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母を悪く言う父、父を悪く言う母

幼い子どもははじめから人格やその元になるものを持っているのではなく、両親との関係性をもとに自我を形成する。両親のあいだの関係もまた子どもの人格形成の材料であり、両親がよい関係になければ子どもの人格形成にも悪影響が及ぼされる。

よい関係にない両親は、(親権争いを思い起こさせるような)子どもの愛情争奪の過程で互いを攻撃し合う。両親の影響を受けながら育った子どもにとって、自分の自我の半分にあたる親が攻撃されることは、ちょうど自分の半分が攻撃されていることを意味する。父親が母親を攻撃するときには、子どもの内面のうち母親に影響された側面も攻撃されるのであり、母親が父親を攻撃するときには、子どもの内面のうち父親に影響された側面も攻撃される。

子どもは両親という対立軸の間で板ばさみの立場におかれ、両親が互いを攻撃し合う場合には子どもの自我は根底から揺るがされる。傷つけ合う両親は子どもに、たとえば相手(父は母、母は父)の愛情は偽物であり、自分のほうがあなたを愛しているという言い方で子どもを味方につけようとする。言うまでもなく、双方が子どもに対してこういった説得を試みれば、子どもはどちらの愛情も偽物であるという疑念が植えつけられることになる。親はときには、子どもの愛情を独占したいというエゴによって子どもをひどく傷つけるのである。



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△親は子どもに内在するものを無自覚に攻撃する



子どもは親の感情闘争に巻き込まれる


親たちが互いの愛情に不満を持っており、その不満を相手に直接伝える術を持たないとき、不幸にも子どもはその不満の矛先に選ばれる。たとえば夫が妻を愛していないという不満は、子どもには「父親は家族を大切に思っていない」というふうに伝えられるかもしれないし、妻が夫をじゅうぶんに想っていないという不満は、「お母さんは良い母親ではない」というふうに子どもに伝えられる。子どもはこの両親の闘争に巻き込まれたとき、双方の矛盾した言い分を取り入れることができず、より近い位置にある一方に同調することで安定を得ようと試みる。

このとき、「自分は父親が好きだから母親は嫌いだ」とか、「母親に同情しているから父親を憎悪する」といった二元論的な見方が妥協的に形成される。この対応は分裂Splittingと呼ばれるものに例えることができる。分裂と呼ばれる状態では、一方は理想化を受けて欠点や都合の悪い部分が否認され、全面的に迎合すべきものとして存在する。しかしもう一方は、全面的に非難すべきものとして評価され、むしろ良い記憶や好ましい印象のほうが否認される。

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