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【コロナ】怖がってくれない人たちについて

今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。

人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。



頑なにリスクを認めない人


さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだと主張する人たちがまず浮かびますね。身近に、気軽に集会を呼びかける上司がいて困っている人もいるのではないでしょうか。

こういう人たちに対してはまず正常性バイアス、自分は死ぬはずがないという認知のゆがみが当てはめられて説明されることになると思います。実際、伝染病のリスクを軽視する人のなかに自分が症状に苦しんだり最悪死んでしまうというところまで具体的に想像している人は少ないと思います。しかし、現在繰り広げられている光景は生命が当たり前に最も重要なものであるという前提と大きく矛盾しています。今回は、全体をとおして少し違う見方をしようと思っています。それは次のようなものです。


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人は、自分の通ろうとしている道であればたとえそこに大岩があろうと叩き割って前に進もうとします。しかし、自分が通りたくない道であれば小石がひとつ落ちているだけでも通らない理由になります。直接的に言えば、人は現実認識に基づいて行動を変えるのではなく、自分のしようとしていることと現実が矛盾しているときに現実認識のほうを変えるということです。私の見た限りでは、多くの人の現実認識と決定/判断の順序は実際こういうものであるように思えます。

ウイルスのような見えないリスクに直面している状況でまず不思議なのは、リスクの高低とリスクの評価が比例していないということです。たとえば、新型コロナウイルスの場合は若者より高齢者のほうが重篤化するリスクが高いですが、実際には年配の方が「コロナは風邪だ」とか「気持ちで勝っていればかからない」と主張しているのを見かけると思います。

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