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【黄昏学園SS-6】短くて苛烈な火

『From:織田寧々
 To:塞翁小虎

 まじだっる!まじむかつく!かわいいとか二度と言うな。もし容姿の事なら、お前に言われると皮肉に聞こえんだよばーか』

「……は!?!?!」

 オダネネから届いたDMを読んだおれは、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 信じられない思いで、何度もDMの文面を読み返す。

 おれが?
 かわいいって言った?
 オダネネに?
 いつ?
 どこで?
 そんなのまったく覚えがない。

 さっきまで読んでいた小説をデスクの脇に追いやる。冬休みに読もうと思ってTSUTAYAの社割で買った、好きな作家の新刊だけど、なんかもうそれどころじゃない。

 スマホを両手で握りしめて、オダネネからのメッセージを読み返す。

 少なくとも覚えている限りでは、おれはオダネネにかわいいなんて言ってない。良いところを見つけても褒めすぎちゃ駄目だって知ってるから、おれは普段からうんと気をつけている。

 ……じゃあ、覚えてないときだったら?

 脳裏に豪華なイルミネーションがキラキラ輝いた。同時に、酔って記憶をなくした有栖川さん主催のクリスマスパーティーのことを思い出す。

「きっとあのときだ……」

 おれはスマホを握りしめて、ずるずるとデスクに突っ伏した。

 顔を袖に埋めたまま、何とか酔ってるあいだのことを思い出せないかと、おれはクリスマスパーティーの記憶を辿る。

 呼んでもこないオダネネ。肩車を提案したら舌打ちしたオダネネ。おれに料理を取ってくれたオダネネ。コンプレックスを打ち明けたら、何でもないことみたいに笑ってくれたオダネネ。

 あれはすごく嬉しかった。

 いたずら心で料理を食べさせたら、いつか刺されるぞって物騒な予言をしたオダネネ。プレゼントをぽんぽん投げるオダネネ。黒田さんに、小虎にセクハラされたって訴えたオダネネ。びっくり箱らしきプレゼントをおれに向けて開けるオダネネ。おれのすねを蹴るオダネネ。

 ……なんかだいぶひどくない?

 順番に思い出していくと、酔った榎本さんが怒っていたのを思い出して悲しくなった。
 オダネネが榎本さんを追い掛けて、でもパーティー会場に戻ってきたのはオダネネひとりで、榎本さんとどうなったのか聞いても、オダネネは黙ったままで……。

 あれからあの二人はどうなったんだろう。しばらくしておたがい冷静になって、ちゃんと話す機会を設けてて、きちんと仲直りできてたらいいな。おれの勝手な理想だけど、あの二人には友達でいてほしい。
 
 再びパーティーの日のことをさかのぼる。
 けれど、いつの間にか酔っていた解決部の仲間に突っ込みを入れまくって、酔って液体みたいになったオダネネを介抱してしばらくしたところで、おれの記憶はすっぱりと途切れる。

 駄目だ。思い出せない。

 はぁ、と溜め息をついて顔を上げて、またオダネネからのDMに視線を落とす。あのパーティーから数日経ってるけど、オダネネはまだ、酔ったおれがかわいいって言ったこと、怒ってるんだ……。

 そこまで考えて、ふと疑問が湧いた。

 ……なんでかわいいって言われて、オダネネは怒ってるんだろう?

 おれが褒めすぎないよう気をつけてたのは、おれなんかが急に褒めて相手をドン引かせたり、もしくは誤解を生んだり、勘違いをさせたらいけないからだ。

 でも相手はオダネネだ。おれの格好悪いところなんて何度も見てる。今さらドン引いたり、ましてやおれを好きになるはずがない。

 気持ち悪がったり照れたり恥ずかしがったりじゃなくて、怒るのも意味がわからない。
 そこはかわいいじゃなくてかっこいいだろわかってねーな馬鹿! ってこと?

 そもそもおれには「結構顔整ってんじゃん小虎」とかよくわからない褒め方を気軽にしといて、何? おれがかわいいって言ったら、なんでキレるわけ?

 考えているうちに、なんだかちょっとムッとしてきた。

 そもそも、パーティーから数日経ったのに、なんで今になって突然DMしてきたんだろう。ずっと怒ってたんだ、ってさっきは思ったけど、よくよく考えると、オダネネがそんなに長くしつこく怒るわけがない。オダネネだから、我慢していて爆発したとかも考えにくい。

 じゃあなんで突然? 
 おれはオダネネになったつもりで考えた。 

 ……きっと、さっきまでは、おれにかわいいなんて言われたことは、忘れていたんだろう。

 それでたぶん、嫌なことがあって、たとえば道を歩いてて「君かわいいね」って声かけられたとか、そういう腹の立つことがあって、それで「そういや小虎もかわいいとかふざけたこと抜かしてたな、ムカツク」って思い出して、その腹の立った勢いのまま、おれにDMしてきたにちがいない。きっとそうだ。そうやっておれに腹立たしさをぶつけてスッキリして、今頃はおれのことなんて、きれいさっぱり忘れてるんだ。

 おれは感情のゴミ箱じゃないのに。

 なんだか腹の底がちりちりする。
 オダネネはこんな風に、おれが気持ちを揺らすなんて、考えたことがないに違いない。

 腹の底が熱い。じっとしていることすらもどかしくなって、おれはチェアを蹴るようにして立ち上がった。
 勢いよくドアを開けて、走るようにして階段を降りる。

「なんだよ小虎、騒がしーな」

 階段を降りきった先の玄関には、弟の竜希が立っていた。これから出掛けるのか、スカジャンを羽織って、降りてきたおれを睨みあげている。

「どこ行くの」

 弾んだ息で短く聞くと、竜希は怪訝そうに眉をひそめた。

「あ? バッティングセンターだよ。年末年始だからって怠けてたら、すぐレギュラーなんて難しくなんだよ。クソ小虎は知らねーだろうけど」
「おれも行く」
「は?」
「おれも行く」


   ◆ ◆ ◆


 ガシャン、と音がして、白い豪速球が吐き出される。バットを振ったけれど手応えはなくて、思いきり振りかぶった勢いのあまり、おれはバッターボックスでふらついた。

 後ろのネットがしゅるしゅると音を立てて白い筋を受け止めて、ぽてんと足もとに球体にして落とす。体勢を立て直してすぐに、またガシャン、と次の球が勢いよく吐き出される。

 おれは再びバットを構えた。バッティングフォームもくそもない。白い筋を捉えて叩くイメージだけは一人前に、おれはバットを思いきり振る。慣れない金属バットの重みと遠心力が、おれの体を振り回す。

「おいもうやめとけって、小虎」

 140kmなんて素人が打てるわけねーだろ、と後ろで竜希が口を出す。
 おれは構わずバットを構えた。この馬鹿みたいに速い球に触れる、今はそのことだけを考えていたかった。

 だぼついたオーバーサイズの袖をまくりあげて、バットを構えるおれの腕は、竜希と比べて白くて細い。けどおれだって、バイトでちょっとは鍛えてる。
 おれにだって、球に触れるくらいはできるはず。

 また大空振りをしてよろめく。なんでこんなにムキになってるのか、自分でもよく分からない。腹の底が、ずっと熱い。ちりちり、ちりちりと、まるで知らないあいだに積もっていたおがくずに、小さな火を落とされたみたいだ。

 小さな火。
 煙草の火。

「織田寧々。あたしが興味あんのは、おもろいことだけだから。つまんねー依頼とか振ってくんなよ」

 自己紹介を、と一ノ瀬さんに言われた新入部員は、不機嫌そうな顔を隠そうともせずそう言った。

 ……あ。
 握力測定の子だ。

 おれは新入部員を見て、心のなかでそう思った。この子とは、前に一度会って話したことがある。

 織田寧々。測定の紙が間違えてるって言ってたけど、本当は名前、合ってたんだ。先生に確かめて戻ったときにはもういなかったから、逃げる口実だったんだと、薄々気づいてはいたけれど。

 短い四文字の名前が印象に残っていた。

 織田寧々はクラスメイトの榎本さんを誘って解決部に入ったらしく、榎本さんとは楽しそうに話をしていたけれど、他の部員とはあんまり馴れ合うつもりはないらしかった。

 部長の一ノ瀬さんにもツンケンしていたし、しょっちゅう「あ?」って不機嫌そうにしていたし、かと思うとすぐ「ま、どーでもいいけど」と話を投げたりしていた。

「織田さん、そんな高いところ座ってたら危ないっすよ」

 あれは織田寧々が入部して間もない頃のこと。おれが焼却炉にゴミを捨てに校舎裏に行ったら、彼女がフェンスの上に座っていた。

 おれの呼びかけに織田寧々が振り返る。
 眉をひそめておれを睨めつける表情は、ちょっとだけ弟の竜希に似ていた。

「落ちたらどうするんすか」

 おれはそう言葉を継いだ。ぶらぶら揺れている足は細くて、うっかり落ちたら足を挫くんじゃないかと心配になったからだ。

 おれの言葉を聞いた織田寧々は、チッと短く舌打ちした。

「お前つまんねー奴だな、塞翁」

 それだけ言っておれから視線を外して、フェンスから飛び降りて、おれから離れていく。

 どうやらおれは「おもろくない人間」だと判定されたらしい。

 織田寧々は、内と外の感情が直結している人間だった。感情を隠さない。面白そうだと思えば危ない事件でも首を突っ込むし、つまらないと思えばテコでも動かない。
 基本的に興味を持てたり報酬のある依頼だけを受けて、ひとたび依頼を受ければ、頭の回転の速さで即解決する、そういった面では優秀な部員だった。

 榎本さんといる時は、楽しそうに笑っていた。
 けれどおれの前では、ぎゃはっという特徴的で楽しげな笑い声を立てることは少なくて、何かに急き立てられてるみたいにいらいらしていた。怒りも、苛立ちも、焦燥も、感情が分かりやすくて激しかった。
 嵐のようで、火のようで、なんだか生き急いでいるようで、見ていて不安になる子だった。

 おれは織田寧々を見かけるたびに声をかけるようになった。
 織田さん、そんなことしちゃ危ないっすよ。織田さん、そこ段差あるから気をつけて。織田さん、今日部室くるんすか。織田さん。

 声を掛けても、織田寧々はおれに「うざい」「うっとーしー」「黙れ」「うるせー」としか返さない。
 何度も言葉を重ねるうちに、強い言葉で拒否しても無駄だと悟ったのか、あきれたようにため息をつかれたり、時には無視されることもあった。

 その態度は、おれのような人間にはありがたかった。

 お節介を焼いても、何を言っても、織田寧々は間違ってもおれに友情を感じたり、好きになるような人じゃない。
 おれは織田寧々には、遠慮せずに声をかけたり心配することができる。

 彼女を心配しつつも、そんな汚いエゴを抱えていることは隠して、おれは織田寧々に声を掛け続けた。

 ……あれは風の強い日だった。織田寧々はまた、校舎裏のフェンスの上にいた。今度はフェンスの上に足を乗せて、両手でバランスを取りながら、細い棒の上を歩いていた。

 まるで猫みたいだ。そう思いながらおれは織田寧々に近づいて、危ないっすよ、と、そう言った。
 正確には、言おうとした。

 どんな火でも消してしまいそうな、強い風が吹いた。思わず目をぎゅっと閉じて、開いた。次の瞬間、おれの網膜に映ったのは、黄昏学園の境界の外へと、身体が傾きかけている織田寧々だった。

「織田寧々!」

 おれはあわててフェンスの上にいる織田寧々の腕を、こちら側へと引っ張った。

 ぐらり、と織田寧々の身体が揺れる。
「うぁ」と細い声が聞こえた次の瞬間、視界が揺れて、おれは地面に叩きつけられた。

 痛い、と思った次の瞬間、おれの身体の上でぶるりと震える存在に気づく。あわてて起き上がって「織田寧々、ケガは!?」と聞くと、足蹴にされて距離を取られた。身体が小さく震えていた。

 ああ、落ちそうになったから怖かったんだ。
 その時はそう思っていた。

「……っ、お前いきなり何なんだよムカつく!! あたしは落ちるようなヘマはしねーよ!!!!」

 おれに向かって牙を剥く織田寧々。どこかを痛くしたりしていない様子を見て、おれはほっとして、身体の力を抜いた。

「おれの早合点だったみたいっすね、ごめんなさい」
「チッ……」

 織田寧々は舌打ちして、それから「つーか」とおれを睨んできた。

「おだねねって呼び方何だよ、馴れ馴れしいなお前」
「……あ」

 おれは意味のない一音を発して絶句した。
 織田さんじゃなくて、織田寧々って呼んでしまった。ずっと心のなかでそう呼んでたとはいえ、突然のフルネーム呼びは、さすがに気持ち悪がられるっておれでも分かる。

「ご、ごめ」
「まー別にどうでもいいけど」

 織田寧々は心底どうでも良さそうにそう言って、膝を払って立ち上がった。
 それから地面に座ったままのおれを見下げて、にぃとギザ歯を見せて笑う。
 とびきりの悪ふざけを思いついたときみたいに。

 ザッ、と音がした。

「わっ」

 突然立った砂煙に、おれは声を上げた。
 砂が入った。目が開けられない。織田寧々が砂を蹴り上げたのだとやっと気づいたけれど、もう遅い。
 軽い足音が、おれから遠ざかっていく。

「ざまーみろ小虎!」
「は!?!?」
「お前馴れ馴れしいから下の名前な!!」

 ぎゃはっ!と特徴的な笑い声を残して、織田寧々が遠ざかっていく。
 おれはびっくりして、混乱して、ひさしぶりに家族以外に呼ばれた下の名前の呼び捨てにまたびっくりして、訳がわからなくなって「なんで!?!?!」と叫んだ。

 こんな風に外で大声で叫ぶのなんて、いつ以来だろうと思いながら。

 季節は風のように過ぎていく。
 一日一日が、当たり前の顔をして、日常という名前を残して、燃えつきる。

 500円玉事件。
 血塗れナース事件。
 ハロウィン事件。

 学生裁判事件。

 オダネネが笑って煙草を掲げる。
 火災警報器がけたたましく鳴って、スプリンクラーから水が吹き出す。
 おれでは思いつきもしなかった解決方法を目のあたりにして、呆然とする。
 呆然としながら、目を奪われた。
 短くて苛烈な火みたいだった。

 スプリンクラーの流水が大きくなる。
 大きく、速くなって、白い筋になる。
 おれは足を踏みしめて、それに向かってバットを振るう。

 もう何度目か分からない空振り。息が上がって、汗が頬を伝ってしたたり落ちる。身体が熱い。まるで燃えてるみたいだ。
 ひりつく手で汗をぬぐって、おれはまた性懲りもなくバットを構える。

 バットを振ったおれの耳に、キン、と高い金属音が響いた。
 手が、じんと痺れる。

「あ」

 後ろで竜希が声を上げた。
 白い筋は球になって、空高く上がって──ぽてん、とバッターボックスの近くに落ちた。

 ファウル。


   ◆ ◆ ◆



 竜希の練習を見守って帰る頃には、陽はとっぷりと暮れていた。
 竜希のバッティングは安定していて、見せてもらった手のひらには硬い豆ができていて、おれは改めて竜希をすごいと思った。

「ちょっとはスッキリしたのかよ」

 並んで歩く帰り道、竜希がぶっきらぼうに聞いてくる。

「何があったのか知らねーけどさ」
「あー……突然ごめん」

 気まずくて笑いながら謝ると、竜希は「まあ、たまにはいんじゃねーの」と、ぼりぼりうしろ頭を掻いた。

「小虎がイラついたり怒ったりとか、めずらしいし」
「んー……怒ってたのかなぁ……」

 おれはあごを上げて、空を見上げながらつぶやく。
 正直自分でも、さっきまでどうしてあんなにモヤモヤしていたのか、よく分かっていなかった。

 でもバット振ったらスッキリしたよ、って笑ったら、竜希はハッと短く笑って「単純」とおれをからかった。
 何だよ、とおれが肩をぶつけると、竜希も笑いながら肩をぶつけ返してくる。

「で、我が家の小虎をそこまで怒らせた奴って、どんなやつなんだよ? クラスの奴? 先公? 後輩?」
「いや怒ってないし、相手が悪いとかじゃないんだけど……」

 竜希がしつこく目で訴えてくるので、仕方なくおれは「解決部の後輩」と短く答えた。

「へー。なんて名前の奴」
「オダネ……いや、織田さんっていう後輩の女子」
「は!?!?」

 竜希が突然大声を出したので、おれはびくっと身体をすくめた。
 竜希は「マジかよ」と眉をひそめて、それからすぐ「いや、まさかな」と鼻で笑って、一人で忙しく百面相をしている。

「なに竜希。まさか織田さん知ってるの」
「いや……別に? 織田なんて名前の知り合いなんていねーし?」

 嘘をついていると分かりやすい竜希の頬は、心なしか上気しているように見える。
 おれは半目でそれを眺めた。

 ふーん…………。
 へぇ〜~〜……。

 竜希はあわてて「はやく帰ろーぜ」と足を早めた。ねーちゃんが家で待ってる、と付け足して。

 おれは追求したい気持ちをぐっと抑えて、うん、と言って、竜希の隣に並んで歩いた。マフラーに顔を埋めて、はぁ、と白い息を吐きながら。
 息は白いのに、今年の冬は暖冬だからか、不思議と全然寒くない。


   ◆ ◆ ◆


 夕食後、自室で再びDMと向き合う。
 腹の底が熱くなったときは、返事なんか返してやるもんか、なんて子どもみたいなことを思ったりもしたけれど、やっぱり返事をしないのは不誠実な気がして、ちゃんと返事をしようと決めた。

 でも、何て返せばいい?

「どういうこと!?!?!」っていうのがおれの正直な気持ちだけど、そのリアクションを返すには、時間が経ちすぎているような気がする。

「嘘でも皮肉でもないよ」

 これは本心だけど、文字にすると急に嘘くさい。そもそもおれが何を言ったか覚えてすらいないのに、こんなことは打ち込めない。

 おれは散々悩んだあげくに、短い一文を考えて、えいっとDM送信のボタンをタップした。

「新学期に直接会って話します」

 おれが考えたオダネネは、あくまでおれの想像だ。このDMを打ったオダネネが本当に怒ってるのか、それともただおれをからかって楽しんでいるだけなのか、ないと思うけど悲しくなって癇癪を起こしているのか、この文字列だけでは分からない。

 ちゃんと会って話をしたい。
 新学期になったら、たぶんクリスマスパーティーで何があったか覚えていそうなニノマエ君に話を聞いて、それからオダネネに直接言おう。
 嘘でも皮肉でもないよって。

 お風呂の順番だよって伊織姉ちゃんからLINEがきて、おれは着替えを持って1階に降りる。
 湯船に浸かったら、慣れないバットを振りすぎたせいで皮が剥けた手のひらが、ヒリヒリしみて痛かった。

 風呂上がり、おれは濡れた髪もそのままに、ベッドにタオルを広げて、その上に頭を乗せて寝転がる。
 水気を含んだ髪の重みが、頬や額に触れている。

 ……おれは、おれなんかに感情を揺らさないオダネネだから近くにいたはずだ。
 それなのに、なんでおれの気持ちを気にしないオダネネのことを考えて、腹の底が熱くなったりしたんだろう。

 おれは寝返りを打った。
 自分で自分がよく分からなかった。

 ──でも、たぶん、大丈夫。
 きっとすぐ、いつも通りのおれに戻れる。

 自分に暗示をかけるように心のなかでつぶやいて、投げ出していた手のひらをぎゅっと握る。

 皮が剥けて湯で温まった手のひらは、どくどくと脈打っていて熱くて、握りしめると、手のなかに火を持っているような心地がした。

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