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【黄昏学園SS-5】穢れを払う晴れの日を

 なんでこんなことになったんだっけ。
 酔っ払ってふにゃふにゃになったオダネネを見守りながら、おれはそんなことを考えた。

 有栖川さん主催のクリスマスパーティーは目を見張るほど豪華で、卜部さんが取り仕切ってくれたプレゼント交換も、白石さん考案の解決部有志による演劇も、夢のように楽しかった。
 バイトで遅れるから迷惑になるかな、参加は見送ろうかな、なんて一時は考えていたけれど、今日ここに来て良かったと、心の底からそう思っていた。

 さっきまでは。

 はぁ、とこっそり溜め息をついて、目の前のオダネネにコップの水を差し向ける。

「ほら、飲んで。体内のアルコールが薄まって、ちょっとは楽になるはずっすから」
「んー……」

 真っ赤な顔をして、こくんと頷いて、おれが口もとにあてがった水を、こくこくと喉を鳴らして飲むオダネネ。
 素直だ。すごく素直で、しおらしくて、伏せた睫毛に翳りがあって、まるでオダネネじゃないみたいだ。でもこれは確かにオダネネで、おれの知らなかったオダネネの一面で、今の彼女を見ていると、取り残されて不安になったような、心の奥のやわらかいひだを撫でられたような心地がして、胸がざわざわする。

 ──榎本さんとは、どうなったんだろう。

 おれが尋ねても、オダネネは何も答えなかった。
 榎本さんは会場を出て行ったきり、帰ってこない。

 はぁ、と、今日何度目になるか分からない溜め息が口から漏れる。
 有栖川さんか、有栖川さん家の使用人を探しに行かないと。酔ったオダネネを介抱して寝かせないと。
 でも、今のオダネネを一人にはさせられない。誰かに見ててもらわなきゃいけない。

 辺りを見渡すと、さっきまでそこにいたはずの卜部さんと風切さんは、料理を取りに行ったようで姿が見えなかった。
 近くのテーブルで、クリスマスサンタの女装をしたニノマエ君が、ワインを片手に顔を赤くして、男子生徒に声を掛けられているのが目に入る。

 ニノマエ君なら大丈夫かな。酔ってるっぽいけど、あんまり普段と変わりないみたいだし。
 おれは男子生徒への牽制も込めて「ニノマエ君」と声を掛ける。

「え、この美人、男?」とばかりに目をまるくする男子生徒はひとまず置いておいて、おれはニノマエ君に、オダネネを見ててほしい、ってお願いした。ニノマエ君は笑顔で「大丈夫だ! マヨネネ君は僕に任せて、シャイニング君はアリスさんを探してくるといい!!」って言ってくれた。
 オダネネが調味料になってたり、おれが光ってたり、有栖川さんが児童書の主人公になったりしてるのは気掛かりだけど、ニノマエ君はこう見えてしっかりしてるから、任せても大丈夫だろう。……たぶん。

 安心の種をひとつ得たおれは、ふと喉の渇きを覚える。
 さっきから休みなく、みんなに突っ込みを入れまくってたせいだ。

「ニノマエ君、さっき渡した水残ってるっすか?」

 おれが尋ねると、ニノマエ君は「ん? ああ! うんうん!」と答えて、テーブルにいくつか置かれていたグラスのひとつを、おれに手渡してくれた。
 マスクを下げて、無色透明のそれに口をつける。
 その瞬間、おれの鼓膜に「がおー! にゃー!!」って声が飛び込んできた。

 水を吹きそうになる。
 うっかりちょっと気管に入った。げほげほ咳込みながら、なんとかコップの水を呷って振り返る。
 そこには、招き猫みたいに手をまるめて吠えているオダネネがいた。

「オダネネ、どーしたんすか!」

 あわてて駆け寄ると、オダネネは、にぱっと笑って「あ、ことらだー! えへへ」と紅潮した顔をおれに向けてくる。

「あのな、あたしがにゃーで、ことらはがおーで、おんなじな、ねこ科なんな」
「はいはい、そうっすねー、にゃーとがおーっすねー、オダネネすごい、えらいえらい」

 おれが適当に褒めても、オダネネは嬉しそうに笑ってる。
 ……こういうオダネネも可愛いと思う。でも、今のオダネネも可愛いんだけど、やっぱりおれは普段のオダネネがいい。おれが適当なこと返したら、ちゃんと怒ってくれるオダネネがいい。

 オダネネ、と名前を呼ぼうとしたとき、ぐらりと平衡感覚が崩れた。

 ……あれ?

 身体を支えようと踏み出した足が頼りない。視界がゆらゆらして、身体がぐらぐらする。
 遊園地のティーカップに乗ってるみたいだ。
 どうしたんだろ。頭がふわふわする。

「ことらー?」

 うずくまったおれの顔を、オダネネが覗きこんでくる。
 ……ああ、可愛いなあ。サンタ服似合ってるなあ。やっぱりオダネネには赤が似合う。
 でもそれは、言っちゃだめ。
 あんまり人を褒めちゃだめだって、おれ、知ってる。

 あれ。
 でも、どうして、だめなんだっけ……。

「おだねね」

 名前を呼ぶ。

「おだねねは、かわいいね!」

 オダネネを大きな声で褒め讃えると、辺りがざわりと色めき立った。

 なんだよ。なんで褒めちゃだめなんだよ。
 おれはオダネネを褒めたいんだよ。
 そう思った途端、まわりのことなんてどうでもよくなった。

「おだねねはかわいい! かわいい!」

 かわいい! を連呼して、小さい頭をくりくり撫でる。
 オダネネはむずがるように目を細めて「ん」と小さく喉の奥で呻いて、身体をふるりと震わせた。

「撫でちゃ、だめー……。あたし、震えちゃうからぁ……」

 あ。そうだった。おれはあわてて手を引っ込める。ごめんねオダネネ。
 手で撫でられない代わりに、かわいい、かわいい、って、いっぱい言葉にしてオダネネに渡す。

 言葉って不思議だ。
 口にした瞬間、嘘っぽくなる。
 自分の胸のなかの気持ちを表現したはずなのに、外に出すには取りこぼすものが多すぎる。
 かたちにも残らない。不確かで、たよりない。
 でも気持ちを伝えるには、言葉しか、ないから。

 ──本当だよ。オダネネは可愛い。
 子どもみたいに素直で、自分の気持ちにまっすぐで、可愛い。
 学生裁判の前とは違う、今のオダネネ。オダネネは変わることを恐れない。
 変わってほしいって勝手に思ってたおれなんか置き去りにして、今のオダネネはまっすぐに榎本さんに手を伸ばしてる。どうしたらいいか分からなくても、それでも手探りで、転んだり傷つくことを恐れずに、榎本さんと友達になりたいって立ち向かってる。
 それが、まぶしくて、どうしようもなく可愛くて、かっこいい。

 ……ああ、そうだ。おれ、榎本さんに謝らなきゃ。
 前がそうだったからって、掲示板を見てないんだって思い込んでた。あんなところで自分のことをとやかく言われて、当人を置き去りにしてオダネネとやりあってるのを見て、榎本さんはどんな気持ちになっただろう。それを考えなかったおれはばかだ。榎本さんが怒るのももっともだ。

「おれは……だめ……」

 考えてたら情けなくなってきた。
 なんだろ。目の奥が熱い。視界がぼやけて物が見えずらい。

「ふんふふんふーん! あ、小虎先ぱ……って、ええ!? 小虎先輩っ!?」

 名前を呼ばれた。
 声がした方を見ると、卜部さんが目をまるくしてこっちに駆け寄っていた。「どーしたんですか! 誰かにいじめられでもしましたかっ!?」と心配そうに言って、ポケットから出したハンカチを、おれの目もとに当ててくる。

 ……卜部さんもいい子。いつも好奇心いっぱいで、くるくる動き回ってる。いたずら好きで人をびっくりさせることはあるけど、誰かを傷つけるようないたずらはしない。本当はとってもやさしい。
 おれは卜部さんに笑いかけた。

「うらべさんもかわいーね」
「ぇ」

 卜部さんが絶句してかたまった。

 首を傾げていると「おおい、シャイニング君!」と声が掛かる。この声はニノマエ君だ。
 ぼーっとした頭で振りかえると「マヨネネ君を僕に任せて行くところがあったんじゃないのか!」と、ぷりぷり怒ってるニノマエ君の姿が目に入る。

 ……サンタコス似合ってるなあ。今日は茶髪でかわいいし、いつもだって美人で、とてもおれとおなじ男とは思えない。さっき声をかけてた男子の気持ちも分かる。それにニノマエくんは見た目がいいだけじゃなくて、中身は男気があってかっこいい。かっこよくて、可愛い。

「にのまえくんもかわいいねー」
「……は?」

 おれはニノマエ君の頭を至近距離でなでなでする。
 睫毛が長い。肌が白い。こうも見つめられるとなんだかむずがゆいけど、あくまでニノマエ君は男の子である。可愛い以外も、言っちゃっていいよね。

「おれ、にのまえくんのこと、すきー」

 周囲から悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。
 一気に周囲が騒がしくなる。
 なんだろ。お色直しした有栖川さんでも出てきたのかな。

「塞翁君、それは」とニノマエ君が眉をしかめる。
 あ、名前。正解。
 それを伝えたかったのに、身体から力が抜けていった。おれはニノマエ君に寄りかかるようにして崩れ落ちる。最後に、一段とすごい「キャアアアアァァ!!」って悲鳴を聞きながら。


   ◆ ◆ ◆


「櫻子様、さきほど派遣したSPから連絡が入りました。榎本沙霧は六丸七角に保護されたとのことです。榎本沙霧の捜索を打ち切り、手配していた車も引き返させます」
「そう、ご苦労でしたわね。報告ついでの指示で申し訳ないのですけれど、あちらで酔いつぶれている織田さんと小虎さんを介抱する使用人も手配して下さる? あと新しく二台の車の準備も。お二人を家まで送ってさしあげて?」

 極上のシルクのような滑らかな声が、次々と使用人に指示を飛ばしていく。
 私はいつものように、黙って隣で指示を聞いている。
 私は影であり盾だ。普段は後ろに控えていて、いざという時に櫻子様をお守りするのが、私──ベネット・ラングマンの役割だ。

 子兎から取れた純白のファーを巻いて、紫のシフォンドレスに身を包んだ櫻子様は、今日は一段と麗しく、女神と見紛うばかりの輝きを放っている。
 選ばれたひと。選ばれただけではなく、研鑽を怠らない努力家。
 それが、有栖川家次期頭首、有栖川櫻子様だ。

 次の伝達人が櫻子様に耳打ちする。どうやら、ノンアルコールのシャンパンとワインを間違えた新人使用人を、罰としてただちに解雇するという報告のようだ。
 しかしその報告を受けた櫻子様は「まあ」と目を丸くして「それには及びませんわ。解雇は取りやめておいてくださる?」と柔らかく笑う。
 まさかの返答に口籠った伝達人も、その微笑みに成す術もなく頷いて、その場を後にする他ないようだった。

「よろしいのですか」

 出過ぎた真似かと思いつつ、私は尋ねる。
 櫻子様の御友人に、故意ではないとはいえ、無体を働いてしまったのだ。首のひとつやふたつ、飛んでしかるべきではないのだろうか。
 けれども櫻子様は微笑んだまま、私にちらりと紫水晶の瞳を向けた。

「ベネット、今日は何の日かしら」
「クリスマス、ですが」
「そう、クリスマス。クリスマスは、皆で楽しまなくては意味がないのではなくて?」

 薄紅に彩られた唇が、柔和な笑みを浮かべている。

 ……私は今回の件について、ひとつ疑問があった。新人の使用人が、間違えて櫻子様の御友人にアルコールを提供した件だ。けれどあの有栖川家が、そんな重大なミスを犯すような人間だと見抜けずに、使用人として雇用したりするものだろうか?
 もしこの問いが否であるならば、ワインがテーブルに置かれたのは、過失ではなく故意ということになる。

 ──これはあくまで私の推測に過ぎない。真相は闇の中だ。
 従者である私が有栖川家を崇拝するあまり、盲目になっている可能性もあるだろう。

 私の疑念を知ってか知らずか、櫻子様は御友人達を見渡して、柔らかな微笑を贈っている。

「今日は晴れの日、特別な日ですもの。繰り返す日常は穢れを溜めてしまいますわ。日頃溜まった鬱憤を、本音を昇華させるには、今日は最適な日だと思いませんこと?」

 そんな風に、鈴を転がすような声で囁いて。


   ◆ ◆ ◆


 次の日に目を覚ますと、頭がガンガン痛かった。
 伊織姉ちゃんに「高校生が飲酒とかどーなの!」と足蹴にされて、おれは「いたいいたい、姉ちゃん足もだけど声が頭に響いていたい」と耳を塞ぐ。

 ぶつくさ言われながら差し出された梅白湯をすすると、少しだけ頭と口のなかがさっぱりした。

 パーティーは途中から記憶がない。酔っ払ったオダネネを介抱したまでは憶えてる。でもそのあとは記憶があいまいで、気がついたらおれは塞翁の家のベッドに転がっていた。

「有栖川家の使いの人? ってのがあんたを家まで送ってくれたのよ。黒塗りの車から黒スーツの人があんたを抱えて降りてきて、てっきり小虎がヤクザの世話になったのかと思って焦ったわ」とは姉ちゃんの談。

 新学期が始まったら、有栖川さんに迷惑をかけたお詫びとお礼をしよう。
 何がいいかな。シャトレーゼ? いやいや、こないだお菓子をもらって覚えたピエール・エルメ?
 有栖川さんならなんでも喜んでくれる気がするけど、やっぱり貰って嬉しいものを贈りたい。

 リビングのソファーに腰掛けたおれの隣には、サメのぬいぐるみがちょんと置いてある。プレゼント交換で貰った、風切さんのプレゼントだ。歯がぎざぎざしていて、ちょっとオダネネに似てて可愛い。

 嬉しくて、口もとがニンマリしているのが自分でも分かる。自分で買ったのじゃなくて、解決部の仲間から貰ったプレゼント。今日からこのサメは、ずっとおれのものなんだ。あとで一緒にサメ映画観ような。

 伊織姉ちゃんがコーヒーを淹れながら「パーティー楽しかった?」と訊いてくる。
 おれは一瞬答えに迷う。
 オダネネや榎本さんのことは心配だ。記憶も途中から飛んでいる。
 でも、それでも。

「うん、楽しかった」

 おれがそう答えると、姉ちゃんは「そ」と嬉しそうに笑った。

 このときのおれは、酔って距離感ゼロで人を誉めまくっていたことから「ホストラ」「天然たらし」と呼ばれ、憧れの六丸君から「塞翁、刺されないようにな」と心配され、八色さんから「塞翁君、実は人生二周目って噂は本当かい? 前世は女性に刺されたと聞いたが、興味深いね」と探られ、コトニノという謎の四文字が流行し、しばらくはマフラーを巻いてほわほわしていた黒田さんから「本でしか見たことのなかった種族は実在した!」みたいな、恋とは違う熱いまなざしを注がれる、そんなとんでもない未来がやってくることを、まだ知るよしもない。

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