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【黄昏学園SS-16】バナナブリュレフラペチーノにうってつけの日

「れんぴょん、もう身体平気なの? だいじょーぶ?」

 二限が終わった小休憩、屈託のない声で尋ねられて、私は思わず息を飲んだ。
 紅色の髪を結い上げた女の子──別クラスのはずの間宮ひまりが、私の顔を覗きこんでいる。

 絶句した私を見て、間宮は、にぱっと花が咲いたみたいに笑う。

「あゆらんのつぶやき見て来たんだよねー! れんぴょん入院してたの知らなくてびっくりした! でもさ、学校に来れるくらい元気になったみたいで良かったよ!」

 私は心のなかで、マメちびの頭についたおだんごをむしり取った。

 同じクラスのマメちび、こと玉響あゆらは、SNSで頻繁に独り言をつぶやいている。あとでマメちびのアカウントを覗いてみたら、案の定「花室サン退院しちゃった。。。あゆら、ぃぢめられるカモ。。。どぉしょ><」って書き込みがあったので「被害妄想を現実にしてあげるね♡」って返信して、マメちびのこめかみを拳で挟んでぐりぐりしてやったけど、これは今よりもう少し後の話だ。

 それよりも今、現実の話。
 この状況は色々ありえない。私は椅子に腰掛けたまま、席の前に立った間宮をにらみ上げる。

「あんた私の書き込み見てないの? それとも見た上で同情してるの?」

 ──私はこういう奴だから、前に言った通り、見限っていいよ。

 迷宮に入る前、私は間宮に向けて、そう書き残した。
 何度未解決だって決めつけても、不出来な解決だって罵っても、めげずに次々と新しい可能性を私に送ってきた間宮。そんな間宮だって、私が迷宮を作るために依頼を出していたと知ったら、私に幻滅して、私と関わったことを後悔するに違いない。

 見捨てる時の罪悪感が軽くなればいい。
 そう思って絶縁状のつもりで書き込んだ。
 それなのに、現実は私を裏切ってくる。

「掲示板なら、最後までちゃんと読んだよ! えのもっちに向けたれんぴょんの書き込み見て、なるほどなーって思っちゃった! たしかに箱猫のどこ探してもいないんなら、迷宮にいるかも! っていうのはありうるよね! れんぴょん頭いいなーって感心したから、見限るとか同情するとか、ありえないって~! なんか怪我してるのは心配だけどさ」

 包帯を巻いた私の足に視線をやって、困り眉になる間宮。私は何も言えなくなった。

 たっぷりと間が空いたあと、やっとの思いで「……バカなの?」と吐き捨てる。
 罵倒したのに、間宮は、顔をくしゃっとさせて「えへへー!」って笑った。

「そうなんです! アタシ、バカなんだー!」

 あっさり認める間宮を前にして、私はぐっと息を詰めたけれど、すぐに息をほどく。
 私が何を言ったって、きっとこの子は変わらずこの調子だ。
 頬杖をついて、呆れ顔をさらす。

「……間宮って変わってるね」
「そ? でもれんぴょんがそういうなら、そーかも!」

 めげずに、こんな私に明るく声をかけ続けるのを見ていると、呆れを通り越して可笑しくなってきた。
 私は「そうだよ」って返す。

 目の前の向日葵色の瞳が大きく見開かれて、ぱちぱち瞬く。
 しばらくして間宮は「……れんぴょんの肩の力が抜けた感じの笑顔、初めて見たかも!」と、弾んだ声を上げた。

 ……私、笑ってた?
 あわてて唇を引き結ぶ。
 しかめ顔をつくる私に構わず、間宮は自分のスカートのポケットを漁りはじめた。

「ねーねーれんぴょん、LINE交換しよ!」
「唐突に何」

 間宮は大量のステッカーでデコられたスマホを取り出す。

「あのさ、遅くなったけど、お見舞い贈りたいから!」って言って、間宮はLINEのQRコードを私に差し向けてきた。

 渋々それを読み取って登録すると、すぐに通知音が鳴った。
 間宮から初めて送られてきたのは「おつかれさま」のメッセージカードのついた、ドリンクチケットのLINEギフトだ。

 顔を上げて、怪訝な顔を間宮に向ける。
 間宮は「ふふーん」と胸を張った。

「アタシ、スタバでバイトしてるんだ! 新発売の期間限定のバナナブリュレフラペチーノ、ほんとにおいしいから、れんぴょんもゼッタイ飲みに来て!」


   ◆ ◆ ◆


 包帯の巻かれた足を二―ハイソックスに通して、ミニスカートを履き、シルバーバックルのついたベルトをきつく絞める。
 リップを塗って箱猫マンション501号室を出ると、うざったい陽射しが容赦なく私に降り注いでくる。

 こんなのすぐに日焼けする。まだちょっと残ってる腕の傷跡隠しのために、シースルーの長袖トップスを選んで正解だった。
 そんなことを思いながら、マンションを出て、厚底靴でアスファルトを蹴りつけるみたいにして歩く。日陰はすでに夏の色濃さで、ブラックレースの木漏れ日が、地面にさざなみみたいなゆらめきを作っている。

 土曜日のスタバは混雑していた。
 入店して、店員のいるカウンターを見る。背を向けてドリンクを作っていても、鮮やかな髪色で、すぐに店員が間宮だって分かった。

 作ったドリンクを客に渡し終えた間宮と、目が合う。目の覚めるようなグリーンのエプロンを付けた間宮は「あっ! れんぴょん!」って言って、いつもの馬鹿みたいな満面の笑みを向けてきた。

「来てくれたんだー! 服かっこいーね! へへー、今日は特別に安くしちゃうよ!」
「あんたがくれたチケットがあるんだから、安くも何もないじゃん」
「あはっ、そーだよね! それでれんぴょん、注文何にする? バナナフラペでい?」
「前に間宮が言ってたのでいい」
「かしこまりー! カスタムしちゃう? アタシ的には、ノンホイップノンソースでチョコレートソースとチョコチップカスタムしてチョコバナナ風にするのがオススメなんだけど、クリームブリュレ風にブレべミルクに変更してバニラシロップ追加してエクストラホイップつけても美味しいよ!」

 ……何て?
 今の間宮、何喋ってた?

 眉を顰めて黙り込む。
 間宮は小首を傾げて私を見返した。
 それから何か思い当たったような、悪戯いたずらを思いついた子どもみたいな顔になる。

 にんまり笑った間宮が、カウンター越しに腰を折って、私の顔に唇を近づけた。

「……もしかして、スタバはじめて?」

 こしょり。
 耳もとで囁かれて、背筋にゾワッと震えが走る。
 私は身体をすくめて間宮から遠ざかった。

「……っ、悪い!?」
「んーん? ぜーんぜん! れんぴょんイケてるから、スタバなら通いなれてますけど? みたいな感じに見えるけど、はじめてだったんだねー! なんかかわいいかも!」
「……っ、無駄口叩いてないで、早くドリンク! 普通のでいいから!」
「はーい! イートインでいいかな? すぐに作るね!」

 そう返事をしたあと、間宮はスタバ店員らしくテキパキとドリンクを作った。

 大きいグラスにたっぷりと入った黄色いフラペチーノが、トレイに乗って提供される。トレイを持ち上げようとして、無言で驚く。

 なにこれ。重。
 こんなの飲み物じゃなくて、流動食のパフェじゃん。

 念のために昼食の前に来て正解だった。
「ごゆっくりどーぞ!」って言う笑顔の間宮に見送られて、私は苦虫を噛み潰した顔のまま、唯一空いていたテーブル席へ向かう。

 店内の音楽と、小さなお喋りの声と、キーボードのタイプ音が、溶けあって混ざって、立方体の部屋の底に、さわさわ葉擦れみたいに揺蕩たゆたっている。

 白森にあるスタバは家から遠すぎたし、箱猫に来てからは、いろんな手続きとトーリの捜索に追われていたから、スタバに行く余裕なんてなかった。

 ……ここがスタバか。
 視線だけで店内をなぞる。
 落ち着いた色合いのインテリアは、なんとなく木造図書館を連想させた。

 行きつけない場所に来た居心地の悪さを感じながら、間宮が作ったバナナブリュレフラペチーノに手を伸ばしてみる。
 太いストローを突き刺して、唇をつけて吸ってみるけど、これ、けっこう吸いこむ力がいる。

 ……くそ、喘息持ちなめるな。
 スプーンつけろ。

 心のなかでスタバに悪態をつく。
 ストローを動かすと、底のあたりにどろっとしたバナナの果肉が溜まっていることが分かったので、ストローでクルクル混ぜる。

 あらためて口をつけると、さっきより少しだけ吸いやすくなった。
 ちゅうっ、と口もとにフラペチーノがやってくる。

 ……甘っ。なにこれ。
 完熟バナナとアーモンドミルク?

 ストローでホイップを吸ってみる。

 へー……。
 こっちは生クリームとカラメルソースか。
 層が何重にもなってるんだ。
 手が込んでる。
 ……っていうか、やっぱり流動食になったパフェじゃん。

 外の陽気でうっすらと浮いていた汗が、フラペチーノの冷たさで引いていく。

 なんとなく、見るともなしにカウンターに視線を向けると、間宮がくるくる動きまわって働いているのが見えた。
 ひとつに結い上げた赤い髪が、間宮の動きについていくように揺れている。

 新体操のリボンみたい。
 そんなことをぼんやり考える。

「おい、注文と違うぞ!」

 突然、罵声が轟いた。
 店内が、しんと静まりかえる。

 間宮の「申し訳ありません、すぐに作り直します」って声が「そういう問題じゃねえんだよ! お前も俺を馬鹿にしてんのか!」って裏返った金切り声に掻き消される。

 カウンターの前に立った小汚い男が、ギロリと間宮をねめつけている。

「ガキが、仕事舐めやがって」

 男はチッと舌打ちして、勢いよく床を指さした。

「申し訳ないと思ってるなら、今すぐここに来て土下座しろ」

 ……モンスタークレーマーだ。
 店内にいる客は、なりゆきを注視していて誰も動く気配がない。

 唇を引き結んだ間宮が、男に言われた通りにカウンターから出ようとしたその時、私は反射的に椅子を蹴った。

「うるさい」
「……あ?」
「うるさいって言ってんの」

 男のところへ、つかつか歩み寄る。

 まさか文句をつけられると思っていなかったのか、男は分かりやすく狼狽うろたえた。
 それでも文句をつけてきたのが、自分が文句をつけた間宮と年が変わらない小娘だと分かると、あからさまに胸を張って、小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いで私を見てくる。

 分かりやすいクズだ。
 私は男の前に立って、微笑み返す。

「顔と口だけじゃなくて、耳まで悪いんですか? 客に逆らえない店員に目をつけて、鬱憤晴らすの、やめてもらえます? 怒鳴り声がうるさいし、すっごく惨めでみっともないんで♡」
「な……っ、て、テメェ……!」

 掴みかかってきた男の手を握り、男の攻撃範囲から身体を抜く動作のまま、手首を捻り上げる。
 男は「いてぇっ!」と分かりやすく情けない声を上げた。

「……く……くそっ! こんな店、二度と来るか!」

 私の手から逃れた男は、今時ありえないくらいありふれた捨て台詞を吐いて、あわててスタバから出て行った。

 静まりかえった店内で、間宮を見る。間宮は表情の抜けた顔で、ぼんやりしていた。

 ……やっぱり怖かったのかな。
 さっきの男もだけど、いちゃもんつけた私も、怖かったんだろうな。

 そう思っていたら、間宮の顔がみるみるうちに紅潮していく。
 彼女は興奮気味に声を上げた。

「すっごい! れんぴょんかっこよー! 強いしかっこいいし、スパダリじゃん!? れんぴょん、ゼッタイ中学のとき女子にモテたでしょ!!」
「…………は?」
「助かったよー、ありがとー! もー、ああいうカスハラ、マジでむかつくよね! れんぴょんがバシッて言ってくれて、すーっとしちゃった!」

 間宮の黄色い声に呆然としていると、制服を着た警備員が「何かありましたか」ってスタバに駆けつけてきた。

 間宮はにっこりと笑って警備員に「お客様からハラスメントを受けそうになったので呼び出しボタンを押したんですが、すぐに私の友人が対処してくれたので、大丈夫でした!」と答える。

 ……つまり何?
 間宮はあの状況で、冷静に警備員を呼ぶボタンを押していたってこと?

「土下座するつもりじゃなかったの?」

 思わず間宮に聞く。
 間宮はきょとんとした顔で私を見た。

「なんで? だって、土下座しなきゃいけないミスじゃなくない?」
「じゃあ、なんであの時、あの男の言う通りにカウンターから出ようとしたの?」
「えへへー。アイツの目の前で、誰が土下座なんてしますかー! って、ガツンと言ってやりたくて!」

 にこにこ笑いながら物騒なことを口走る間宮。

 私は呆気に取られた。

 何この子。そんなことして、男が逆上したらどうするつもりだったの?

 そんな常識的なことを考えて眉を顰める場面なのに、間宮のまっすぐすぎる負けん気の強さに、堪えきれない可笑しさが込み上げてくる。

 たまらず「ふふっ!」と噴き出す。
 声を上げて笑う私を見て、間宮は一瞬驚いたような顔になって、でもすぐに私と一緒に笑いはじめる。

「へへ、れんぴょんに助けられて、アタシれんぴょんに貸しイチできちゃったね!」
「貸しとか別にいーよ。そんなつもりじゃなかったし」
「ええー。でもさ、それじゃアタシの気が収まらないっていうか!」
「……じゃあ、ひとつだけ、私の言うこと聞いてくれる?」

 内容を聞く前に、間宮は「うんうん!」って首をこくこく前に倒して、安請け合いしている。

 単純な奴。
 私がとんでもなく悪いお願いしたら、どうするつもりなんだろ。

 ……ああでも、そうしたら間宮はさっき言ってたみたいに、キッパリ断るだけか。
 強くて分かりやすくて、好ましい。

「私のこと呼ぶなら、蓮って呼んで」

 短く願いを口にする。
 間宮が小さく首を傾げたので、口籠りながら言葉を付け足した。

「……ぴょんは、なんか、うさぎみたいで、私には可愛すぎる」

 これから何度も呼ばれるなら、気恥ずかしくない名前の呼ばれ方がいい。

 間宮は夏の向日葵みたいな、まぶしい笑顔を私に向けた。

「分かった、そう呼ぶね! 今日はホントにありがと、蓮!」


   ◆ ◆ ◆


 フラペチーノを飲み終えてスタバを出る。
 すごいボリュームだった。
 胃が重い。今日はもう昼食いらない。

 外気に触れると、来るときはあんなにうざったく感じていた熱気が、不思議と肌に心地良かった。
 涼しい店内と冷たいフラペチーノで、すっかり身体の熱が取れたせいかもしれない。

 ふいに、バニラのような、冷たい花のような、甘いバナナの残り香が、自分の吐息に混じっていることに気付く。
 ひんやりと甘い余韻が、暑い屋外に出た今になって、時間差で身体に広がっていく。

 香りは暖かさに触れて花開く。
 こうなることも折り込み済みなら、なかなか粋な計らいだ。 

 ……あんまり食に興味なんてないけど、それでも、あのパフェもどきは、今日みたいな暑い日には、確かにぴったりだったかも。

 身体は重くなってるはずなのに、不思議と気分は悪くなかった。
 土曜日の箱猫に吹くぬるい風が、私から黄色い残り香を軽やかにさらっていく。

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