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整形を咎めることは愛なのか

ある手紙の文面が話題になっていた。

あらましは、親元を離れてこっそり整形を繰り返していた娘が、母親からの手紙を読んで整形をやめようと決意するというものだ。

手紙は「あなたが整形していることに気付いている、私は非難ではなく心配している」という内容から始まる。「私は嘘偽りなくあなたのことが大好きだ」「色々なところが変わっているのに気付いている」「あなたはそのままで既に魅力的だとみんな思っている」「わたしが男子ならきっとあなたを好きになると思う」「どんなときも見守っている」「そのままでいてください」・・・。

この手紙は母娘の愛情あふれる物語として歓迎され、称賛を浴びている。あなたの母親はあなたのことを本当に大切に思っているのですね。

親子はほとんどの場合で一種の共犯関係を結んでいる。それは親が子に対する自分の感情を愛情と信じ、そして子が親から受け取るものを愛情と信じようとする共犯関係である。親が愛情だと思い、子が愛情だと信じることによって、そこに愛情というひとつの現実が生まれる。

しかし、この共犯関係が愛情と定義するものによって、人は苦しむ。心理学は時にそれを「愛情ではない」と言う役割を担っている。それは、私たちが互いの愛情を信じようとする心によって苦しみの関係に囚われるからである。したがってあらゆる愛情の物語には、表層としての愛情とは別に―――それが愛情ではないと仮定した場合の―――もうひとつの物語が走っている。



フロイトの症例では、ある男は家で食事した時に決まって嘔吐するという症状に悩まされている。その症状は他の場所で食事した場合には現れない、したがって家庭にまつわる問題だと考えられる。調べてゆくと、男は母親に(常に服従や何らかの見返りを求めるような)「恩着せがましい」愛情を受けて育っている。男は表面上、母親を愛し、愛されていると思っているが、その偽装された愛情には常に重苦しい負担感覚が伴っている。男の肉体は言ってみればすべて母親のこなしてきた身の回りの世話や母親の作った料理というような「恩」でできているのであり、二人の関係では男の存在自体が母親からの借り物なのである。

男が嘔吐するのは、母親が実際には自分を愛しておらず、繰り返し恩を着せることによって男を支配下に置こうとしていると「知らないうちに(無意識的に)」知っているからである。母親の料理を食べて自分の肉体に取り込むことは、ますます「恩」を着せられ、母親からの負債を肥大させる行為に他ならない。この関係は、意識では愛情を信じていながら、無意識はそれを否定しているという分裂によってふたつの物語を並行させる。愛されている男と愛されていない男の物語である。

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