どうしてもやめられないことをやめるには
これまで数回にわたって拡大論、つまり「人は何かを得ることによって幸せになる」という考え方について説明してきました。
そして、この外的な要因によって自己を左右するという考え方は必然として2つの前提を生み出すことになります。
前提1:外的な要因によって私を充足し、完全にすることが可能である
前提2:外的な要因によって私は毀損され、より不完全になる可能性がある
外的な要因が自己を左右する以上、その影響は自己にとって良いものでもあり得るし、また悪いものでもあり得るということになります。つまり、拡大論的な思考にとって全てのものは自己に良い影響を与え得るものでもあるし悪影響を与え得るものでもあるという、一種のギャンブル性を孕んでいるといえるのです。
この考え方と密接に関係しているのが個人の脆弱さの現れとしていつの時代も通底している依存性です。
人がものごとに依存する前提には、自己は不完全であるという思いがあります。この不完全な自己と、外的な要因によって自己は良くも悪くもなるという思いが合わさったときに、ものごとに対する依存性がたち現れます。
まずは前提1:外的な要因によって私を充足し、完全にすることが可能である、という考え方に基づく依存性を考えましょう。
人が何かを始めるにあたって、最初にブレーキをかけるのは自己の不完全性です。特に完璧主義の人は、「私は不完全であるから、私のすることには私の不完全さが投影されるだろう」と考えます。そこで、することそのものとは関わらない外的な準備を進めることで、不完全さと立ち向かうことから一時的に逃避するのです。例えば、今すぐこれを始めたいけどデスクが散らかっていて集中できないから片付けよう、小腹が空いていて頭にエネルギーが回らないから何かを食べてからにしよう、頭が回転していないような気がするから少し息抜きに動画を見てみよう、・・・。しかし、周知のとおり、このような状態から望むとおりに準備が整って「よし、大丈夫だ」となることは極めて稀です。
このポジティブな逃避行動についてひとつ問題を挙げるとすれば、外的な要因によって自己が補われていくということは、何かをするのは後であればあるほど良いということで、より完全なアウトプットをするなら実行は無限に後回しにしてもよいという理屈が成立してしまいます。
しかし、ポジティブな後回し行動はいつまでも続くわけではありません。自分が、準備にかこつけて逃避しているだけだということを次第に自覚するからです。
前提2:外的な要因によって私は毀損され、より不完全になる可能性がある
次に、もっと深刻な依存の状態である、自己破壊的な逃避行動について考えます。例えばあなたに好きなものがあって、それを何かすべきことに先立って繰り返していくうちに、徐々に「このようなことをしている場合ではない」という自罰感が芽生え始めます。飲酒、ゲーム、ネット、娯楽コンテンツ、何でも構いませんが、ひとつのことに集中して逃避するほど、それが悪いものであるという認識が育ってゆくのです。
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