印を書いておく。


④保健所に連れて行かれた
⑤ケガをして動けずにいる
⑥死んだ

 書いてて泣きたくなってきた。
 そんなの嫌だ。
 ニャン吉、無事でいて。

 ……今考えられる可能性は、こんなところだろうか。おれはいったんペンを置いて、ちょっとだけぬるくなったコーヒーをひとくち飲んだ。

 今度は思いついた理由から、調査方法を考えてみる。

 まず②番の「別の場所が気に入って、体育館裏に行かなくなった」。
 この場合は、目撃情報の聞き込み調査が一番効率がいいだろう。
 猫は縄張り意識と警戒心が強いらしいから、黄昏学園、さらにいうなら高等部校内にまだいる可能性が高い。まずは校内で聞き込みをしてみるのが良さそうだ。

 ③番の「誰かが引き取って飼い始めた」は、ビラ配りや張り紙、SNSへの書き込みが効果的かな。拡散力があるから、ニャン吉を拾った飼い主にも届きやすい。
 ただ、飼い猫になってないのにこういう大々的な活動をした場合、校内に猫が住み着いていると知らなかった、かつそれを快く思わない先生や生徒が、ニャン吉を追い払ったり、保健所に連絡をする可能性がある。手始めに聞き込みをして、範囲を校外に広げても成果が得られない場合に限り、次の手として考えることにしよう。

 あとは念のため、黄昏学園の地区で野良猫を保護したかどうか、保健所に電話して確認しておいた方がいいかな。あんまり考えたくないけど、保護されていた場合、早めに連絡しないと殺処分されるかもしれないから。

 よし。
 行動指針を固めたおれは、メモ帳を閉じて、冷めかけのコーヒーを飲み切った。考えごとで忙しかったおかげで、高級喫茶店の居心地の悪さもそこまで気にならなかったように思う。

 榎本さんがくれた、菓子折りの入った紙袋とアタッシュケースを持つ。綺麗な包装紙でくるまれた菓子折りの中身を確かめるのが、今からすごく楽しみだ。姉ちゃんも竜希も喜ぶだろうな。

 ボックス席を後にしようとしたとき、ふと榎本さんの席にある、ケーキ皿が目に留まる。彼女はショートケーキの飾りのイチゴを、一番最後に食べていた。
 最後のひとくちを食べる前に、彼女は「配慮が足りずすまなかったな」とおれに謝った。謝るべきなのは、隠しごとをしているおれの方なのに。

 榎本さんがおれの過去を調べたのかと思ったとき、血が凍った。
 彼女があの事件の記事を読んで、万が一にでもおれに同情したり、可哀想なものを見るまなざしでおれを見たら。想像しただけで、ゾッと肌が粟立つ。

 ……おれがいくら違うと言っても、人は分かりやすくて声の大きな方を信じる。
 勝手に被害者だと見なされて優越感のスケープゴートにされるのは、もうたくさんだ。


   ◆ ◆ ◆


 該当地区の猫は保護していないと保健所に確認を取ったあと、おれは聞き込みを開始した。まず手始めに、野外活動が盛んな部活を放課後に訪ねる。
 
「すみません、この猫を見なかったか、部員の皆さんに聞いてほしいんすけど……」

 おれは各部の部長を呼び出して、ニャン吉の写真を見せてお願いした。
 たいていは快く応じてくれたけれど、ときには不審気に首を傾げる人もいた。それでもリーダー気質の部長さんたちは「はいみんな集合~!」と言って、みんなの前で写真を提示したり、写真を回したりしながら、おれの質問を部員たちに投げてくれた。

 聞き込みといっても、手あたり次第にやっていたららちがあかない。校内のどこかにニャン吉がいると仮定するなら、それぞれの持ち場で活動する、野外の部活動の部員達に、目撃情報を尋ねるのが一番だ。
 野球部。サッカー部。陸上部。園芸部。
 聞き込みが空振りに終わるたび、おれはみんなに「ありがとうございました」と腰を折り、メモ帳のチェックリストを塗りつぶしていく。

「あっ、この猫知ってる〜」

 そんな声を聞いたのは、校庭の外れにあるコートで活動する、テニス部を訪ねたときだった。

「え、ほんとっすか!? いつ、どこで見たんすか!?」
「んー、最近しょっちゅう見るよ〜? テニスコート脇の茂みとかで」

 いっつも、あっちに走っていってさ〜。最初は、まっくろくろすけかと思ったよ〜! と、テニス部の女の子は、ラケットで校庭の角地を示す。草や木が生い茂る、日当たりが悪くて見通しの悪い場所だ。

「……ありがとう!」

 おれは女の子にお礼を言って、ぺこんと頭を下げた。
 こんなに早く目撃情報を手に入れられるなんて幸先がいい。おれは写真を受け取ってポケットにしまい込み、校庭の角地へと足を運んだ。

 ほうぼうに雑草が生えた校庭の角地は、水はけが悪いのか、地面がぬかるんでいてじめじめしている。丈の長い草や茂みをがさがさ言わせながら「ニャン吉ー」と呼びかけてみるも、出てくるのは虫やヤモリばかりだ。そういった小さな生き物が出てくるたびに、おれは「うわぁ!」と驚いて、それでも草を掻き分けながら、ニャン吉の捜索をもくもくと続けた。

 いろんなミステリーで、探偵がよく言っている。
 調査は足で稼ぐものだ、って。

 何度も気合を入れ直して、時間をかけて角地をくまなく探していく。
 日が暮れて、空も周囲も藍色に沈んで、グラウンドのナイター照明が輝きはじめる。いくらしらみつぶしに探しても、ニャン吉のすがたは見つからない。

 ……ここにはもう、いないのかな。
 今日はもう調査を切り上げようかと思ったそのとき、背後でガサッと草が擦れる音がした。

 弾かれるように振り返る。
 そこでは、影のような色をした毛玉が地面を跳ねまわっていた。

「……ニャン吉!」

 ニャン吉はヤモリと戦っていた。写真では大きさが分からなかったけれど、想像していたより小柄な猫だ。
 ついにニャン吉は、その爪で獲物を仕留めた。倒したヤモリを口にくわえて、それから光る金の目で、ちらりとおれに視線をやる。
 次の瞬間、ニャン吉は跳ねるように駆け出した。

「ま、待って!」

 おれはあわててニャン吉のあとを追って走り出す。

 あんなに体が小さいのに、どうしてこんなに足が速いんだろう。全身をばねのようにして走るニャン吉に、取り立てて足が速いわけでもないおれは、なかなか追いつくことができない。
 走るルートを直角に曲げたニャン吉を追いかける。
 人間のおれは急に走る方向を変えられずに、砂で足を滑らせた。

「いだっ!」

 盛大にこけて、したたかにすねを打つ。
 痛い。クリスマスパーティーでオダネネにすねを蹴られたときの十倍痛い。
 でも今はニャン吉の追跡中だ。痛がってるヒマはない。
 ……榎本さんもあのとき、膝を真っ赤にしながら走っていた。

 だから、このくらいで負けるな。
 頑張れ、塞翁小虎。

 おれは起き上がって、離れていくニャン吉のあとを追って、また全速力で走り出す。

 走って、走って、心臓が爆発するんじゃないかと思いはじめた頃、ニャン吉は蓋のブロックが壊れているところから、排水溝に潜りこんだ。辿り着いたのは校門の近くにある自転車置き場の片隅で、排水溝は行き止まりになっている。
 にぃにぃと鳴く声を頼りに場所をさぐって、おれは排水溝の蓋のブロックを持ち上げた。

 らんらんと光る目が、おれを見上げる。
 あがった排水溝のなかで、フシャーッと毛を逆立てて、おれを威嚇するニャン吉。その隣には、毛並みのいい三毛猫がうずくまっている。足もとには、さっきニャン吉が狩ったヤモリが落ちていた。よく見ると、三毛猫の前肢は変な方向に折れ曲がっている。

 ……そういうことだったんだ。
 おれが考えた、ニャン吉が体育館裏からいなくなった理由は全部、違っていた。
 ニャン吉は、この肢を痛めて動けなくなった三毛猫に餌を運ぶために、テニスコート近くの茂みで狩りをして、足繁くここに通っていたんだ。

「……すごい。偉いな、ニャン吉」

 おれはしゃがみこんで、小柄な黒猫を褒め讃える。ニャン吉はまだおれを警戒しているのだろう、三毛猫を守るように立ちふさがり、毛を逆立てて、体を大きく見せようと一生懸命鳴いている。

「大丈夫だよ」

 今こそ、ニャン吉がお腹をすかせていたときのためにコンビニで買ってポケットに入れておいた、ちゅーるの出番だ。
 スティック状の個包装を剥いて差し出すと、ニャン吉は警戒しつつも鼻をヒクヒクさせて匂いを嗅ぎはじめた。
 もともと校内に住み着いている、人慣れした猫だ。しばらくするとニャン吉は警戒を解いて、ピンク色の舌で、ぺろぺろとちゅーるを舐め始める。

 餌をあげている方とは逆の手を伸ばして、そっとニャン吉にふれる。ぴくんと反応をしたものの、ニャン吉はおれが触ることを許してくれた。

「……へへ、かわいい。ふわふわだ」

 ゆっくり体を撫でると、ニャン吉は喉をぐるぐる鳴らす。
 警戒心が強いのに、一度気を許すとちょっとだけ素直になる、小柄な猫。そのすがたに、なんとなく思い出す顔があった。

「ほら、お前もお食べ」

 もう一本ちゅーるを剥いて、今度は三毛猫に差し出してみる。
 ところがこの黙り込んでいた三毛猫は、折れ曲がっていない方の前肢で、ちゅーるを差し出すおれの手に、ばしっと猫パンチを繰り出してきた。

「いだっ!」

 おれが取り落としたちゅーるを、三毛猫が引き寄せて抱え込む。それから三毛猫は何食わぬ顔で、優雅にぺろぺろと食事を始めた。
 パッと見はぼんやりとしていて大人しそうなのに、おれに容赦がないこの感じ、誰かに似ている。

 おれはちゅーるに夢中になっている二匹にスマホをかざして、写真を撮った。それからLINEを立ち上げて、撮った写真を榎本さんに共有する。

「ニャン吉ちゃん発見っす。怪我をしている三毛猫に、餌を狩って運んでいたみたいで、それで体育館裏に行く余裕がなかったんだと思われます。これから動物病院に連れて行ってきますね」

 そうLINEを送信して、今度はマップを開いて動物病院を検索する。徒歩圏内に、まだ診療時間内の動物病院がヒットした。おれはその場所の情報を、榎本さんに共有する。

 ……ふと、魔が差したんたと思う。
 おれはつい、報告ではない文章を打ち込んで、榎本さんに送信してしまった。

 スマホをしまい、着ていたカーディガンを脱いで、それで二匹の猫を包み込む。怪我をしている前肢に触れないよう、慎重に抱えて、立ち上がる。
 ニャン吉も三毛猫も、大人しくおれに身を委ねてくれた。

「もう大丈夫だから」

 言葉が通じないと分かっていても、話しかけずにはいられない。
 おれの呼びかけに、ニャン吉は「にゃあ」と鳴いて応えてくれた。

 ……ずっと榎本さんとオダネネの近くにいたニャン吉。つがいのようなあの二人を見て、お前も誰かを大事にしたり、大事にされたくなったのかもしれないな。

 人も猫も、生き物はみんな、ずっといっぴきでいられるようにはできていないから。
 生存本能のせいかもしれないけれど、それでもいっぴきでいると必ず、心がきしむようにできているから。

 小さなふたつのぬくみを抱えて歩き出す。
 凍てつくような寒さのなか、おれが上に着ているものといえばシャツだけで、それでも二匹を抱える胸もとは、陽だまりのようにぽかぽかあたたかかった。

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