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【黄昏学園SS-14】夢の国での延長戦


 黄昏時。私は、百回は目を通したであろうパンフレットをパタンと閉じた。陽が落ちて、細かい文字が読み辛くなったからだ。

 あたりを見回す。少なくとも私の目が行き届く範囲に、塞翁君の姿はなかった。昔、勉強でそうしてきたように、パンフレットの読み込みに集中していたので、塞翁君が何をわめこうが、まったく耳に入ってこなかったらしい。彼はおそらく私に話しかけるのを諦めて、私の側から離れていったのだろう。

 これでいい。一人には慣れている。
 いっそ塞翁君がいなくて、清々するというものだ。

 私はフンと鼻を鳴らして、ラケッティのラクーンサルーンに向かって歩き出す。飲み物と軽食を扱うテイクアウト専門店で、近くには屋外テーブルとベンチが併設されているので、休憩に最適な場所だと思われる。ディズニーランドでの自由行動が終わるまで、ここで時間を潰せばいいだろう。

 織田君が向かったスプラッシュマウンテンの出口付近に位置する、ラクーンサルーンに辿り着く。
 アライグマが目印のカウンターに行って、私はクリッターサンデーを注文した。

 ミッキーチュロスが刺さった透明なカップを片手に、屋外テーブルのひとつを陣取り、かばんからノートパソコンを取り出して開く。無用の長物になるかとも思ったが、念の為に荷物に加えておいて正解だった。

 織田君は、塞翁君と仲直りするまで口を利かないと言っていた。今後、私が単独行動になっても問題のないよう、修学旅行のしおりの日程を見直しておかなくては……。

 パソコンを立ち上げてすぐ、いつもの流れで最初にメーラーを起動してしまった。メールチェックが習慣化してしまったようだ。灰谷にはしばらく箱猫を留守にすると連絡したから、メールが来ているはずもないのに。

 しかし予想に反して、受信ボックスにはメッセージが一件届いていた。
 
『To:黒田さん
 修学旅行は楽しんでるかな?
 黄昏学園高等部の修学旅行の三日目の行き先は、ディズニーランドだったよね?

 君がディズニーランドに行く同日に、園内にいると思われる、遠藤という男を探してほしい。おそらく人の少ない夕方頃に、彼は園内に現れるだろう。

 たまには僕も、慈善事業をしてみようと思ってね。彼は、園内に花火を持ち込む可能性があるんだ。

 接触はしなくていいよ。彼が園内にいた事実を確認をして、証拠写真の一枚でも撮って送ってくれれば上々だ。後の処理は僕が手配する。

 遠藤の顔写真を添付しておくね。
 ちなみに彼の背丈は182cm、背が高いから園内でも目立つと思うよ。
 From:Pierrot』

 ──何が慈善事業だ。
 ネズミ講にマネーロンダリング、運び屋や借金取りの真似事までしておいて。
 私は胸中で、灰谷の文言をなじった。

 しかし灰谷からの依頼をこなせば、報酬として父の真相に近付くための重要な情報を受け取ることができる。ここで無為むいな時間を過ごすより、空き時間で依頼をこなした方が、私にとっても有益ではないだろうか。

 気を取り直した私は、ウイルスチェックを済ませ、添付されていた画像ファイルをクリックした。

 遠藤の顔写真が展開される。遠藤は、二十代後半から三十代中盤くらいの男だった。地毛の黒髪が伸びた茶髪に、細い糸目が特徴だ。
 写真データをスマホに転送する。

 もう一度、灰谷のメールの文面を読み返す。
 慈善事業という文言以外にも、違和感をいだく箇所がいくつかあった。そもそも、花火の持ち込み自体が妙な話だ。

 ディズニーランドは入園の際、厳しい手荷物検査が行われる。その監視の目を掻い潜ってまで、花火を持ち込む目的はなんだ?

 ……そこまで考えて、氷柱つららを落とされたように、ゾッと背筋に悪寒が走った。

 ──遠藤という男が園内に持ち込むのは、本当に花火なんだろうか。

 花火というのは、私をあざむくための灰谷の虚言なのではないか?

 花火を爆弾に置き換えると、文面から覗く違和感が払拭ふっしょくされ、すべての辻褄つじつまが合ってしまう。遠藤の目的は、テロ決行のための爆弾の設置。灰谷の言う慈善事業は、謝礼目当ての有力者への情報提供。 

 灰谷は、遠藤が爆弾を仕掛けたという証拠を、私に掴ませるつもりなのではないか。

 もしも花火が爆弾だったとしたら、私に必要以上に接触しないよううながしているのもかなう。下手に刺激しようものなら、遠藤は爆弾を爆破しかねないからだ。

 爆弾の爆破。
 ……灰谷は本当に爆弾処理を手配するつもりなのか? 遠藤が想定している爆破予定時刻に間に合うのか? そもそも誤爆する可能性だってある。今すぐにでも爆弾が爆発する可能性も否定できない。

 爆弾が爆発したら。
 今園内にいる、ゲストやキャストは──

 私は椅子を蹴って立ち上がった。
 あたりを見回し、遠藤の姿を探す。人が多すぎてらちが明かない。腕時計に視線をやる。ディズニーランドの自由行動終了時刻まで、あと40分。それを過ぎれば、どう言い繕っても、私は先生に強制的に退園させられる。園内は広い。どう考えても一人では回りきれない。一人で遠藤を見つけられる可能性は限りなく低い。

 どうする? 解決部に協力を要請するか? だがその場合、真実を話すわけにはいかない。しかし単純な人探しだと嘘をついたら、何も知らない解決部員に危険が及ぶかもしれない。そもそも危険人物の捜索だと話したところで、証拠もなく突拍子もない私の話を、皆は信じてくれるだろうか? あれこれ説明する時間だって残されていない。背中に冷たい汗が流れる。

 永遠に近い一瞬の逡巡しゅんじゅん。私はスマホを取り出し、LINEアプリを起動させた。

 一人、いる。
 この状況を話しても、問題のない人物が。

『塞翁君、裏解決部の緊急案件だ。今ディズニーランド内にいるであろう、危険人物の確保に協力してくれ。私はクリッターカントリーにいる。手分けして、写真の男を探すぞ』

 最低限の用件を打ち込み、遠藤の顔写真を送信する。
 送信後、私は思わず自嘲した。

 塞翁君とはさきほど喧嘩したばかりだ。彼を無視した私の話に、彼が耳を傾けてくれると思っているのか。そもそも塞翁君は、父の件で私に幻滅したはずだ。今更、協力など仰いだところで──

 スマホが鳴った。

『分かりました。おれは今ファンタジーランドにいるんで、トゥーンタウン、トゥモローランドと、右回りに巡回して捜索します。榎本さんは左回りの巡回をお願いします』

 私は唇を噛み、スマホを握りしめた。
 了解した、と短く塞翁君に返信し、私は人混みに向かって走り出す。

 長身の茶髪の男の肩を掴んでは振り向かせ、人違いの無礼を詫びる。それを延々と繰り返し、足を高速機関のように動かして、遠藤を探す。呼吸は荒く、心臓は早鐘を打ち続けている。

 園内を走り続け、体力の限界を感じ始めた頃、スマホが鳴った。塞翁君から短く「シンデレラ城の裏」とLINEが届く。私はくずおれそうな身体を再び奮い立たせ、遠くそびえる尖塔目指して走り出す。

「え、榎本さんっ……!」

 城の裏手では、塞翁君が遠藤を羽交い絞めしていた。何とか拘束から逃れようと暴れる遠藤の肩に、膨らんだトートバックが下がっているのを見て、サッと全身の血の気が引く。

「塞翁君、その男から離れろ!」
「え、でも」
「危険人物だと言っただろう!」
「あっ……」

 塞翁君が戸惑った隙を、遠藤は見逃さなかった。

 遠藤が塞翁君の腕を振り払った瞬間、トートバックが宙を舞う。
 放物線を描くバックの軌道が、私の眼に焼き付く。

「逃げろ、塞翁君!!」
「へ」

 トートバックからこぼれた金色の球体が、地面に叩きつけられ──爆発音が炸裂する。

 瞬間、眼前に舞い上がったのは、色とりどりの紙吹雪。カラフルなリボンが宙を舞い、白い巻物のような垂れ幕が、薄暮はくぼの空に眩しくはためく。

 垂れ幕には「絹ちゃんお誕生日おめでとう」の達筆な筆文字。

 私は呆然と立ち尽くした。

 遠藤がわめいている。いきなり何するんだ、と私達を罵っている。目にも鮮やかな色彩の洪水がすべて地面に落ちた後、塞翁君が、ぽつりとつぶやく。

「なにこれ」


   ◆ ◆ ◆


『まさか花火じゃなくて、くす玉だったとはね。所持品の確認までありがとう(笑)』

「くそっ!」

 私は怒りに任せて、ノートパソコンの天板をバンッと閉じた。

 灰谷は、借金を抱えた遠藤の妻、絹代夫人から依頼を受けていたのだ。

「私の機嫌を取ろうと、旦那が誕生日に合わせてディズニーでサプライズをするつもりらしくて。たぶん花火の打ち上げ。そんな無駄金使うくらいなら、借金の返済に当てたいので、何とかサプライズを止めてください」と、絹代夫人から頼まれていたらしい。

 遠藤が園内にいるという証拠を掴んだ後、灰谷は花火を託されたディズニー側に連絡して、花火を回収した後、花火を現金に換金するつもりだったという。
 つまり灰谷の言う慈善事業は、皮肉でも何でもなく、今回に限っては本当だったのだ。

「何が花火だ! 何がくす玉だ!」

 ホテルのベットの枕を、ぼすんと壁に投げつける。 

 同室の織田君と雨森君は夕食を摂りに行っているので、部屋には私一人しかいない。
 私はといえば、十分な間食と先程の騒動のせいもあり、すっかり食欲が失せてしまっていた。

 息を荒げていると、ホテルのドアが、控えめにコンコン、とノックされた。
 一瞬織田君達が戻ってきたのかと思ったが、それならばドアを叩く道理がない。

「誰だ?」と短く問いかけると、扉向こうの人物の戸惑う息遣いが聞こえてきた。

「…………あ、あの。塞翁っす……」

 私は目を見開いた。

 チッと舌打ちして、ずかずかと出口に近付き、ドアを開ける。
 まさか私がドアを開けると思ってなかったのか、扉を開くと同時に、塞翁君がびくっと身をすくめたのが見えた。
 私は腕を組み、彼の前で仁王立ちする。

「何の用だ」
「あ、いや、えと……その……」

 塞翁君はまごまごしながら、私にスマホを差し出した。
 ディズニーの公式アプリが立ち上がっており、そこに「ウィークナイトパスポート/2名」と書かれている。QRコードが表示された、パスポートを購入した後の画面だ。

 私は怪訝けげんな視線を塞翁君に向けた。
 彼はきまりが悪そうな顔で「えっと……」と躊躇ためらいがちに言葉を継ぐ。

「もう一度ディズニーランドに行って、一緒にハニーハントに乗ってくれませんか。……おれ、おごるんで」


   ◆ ◆ ◆


 ホテルを抜け出し、電車に乗り、舞浜で降りて、ディズニーランドに入場する。
 丁度エレクトリカルパレードが催されている時間帯らしく、ファンタジーランド周辺は人気ひとけが少なかった。

「……榎本さん、ごめんなさい」

ハニーハントに向かう途中で、塞翁君は私に頭を下げた。

「おれ、前の鬼城の一件のあと、榎本さんのお父さんのこと、調べたんです。勝手に調査しちゃったこととか……他にもいろいろ、気まずくて……。榎本さんを避けてた訳じゃないんすけど、どういう気持ちで榎本さんと話せばいいのか、分からなくなって……それで……」

 そういうことか。
 私は大きく溜め息をついた。

 小心な塞翁君のことだ、どうせ父の裁判記録に行き当たった後、勝手に罪を暴いたことが気まずくなったのだろう。褒められた行動とは言い難いが、私が父の事件を周知の事実だと思い込んで、塞翁君に対する説明をはぶいたのも事実だ。

「それならそうと早く言えばいいだろう」と言いかけて、塞翁君の言い分を抑え込んで、早口でまくし立てた流れを思い出す。私は、彼の口から直接「幻滅した」と聞くのが嫌で、気づかないうちに先回りして、彼の気持ちを決めつけ、先手を打っていたのかもしれない。

「……もういい。頭を上げろ、塞翁君。人が少ないとはいえ、往来での謝罪はきまりが悪い」

 そう塞翁君に告げると、彼は身体を起こして表情をゆるめた。
 
「……あの。おれを頼ってくれたこと、嬉しかったです」

 言葉に詰まった。
 何の話か伝わっていないと思ったのか、塞翁君が言葉を重ねる。

「夕方の、裏解決部のLINEの話っす。あの口喧嘩のあと、何を言っても無視されたので、榎本さんにはもう、口をきいてもらえないかもって思ってたから」

 私は再び押し黙る。
 無言の私に、塞翁君が朗らかに笑いかけた。

「……おれ、榎本さんの物の見方が好きです。前に榎本さんがうちに逃げ込んだとき、おれのコンプレックスをなんでもないって風に言ってくれたこと、すごく嬉しかったんです。あのとき、あの一言に救われたから、おれは榎本さんの力になるって決めたんです。榎本さんに幻滅なんて、絶対にしません」
「……どうしてそんな風に言い切れる」

 私は眉に力を込めて、塞翁君を見上げた。
 きょとんとして丸くなった、塞翁君の栗色の双眸そうぼうを覗きこむ。

「私が間違った選択をする可能性だってあるだろう」

 灰谷の依頼に着手してからずっと、私は不安を抱え続けてきた。
 父の真実を追求する為とはいえ、私はどこまで正道で踏み留まっていられるだろう。
 そもそも塞翁君を助手として巻き込んだ時点で、間違いを犯しているのではないだろうか。

「私があやまちを犯しても、看過するのか?」
「……もしそうなったら、おれが駄目ですって言って、榎本さんを止めます。ちゃんと叱ります。見過ごしたり、見捨てたりなんかしません。榎本さんが正しい道に戻れるよう、おれにできることから手助けするっす」
「一緒に地獄に堕ちることになってもか」
「え……」

 塞翁君が目を見開く。
 私は詰めていた息をふっと解いた。

「……なんでもない。忘れてくれ」

 そう言って歩き出そうとした私の前に、塞翁君が立ちはだかった。

「──もし手が届かないところにいるなら、おれもそこまで行って、榎本さんをかかえてい上がります」

 塞翁君の表情は、真剣そのものだ。
 私は一瞬、胸のつかえを感じたが、すぐに彼の言葉を笑い飛ばす。

「……大袈裟だな、塞翁君は」
「なっ! おおげさな話を始めたのは、榎本さんの方じゃないっすか!? そもそもなんすか、地獄って!」
「言葉の綾だ。忘れてくれと言っただろう」
「そ、そうかもしれないっすけど……なんか……」
「時に塞翁君。私は馬鹿と言われるのが嫌いだ」
「え」

 塞翁君が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になる。
 私は唇を緩めて、ふふっと笑った。黄昏時に辛酸をめたシンデレラ城を横目に、堀をまたぐ橋を渡る。

「言い合いの最中に何度も連呼された時は、胸倉を掴んで殴ってやろうかと思ったものだ。私が男なら、間違いなくそうしていただろうな」
「そうなんすか!? ご、ごめんなさい……。おれ、知らなくて。以後気をつけるっす……」

 小さく縮こまって隣を歩く塞翁君を見て、私はまた笑みを漏らす。
 こんな風に自分の好き嫌いを他人に話す機会など、今までなかったように思う。

 しばらく一緒に歩いた後、塞翁君が立ち止まった。
 振り向くと、彼は意を決したような顔で、私を見ていた。

「……あ、あの。榎本さん。もうひとつ、おれからお願いがあって」
「何だ? 事と次第にもよるが、助手たっての頼みなら、聞いてやらないこともないが」
「あ、ありがとっす。……えっと……その、ですね…………」
「……前々から思っていたが、塞翁君は話の歯切れが悪いな。もっとはっきり言いたいことを口にしたらどうだ」
「い、言いにくいことだから歯切れが悪いんすよ! おれ、いろいろ考えちゃうし! そこら辺は分かってくださいよ!」
「む……分かった。君の話は気を長くして聞くよう心掛けよう。それで、お願いとはこのことか?」
「や、ちがくて!」

 塞翁君はそこで言葉を切り、視線を泳がせてまごまごし始めた。
 気を長く持つと言った手前、急かすような真似はすまい。私は塞翁君の背後に視線を定め、時間潰しにイルミネーションのLED電球の数を数え始める。
 ややあって、彼は息を呑んでマスクを下げた。

「……あ、あの、榎本さん。おれと……!」

 ぎゅっと目をつむって発した塞翁君の声が、ドンッという音に掻き消される。
 一拍遅れて、夜空が光った。白く、青く、赤く。次々と、夜空に光の花が咲き乱れる。

 塞翁君は口をあんぐり開け──やがて顔を赤くして、ふるふる身体を震わせ始めた。

「なんでこのタイミングで花火が上がるんすか!!」
「ディズニーランドはスケジュール通りに花火を打ち上げただけだろう」
「そ、そうなんすけどっ! ……榎本さん、さっきおれが言ったこと、聞こえなかったっすよね? うぅ、ちょっと待ってください……。頑張ってもう一回言うんで……」
「いや、聞こえた」
「え」

 目を見開く塞翁君に向きなおる。

 ……思えば塞翁君の第一印象は、身体の弱い不良だった。織田君の密告の時は、精神が不安定な男だと思ったし、裏フリマの時は自宅に軟禁されると思っていた。深く関わるまいと思っていたのに、彼はしつこく私に付きまとってきた。……まさか、ここまでの付き合いになるとは。

 今や彼は私の助手で、今はこうして、織田君に続いて、私と仲間以上の関係になることを望んでくれている。まったく、塞翁小虎は酔狂な男だ。気が弱くて小心で、諦めの悪い、お節介な、優しい人間だ。

 塞翁君の申し出の答えなど、既に決まっている。  
 私は彼の願いに応える為、初夏の夜の瑞々しい空気を、口一杯に吸いこんだ。


   ◆ ◆ ◆


 蛍光灯がチカチカと明滅している。灰色に沈んだ雑居ビルの内部は、灯りがあっても薄暗い。
 殺風景な部屋の一画で、二人の男がソファに腰掛けて向かい合っている。

「まさかくす玉の球の裏に隠してたとはね」

 男の一人が灰青色の長い髪を垂らして、テーブルの上に小さな袋を滑らせた。しっかりと密封された透明な袋には、きめ細やかな白い粉が詰められている。

「ディズニーのサプライズは、奥さんの説得も兼ねてたのかな? 了承が取れたら、そのままこれを持って海外に高飛びでもするつもりだった? 駄目だよ、遠藤君。君がこれを持ち逃げしたら、どうなるかくらい分かってるよね?」

 遠藤と呼ばれた、茶髪の男の顔は蒼白だ。
 ややあって、遠藤は「……見逃してくれ、灰谷」とかすれた声で懇願した。

「絹ちゃんに子どもが出来たんだ。俺は、もうこれ以上は……」
「あの騒動でくす玉と一緒に、この袋が破裂してたらどうするつもりだったんだい。この金の卵を無駄にして、僕の小間使いまで薬漬けにするつもりだったの? 君」
「……あ、あれは! 妙なガキが突然羽交い絞めなんてしてくるから……!」
「……妙なガキ?」

 灰谷の双眸が、好奇心を宿す。
 それを突破口と取ったのか、遠藤はせきを切ったようにまくし立てた。

「いたんだよ、あんたの小間使いっていう女の他に、もう一人、妙な男が! 女の手下みたいに振舞ってたけど、知らないのか?」
「ふぅん……。あの子、犬でも飼い始めたのかな。それで、その男っていうのは、どんな奴?」
「目立つ奴だった。両耳にピアスをジャラジャラつけて、前髪にピンクのメッシュ、後ろ髪にピンクのインナーカラーを入れてたな。背もけっこう高い。制服を着てたから、まだ学生じゃないのか? たしか女が、塞翁って呼んでいたような──」

 灰谷が、突然大声で笑い始める。
 細身の長躯を二つに折り、狂気じみた笑い声を上げ続ける様子に、遠藤が絶句する。

「……な……なんだよ、突然……」
「いやぁ……。僕がプライベートで通ってる店に、いるよ、その塞翁って奴。特徴も一致してる。間違いない」
「……は?」

 間の抜けた遠藤の声を意にも介さず、灰谷は楽し気に唇を歪めた。

「はは、世間は狭いね。……これは面白くなりそうだ」

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