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ニセ・傷つきやすい人

「傷つきやすい人」というパーソナリティを自認する人には少なくとも以下の二通りの人がいる。一方は、単なる傷つきやすい人であり、もう一方は、傷つくことを禁止された人、すなわち「傷ついてはいけない人」である。

失敗を極度に恐れる人 で触れたように、子どものパーソナリティははじめ親がわが子はこうであると規定した人格そのままである。親が「この子は繊細である」と考えれば、子どもは繊細になるし、「この子は傷ついてはいけない」と考えれば、子どもは傷つくことを避けるように行動する。子どもは「この子は傷つきやすい」という親が期待する条件付けをそのまま自分のパーソナリティとして理解し、その「役割」を忠実に守りながら成長する。

過保護の親子間では主にこのような関係形成―――親が期待するパーソナリティを子どもが知らないうちに自我に吸収して行く―――が繰り広げられる。この二者間の関係形成は、防衛機制のうちの投影、そして投影性同一視という機能が介入する。この原理を知っておくことは、役割としての「傷つきやすさ」を理解するのに役立ってくれる。



まず、投影という防衛機制の機能を振り返ってみよう。投影は、自分が抱えている感情のうち負担の大きなものを”他人が”持っていると考えることで罪悪感を軽減する精神的な防衛策だった。

たとえば、自分の性欲を否認している男はその欲望を女性に投影することで「この女は誘惑している」という妄想を形成する。その妄想に従った結果、男は性犯罪を起こしてしまう。出所した男は、(あたかもフェミニストに転じたように)「男の性欲を罰せよ」という活動を繰り広げる。これは一見矛盾しているよう見えるが、否認された性欲が女性に投影されていたものが、逮捕をきっかけにして「男性全般」に移されてしまったのである。

もっと卑近な例では、「世の人間は冷たい」とか「人はみんな欲深い」と常々言っている人が、まさに冷たかったり、欲深かったりするという状況を誰しも経験したことがあるかもしれない。投影はわかりやすく言えば、自分が否認している性質という重い荷物を誰かに預けてしまうようなことである。

さて、ある感情負担を他人に預けてしまうところまでが投影だとすれば、その先には、預けられた相手がそれを自分の感情だと「信じ」たり「実現して」しまう投影性同一視という段階がある。典型的な例では、ある男に浮気願望があって、その願望をパートナーに投影しているために、しつこくパートナーに浮気を疑っているとしてみよう。すると、疑われたパートナーは実際には浮気しておらず、その願望もなかったにも関わらず、執拗に疑われることによって現実に浮気に走ってしまう。疑われるまでは存在しなかった願望が投影によって生まれ、後付けでその疑念が”最初から”正しかったことにされてしまう、というのが投影性同一視の過程で起こることである。



投影と投影性同一視によって、ある感情が人と人との間を「互いに無自覚」のうちに共有されるということが説明される。

続いて、ミュンヒハウゼン症候群と代理ミュンヒハウゼン症候群の関係を考えてみよう。ミュンヒハウゼン症候群では、ある人が同情や注目を浴びるために自分は病気だといって聞かず、医者が問題ないと診断しても聞く耳を持たない。代理ミュンヒハウゼン症候群では、この対象が自己から子どものような対象に移り、たとえば母親は自分の子どもは病気だ、異常がある、と意固地になり、問題ないという医者に不信を抱いてしまう。

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