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【黄昏学園SS-11】パンドラ

 あれは年が変わってしばらく、めずらしく寒い日のことだったと思う。
 あの日、解決部の部室のドアを開けると、おれと同じように黒髪にピンクのメッシュを入れた後輩が振り返って、八重歯を見せて笑いかけてきた。

「コマシ先輩だー。今日はバイトじゃないんですねー」
「う……き、今日は遅番だから、ちょこっと顔出しとこうと思って。木枯嵐くんこそ、部室にいるの、おれひさびさに見たっすよ」
「んー、まあたまにはー? 家に帰る前に、やっておきたいこともありましたしー」

 ゆるゆるとした口調でそう言って「おひとつどうぞー」と、おれにポッキーの箱を向けてくる木枯嵐くん。お言葉にあまえて、期間限定らしい白桃味のピンクポッキーを、一本もらう。

 木枯嵐くんはいい子なんだけど、おれをコマシ先輩って呼ぶのはどうかと思う。
 前はタラシ先輩って呼ばれてたので「いくらなんでもそれは嫌っすよ!」と言ったら「じゃあ塞翁小虎のコをとってー、コマシ先輩でー」と返され「いや普通に呼べば良くないっすか!?」と反論したら「僕がせっかく親しみを込めてあだ名をつけてるのに、コマシ先輩はあれもだめー、これもだめー、わがままですねー」と言い返されて、なんだかおれがわがまま言って困らせているような気持ちになって「ご、ごめんなさい……」と謝って、それで話はうやむやになって、今でもコマシ先輩って呼ばれ続けている。

 どうやらクリスマスパーティーで酔ったおれが人を誉めまくった件からくるあだ名らしいけど、それなら「ほめほめ先輩」とか「さんじ先輩」とか、もっと良いあだ名をつけてほしい。

 おれはマスクを持ち上げて、もらったポッキーを食べて、部室に入った。部室の長机のすみに、下げていたスクールバックを置く。
 長机のまんなかには、木枯嵐くんが持ち込んだポテトチップスやポッキーといったお菓子と、あったかいコーヒーと、それから、

「……絵本?」

 大判の綺麗な絵本を、木枯嵐くんが広げていた。

「僕のじゃないですよー。モモちゃんのですー」
「あ……そっか、妹さんの」
「まだ文字読めないんですけどねー。読み聞かせしようと思っててー、いちおう先に内容を把握しといた方がいいかなって思ってー、読んでますー」

 丸眼鏡の下の瞳を、絵本に落としたまま答える木枯嵐くん。
 お兄ちゃんだなぁ。
 おれは頬がゆるむのを感じながら「何の絵本っすか」と尋ねた。
 木枯嵐くんは、本を立てるようにして持ち直して、黙って表紙側をおれに向ける。
「にんぎょひめ」とひらがなで書かれた文字と、人魚のお姫様の絵が見えた。

「え……人魚姫、って、大丈夫……?」
「……んー?」

 木枯嵐くんが、何のことやらといった風に小首を傾げたので、おれは「ちょっと見せてもらっていいっすか」と絵本を指さした。木枯嵐くんは「汚さないでくださいねー」と言いながら、おれに絵本を渡してくれる。

 パラパラとめくって、おおよその内容を確認して、ホッと息をつく。
 この内容なら、小さいモモちゃんでも大丈夫そうだ。

「コマシ先輩、いったいなんなんですかー?」って、絵本を返したときに木枯嵐くんが不審そうな顔をしたので、おれは笑いながら弁解した。

「いや……この絵本は、子ども向けに改変してるみたいだから問題なさそうなんすけど、アンデルセンが書いた人魚姫って、けっこう内容がえげつなくて」

 伊織姉ちゃんいわく、小さい頃に姉ちゃんが持っていたアンデルセン童話全集を読んだおれは、人魚姫を読むなり大号泣したらしい。

 それはそうだろう。人魚姫に人間の足をあたえる代償に、その声が欲しいと、人魚姫の舌を切り落とした魔法使い。歩くたびにナイフを踏むように痛む人魚姫の足。そんな大変な思いをしたのに、報われない王子様との恋。これで王子様の心臓を刺して、その血を足に塗れば人魚に戻れると、姉たちから人魚姫に手渡されたナイフ。そんなことはできないと、人魚姫が海にナイフを捨てたら、血のように真っ赤に染まった海。最後には身体が海に溶けて、泡になってしまった人魚姫。
 あまりにも救いがなさすぎる。
 あと痛そう。

 原作の説明をすると、木枯嵐くんは「うへぇー」って、まるで苦い薬を飲まされたように顔をしかめて、べーっと舌をつき出した。

「そんな童話を書くなんて、アンデルセンは何なんですかねー、ドSー?」
「いや、なんかアンデルセンの失恋話が元ネタらしいんすけど……」
「ええー。じゃあドMですかねー? どっちにしても、暗黒すぎるー」

 そこは正直なところ、木枯嵐くんと同意見だ。

 お菓子を食べながら、木枯嵐くんは人魚姫を、おれは読みさしの文庫本を広げて、読書をした。

 部室にあるストーブがぬくぬくあったかい。温度差で曇る窓ガラスの外で、冬枯れの木立が冷たい風に揺れている。ぽかぽかの室内にいることが心底嬉しくなる、この感覚は冬ならではの特権だ。これでアイスとか、冷たいお菓子があったら、もっと最高なんだけど。

 ちょうど読んでいる本が章区切りを迎えたところで、部室のドアが音を立てて開いた。

「あ……ニノマエくん! おつかれさまっす」
「ああ、塞翁君! と、実辛子君」
「惜しいです女装先輩ー。そろそろちゃんと僕の名前も覚えてほしいですー」

 まあ人のこと言えないんだけどー、と木枯嵐くんがへらりと笑う。
 ニノマエくんはおれの隣に座って「何だ、読書か?」と尋ねてきた。
 つやつやの黒髪、透き通った白い肌。相変わらずニノマエくんはとびきりの美人だ。
 おれは笑って、はい、と答えた。

「塞翁君が本を広げているのをよく見るが、読書が好きなのか?」
「大好きっす! いつでもどこでも、ここじゃないどこかに行けるのが、面白くて」
「へぇ、奇遇だな。僕も読書が好きだぞ」
「ニノマエくんも!?」

 ぱあっと、目の前が明るくなる。
 知らなかった。ニノマエくんも読書が好きなんだ。ニノマエくんは素敵だから、おれなんかとはあんまり共通点はなさそうだなあって思ってたけど、おれと一緒の趣味があるなんて、嬉しいな。

「で、今は何を読んでいるんだ?」とニノマエくんが聞いてくれた。おれはTSUTAYAのブックカバーを剥いて、笑顔でニノマエくんに文庫本の表紙を見せる。

「ダニエル・デフォー作の、ロビンソン・クルーソーっす!」

 おれの言葉に、ニノマエくんは目を見開いて、表情を固めた。

「……ニノマエくん?」
「──あ、ああ。いや、何でもない。そうか、ロビンソン・クルーソーか」

 はい、と返事をしながらニノマエくんの顔色を窺う。
 どうしたのかな。あんまりこの本に、いい思い出がなかったりとか?

 ニノマエくんは「女装先輩もおひとつどうぞー」と木枯嵐くんに手渡されたポッキーをぽきぽき食べて、それからややあって、おれに向きなおった。

「……ロビンソン・クルーソーは面白いか? 塞翁君」
「え……あ、はい、すごく。今ちょうど、フライデーが名前をもらったところなんす。ロビンソンはずっと一人きりだったから、本当に良かったなあって思って。ひとりぼっちは寂しいですもんね」
「……そうだな。確かに、そうだ」

 ニノマエくんがうんうんと頷く。
 良かった、別にこの本が嫌いとかじゃないみたい。
 おれが心のなかでホッと胸を撫で下ろしていると、ニノマエくんの大きな瞳が、おれを捉えた。

「……塞翁君。自宅に、ロビンソン・クルーソーの愛蔵版があるんだ。フランス語版の挿絵が入ってるやつ。良かったら、その本、貸そうか」
「え……」

 ……いいのかな。
 友達じゃないのに、そんな大事な本を貸し借りして、いいのかな。

 おれは視線を泳がせて「あ、う、えと……」と、よく分からない言葉を口にすることしかできない。

「顔に、借りたいけどどうしようって書いてありますよー、コマシ先輩ー。よく分からないですけど、別にいいんじゃないですかねー。仲間に本を借りるくらい」

 仲間。
 おれは木枯嵐くんの台詞に飛びついた。

「そ、そうっすよね! 仲間ですもんね! ……えと、じゃあ、借りてもいいっすか? ニノマエくん」
「勿論だとも。明日持ってくるよ」

 ニノマエくんの黒い瞳が、やわらかく細められる。
 嬉しい。ニノマエくんから借りるロビンソン・クルーソー、大切に、大切に読もう。


 ──おれはずっと、この「仲間」って言葉に助けられてきた。
 友達にはなれなくても、仲間にはなれる。
 友達って呼べなくても、仲間って呼ぶことは、ゆるされる。
 でも。
 でも、本当はずっと、気づいてた。
 便利な言葉でごまかして、胸の奥にある気持ちを隠しているって。

 それを思い知るときが、きたっていうだけ。


   ◆ ◆ ◆


 オダネネから逃げるように、屋内プールをあとにしてしばらく、おれは上の空で授業を受けていた。

 年末に「かわいいとか二度と言うな」っていうDMをオダネネにもらってから、おれはなんだかずっとおかしい。

 あのとき、すごくムカムカして、腹の底がちりちり熱くなって、竜希にむりやりくっついていって、バッティングセンターで憂さ晴らしみたいなことをした。
 でもバットを振ってムカムカがなくなっても、身体の奥には火のような熱が、ずっと残って消えなかった。

 直接会って「かわいいって言ったのは、嘘でも皮肉でもないよ」って伝えたかった。
 柊さんにオダネネがいそうな場所を聞いて、屋内プールにいるオダネネを見つけた。
 オダネネ、って呼びかけようとしたのに、駄目だった。
 オダネネを見ると、声を奪われたみたいに、何も言えなくなってしまった。

 おれに気づいて。

 衝動的に、側に落ちていたボールを投げた。ボチャン、とプールにボールが落ちた。受け取り手のいないボールを投げても、キャッチボールにはならなかった。そもそも一歩間違ったら、ボールはオダネネに当たっていたかもしれなくて、おれは自分のなかに潜む熱が、怖くなった。

「おれだって、傷つくときはあるのに」

 ……おれはなんで、あのときあんなことを言ったんだろう。
 いつものように「なんで!?」とか「ごめんなさい」とか言って、オダネネを追いかければ良かったのに、おれは言いたいことだけ言って、オダネネの側から逃げ出した。

 目の前で話している先生の声が遠く聞こえる。
 あのとき「待て小虎」って言ったオダネネの声が、すぐ近くによみがえる。
 おれはたまらなくなって、椅子を蹴って立ち上がった。

「どうした、塞翁」

 先生とクラスメイトの怪訝な視線がおれに向く。
 いつもなら、注目が集まることに尻込みしてしまうのに、今はそれどころじゃなかった。
 さっきオダネネに声をかけられなかったのが嘘のように、口からするする、でまかせが出る。

「お腹がいたいので、保健室に行ってきます」


   ◆ ◆ ◆


 誰もいない廊下を走る。窓の外では、陽が照りながら雨が降っている。
 学生裁判のあと、部室で初めてオダネネと話したときのような、天気雨。

 オダネネはどこにいるんだろう?
 二年生の教室を覗いたけどいなかった。いつもの体育館裏にもいなかった。屋内プールにもいない。解決部の部室は鍵がかかったままだ。オダネネを探しているうちに、天気雨は止んだ。

 ──屋上。
 煙草を一本もらって話したあの日を思い出して、おれの足は自然と屋上に向かう。

 オダネネに、会いたい。
 会って、もう一度ちゃんと話して、謝りたい。

 屋上のドアをそっと開ける。心臓がどきどきうるさい。屋上を見渡して、オダネネを見つける。

「オダネネ!」と叫ぼうとして、おれはオダネネの隣に、瑞木くんがいるのを見つけた。
 声が、また、奪われる。

「え……はは、織田どうしたんだよ! 何キレてんだよ」
「あ? 独り言だわ、お前じゃない」
「……そうかそうか!」

 楽し気な瑞木くんの声が聞こえてきて、おれは屋上のドアの裏に隠れた。
 おれ、なんで隠れてるんだろう。何もやましいことなんて、ないはずなのに。

 ドアの影から、屋外にいる二人を覗き見る。瑞木くんはスケッチブックに向き合っている。瑞木くんの隣に立つオダネネが、スケッチブックを覗きこんだ。二人の距離が、ぐっと縮まる。

「ルイ、会話に付き合わせて悪かったな」

 ポケットに入っていたオダネネの手が、瑞木くんの方へと動く。
 その手には小さなお菓子が握られているみたいだった。瑞木くんに、あげるんだろう。

 ──いいなあ。やさしくしてもらえて。
 うらやましい。




 ……あれ?




 なんだか、おかしい。
 なにが?
 なにがおかしいのかは、わからない。
 でもおかしい。
 いまのおれ、おかしかった。

 おれは沸きあがる違和感に突き動かされるようにして、階段を駆けおりた。
 走って、走って、男子トイレに飛びこむ。

 手洗い場の鏡を見る。息を切らした、いつものおれが映っている。
 でも、ちがう。いつものおれじゃない。

 ──やさしくしてもらえる、瑞木くんがうらやましい。
 ──おれだって、傷つくときはあるのに。
 ──おれに気づいて。

 自分の言葉を思い出しながら鏡を見ると、鏡のなかのおれが、勝手に続きをしゃべりはじめた。

 ──おれにもやさしくしてほしい。
 ──傷ついたら気にかけてほしい。
 ──おれを見てほしい。

 ──小虎がだいじだって言ってほしい。
 ──小虎が必要だよって言ってほしい。
 ──小虎の側がいいって言ってほしい。

 湧き上がってくる台詞に、絶句する。
 ……おれはいつから、こんなにわがままでよくばりになったんだろう?
 おれを好きにならないオダネネだから、おれは側にいたはずなのに。
 大切に想ってもらう資格なんてないって、自分から進んで言っていたのに。

 とんとん、と胸の奥で音がする。

 とんとん、とんとん。
 四年前に、閉じたドア。
 都合の悪いものを閉じこめて、ずっと見ないふりをしてきたドア。

 向こうでドアをたたいているのは、だれ?

 ……だめ! あけないで!!

 心のなかで必死に叫ぶ。
 でも、四年前に閉じたドアは、もうとっくに限界を迎えていた。
 小さなきっかけで留め金がゆるんだドアが、ギッと不協和音を奏でて開く。

 ……ドアの向こうには、四年前のおれが立っていた。
 虚ろな目をした小さなおれが、今のおれを見上げて、乾いた唇をそっと動かす。




「さみしい」




 ──この気持ちを閉じこめてきたから、ずっと一人でも平気だったのに。
 さみしいって感じなかったから、他人をうらやんだり嫉妬したりすることもなく、心を平穏にたもって、生きていけてたのに。

 おれは息が苦しくなって、壁に身体をぶつけながら、個室のトイレに駆け込んだ。

「……っ、ん、う……うぅ……っ」

 嗚咽が漏れる。涙がこぼれる。
 鍵を閉めて、マスクを降ろして、身体をふたつに折り曲げる。

 何も出ない。

 いつものストレスなら、吐いたら楽になれるのに。
 代わりに、ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が落ちる。
 ずっと閉じこめてきた気持ちが、胸のなかで嵐のように吹き荒ぶ。

 ……さみしい。
 さみしいよ。
 ひとりぼっちは、さみしいよ。

 おれは、声を殺して、泣きわめいた。


   ◆ ◆ ◆


 足をもらうかわりに声をなくした人魚姫。
 歩くごとにナイフの上を歩くような痛みをおぼえる人魚姫。
 ひどい話だなあって思ってたけど、この童話は寓話で、寓話は人間じゃない生き物を使って人間の話を描く訓話だった。

 人生は痛みだらけだ。

 ひとしきり泣いたおれは、手洗い場の水を使って顔を洗った。
 鏡に映っているのは、目を腫らして情けない顔をしたおれだ。

 ……さみしいって感情は知っていた。
 物語のなかでも出てきたし、生き物はみんなそう感じることがあるんだって、分かってた。

 でも、14歳からその感情を閉ざしていたおれは、自分の身に降りかからない感情の表面をなぞっていて、本当の意味での実感なんて得られていなかったんだ。
 ナイフを握ったら血が出て痛いんだと知っていても、実際に握って初めて、どれだけ痛いのかを知った、子どもみたい。

 今なら分かる。

 榎本さんがオダネネに裏切られたとき、本当は胸の痛みを抱えていたってこと。
 クリスマスパーティーで榎本さんに拒否されたオダネネも、胸を痛ませて、それでも榎本さんを追いかけていたんだってこと。

 それから、きっと人魚姫は、一歩ごとにナイフの上を歩くような痛みを感じるより、王子様と離れているほうが、何倍も痛かったんだろうっていうことも。

 水で冷やして、目もとの赤みがいくらかマシになったおれは、もう一度鏡を覗きこんだ。

 ……大丈夫。
 きっと大丈夫。
 おれは自分に言い聞かせる。

 さみしいって気持ちを思い出しても、おれはこの先も歩いていける。


   ◆ ◆ ◆


 次の日の放課後、おれはもう一度オダネネに会いに行った。

 オダネネはまた、屋内プールの側にしゃがみこんで煙草を吸っていた。
 おれの足音に気づいて振り返ったその顔に、驚きの色は見当たらない。

 もしかしたら、オダネネもおれと話したいって思って、ここで待ってくれていたのかもしれないな。
 そう考えただけで、胸がいっぱいになって泣きたくなった。

「……小虎」

 オダネネが、おれの名前を呼んで、息を継ぐ。
 おれは何か言われるより先に、頭をぺこんと下げて、口をひらいた。

「オダネネ。きのうは、ごめんなさい」
「……は?」
「おれ、なんか気持ちがごちゃごちゃしちゃって。変な雰囲気にして帰っちゃって、申し訳なかったっす」

 顔を上げて、オダネネを見る。
 オダネネは眉をひそめた表情で、おれから視線を外したまま、小さく口を動かした。

「……いいよ。あたしが悪かった」

 ……え?
 おれは数度ぱちぱちとまばたきした。
 
「オダネネ、熱があるんじゃないっすか?」
「は? ねーよ、健康だわ」
「いやでも……」
「ねーってば。しつけーぞ小虎」

 きっぱりとした口調に、おれは「う、はい」と答えることしかできなかった。

 言いくるめられておいて何だけど、マスクの下で笑ってしまう。
 さっきはちょっと変だなって思ったけど、今のぶっきらぼうな会話の感じ、いつものオダネネみたいで、嬉しい。

「話、そんだけ?」

 オダネネが煙草をもみ消して立ち上がりながら、おれに尋ねてくる。

「あ、これだけっす……。おれ、とにかくオダネネにあやまりたくて」

 そう弁解すると、オダネネはおれに背を向けたまま「あっそ」と返事をした。
 ややあって、オダネネが小さな声で、何かをつぶやく。

「……小虎があやまることなんて、なんもねーよ」
「え?」
「なんでもない。帰る」

 オダネネはおれの方を見ない。
 だから、今オダネネがどんな顔をしているのか、分からない。
 話はもうないと言った手前、これ以上ここに引き止める手段なんてあるはずがない。
 おれはだまって、遠ざかっていく小さなうしろすがたを目で追いかける。


 ……オダネネ。
 ごめんなさい。

 誰とも友達でいる資格がないって名乗り続けることを、あの学生裁判の日に約束したのに。今のおれは、その約束を破りかけてしまっている。

 ……さみしさを閉じこめたのは、めちゃくちゃになってた四年前のおれでは、その気持ちにとても耐えられなかったから。
 ひとりぼっちでいるさみしさや、さみしさに引きずられて顔を出す「うらやましい」や「ねたましい」って気持ちに飲み込まれて、ちゃんとしたおれが消えてしまいそうだったから。

 でも、やっと向き合えた「さみしい」って気持ちは、悪いものを連れてくるだけの感情じゃなかったよ。

 生き物はみんな、ひとりでは生きていけないようにできている。
 たとえそれが生存戦略っていうDNAに刻まれた本能でしかないのだとしても、生き物はさみしさを覚えるから、誰かと一緒にいたいって、そう強く思えるんだね。

「さみしい」を思い出したおれは、「いとしい」って気持ちの輪郭も思い出した。


 オダネネ。
 好きだよ。

 いつも活発で明るいところ。
 自分の気持ちに正直なところ。
 後悔するより前を向いて進むところ。
 本当は友達思いで情に厚いところ。
 たまに照れたり驚いたりする可愛い表情。
 おれが持っていない、まぶしいもの、全部。

 ずっと前から、好きだったよ。

 ……だからおれはずっと、知らないうちに、オダネネに嘘をついていたんだ。
 大切な人は作らないって、そう自分で決めて、オダネネと約束までしたのにね。

 ごめん。
 ごめんね。

 オダネネのこと、友達みたいに好きになってしまって、ごめんなさい。

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