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「反抗させない親」のダブルバインド

親によるダブルバインド(二重拘束)を受けて育った子どもには、自己肯定感や自己主張の欠如といった傾向が認められるという。ダブルバインドを定義したベイトソンによれば、コミュニケーションは言葉の表層と同じものを意味するメッセージと、言外のコンテクストや裏のメッセージを意味するメタメッセージの複数の階層で構成されている。ダブルバインドの影響は、このコミュニケーションの階層を行き来し、コンテクストを読む能力を阻害し、さまざまな精神症状の直接的な要因となる。

ダブルバインドの例では、母親が子どもに「お前を愛している」と言って抱きしめようとするが、子どもが近寄ろうとすると、母親は無意識ではこの子どもを拒んでいるので、実際に近づくと硬直し、子どもがそれを察知して離れると今度は「お前は私が嫌いなのか」と非難する光景が挙げられる。ここでは、表面的なメッセージは「お前を愛している」ことであり、メタメッセージは「本当は拒絶している」ことになるが、子どもはこの表面的なメッセージとメタメッセージの板挟みにあい、混乱させられてしまう。

一般的な禁止とダブルバインドの違いは、次のうってつけの例に認めることができる。



ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子どもに与えるメッセージは、こうだろう。「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい。」この場合、この子が置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力を取っておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろ?でも無理に行けとはいわないよ。本当に行きたいのでなければ、行かなくてもいいぞ」。馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子どもは)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの命令は、猥褻な超自我の命令である。それは子どもから内的な自由をも奪い、何をすべきかだけでなく、何を欲するべきかをも指示する。(「ラカンはこう読め!」、スラヴォイ・ジジェク)



ここで、「古風で権威主義的な父親」と「ポストモダンの非権威主義的な父親」の対比のうちに見て取れる差異は、「子どもの自由意志が損なわれている」という事実そのものの是非である。一見すると「子どもの自由意志を否定する権威主義的な父親」は残酷かもしれないが、子どもは自分の意志が否定されていると知ることができる。一方で、見かけ上の自由選択によって愛情深い父親を演出している後者は、自分が望んでそうしているという自己欺瞞まで要求してしまう点で子どもの行動のみでなく内心の自由まで奪ってしまう。実のところ、単なる禁止ではなくこの自己欺瞞こそが精神病の原因となり得る様態である。

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