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必要なものしか見えなくする"貧困"

文化は社会よりも上位の存在だ。社会はときに文化を抑圧するが、それ以前の主従関係によってむしろ文化こそが社会を作り変えてきた。

文化は人の望みを示し、望みは思想になり、思想がようやく社会を動かす。つまり、文化が行き先を示さなければ、人々や社会は戸惑い、混乱し、その場で回転し続けるしかなくなってしまうだろう。



さて、豊かさとは何だろうか、とここで考えてみよう。豊かであるということは、かんたんに言えば多様なもの、特に役に立たないもの、無駄なもの、必要とされないもの、求められていないものが存在を許されている、ということだ。

科学分野ではしばしば、「この研究は役に立つのか」と外部から監査が入り、絶たれてしまうことが長期的な先細りを生むことが懸念されている。たとえば、光ファイバーを通した屋外の通信ケーブルが野生のクマゼミに木と間違われ、産卵管を刺されて損傷するトラブルが相次いだとしよう。このとき、もしセミの研究者によって「クマゼミは生木に産卵しない」という性質が既に明かされていれば、より生木に近い材質のケーブルを開発することで大幅にトラブルの収束までの期間が短縮されることになるだろう。しかし、セミの研究者はセミと通信網の間に深い関係性を見出し、先見の明をもってセミを研究したのではなく、単にセミを研究していたのかもしれない。

今、役に立たないものがいつ役に立つのかもわからないし、また今、役に立つものがいつ役に立たなくなるのか分からない。だから、世の中を役に立つものばかりで溢れさせず、無駄なもの、役に立たないものを介在させることは、未来に対する投資であるとも言える。

サイエンス・フィクションにおける遠い未来の希望のない社会では、人々は「役に立つ部分」しかなくなったブロック型の栄養食を口にし、機能性だけで装飾に欠ける無機質なスーツを着こなす。



豊かであるということが、役に立たないものの存在が許されていることならば、その反対、貧困は「必要なものしかなくなる」ことだと言えるだろう。

貧困に襲われたとき、人は「今の自分に即座に役立つもの」しか買えない視野狭窄に陥るが、この視野狭窄こそが貧困の本質であり、人を貧困という断崖に閉じ込める原因になっている。個人という単位を過程、組織、社会へと拡大しても、「貧困が進行すればするほど、ただちに必要でないものの存在をゆるす余裕がなくなり、むしろ無駄なものをなくさなければ立ち行かなくなるという視野狭窄に陥る」という構造は変わらない。

逆説的に、お金(役に立つもの)がなければないほどお金は重要になり、お金があってはじめて、それに囚われない豊かさ(役に立たないもの、未来への投資)の恩恵を受けられるようになるのだ。


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