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どうしてインターネットの人は喧嘩ばかりするの?

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まさひろくん、質問ありがとう。どうしてインターネットの大人たちはけんかばかりするのか、ということについては、大人たちもいつも考えていることだけれど、よく分かっていないね。でも、まさひろくんのような子どもだちは、将来、いまの大人のように愚かな争いに加担してほしくないから、知っている範囲で説明できたらと思う。



「ハグとキス」とは何か


 今のテレビはもはや、視聴者に何を感じるべきか教えるものだ。もう、何を考えるべきか教えるものではない。
 『イーストエンダーズ』からリアリティ番組に至るまで、あなたは他人の感情を旅する。そして編集によってテレビは、みなが合意できる感情のあり方をやさしく伝えてくるのだ。僕はそれを「ハグとキス」と呼んでいる。
 この表現は、マーク・レイブンヒルの秀れた論評から借用したものだが、それによると、今日のテレビを分析すれば、それは誰が「嫌な気持ち」、そして誰が「いい気持ち」を経験してるのかを教えてくれる案内システムだという。そして「嫌な気持ち」になっている人物も最終的には「ハグとキス」の瞬間によって救われることになっている。これはまったくもって、道徳教育のシステムではなく、感情教育のシステムなのだ。(アダム・カーティス)



ネチズンがなぜ集団を形成し、闘争するのかについて考えるために「資本主義リアリズム(M・フィッシャー)」のなかで引用されたアダム・カーティスの言葉を振り返ってみよう。私たちの国でもテレビはこの数十年でものすごく「わかりやすい」方向に進化している、ということは容易に認められる―――大きなテロップ、ワイプ(画面挿入)で頷く芸能人と一緒に見るニュース、ネットの反応、リアリティ・ショー…これらの「ハネる」番組作りのため設けられた工夫は、単純にものごとをわかりやすく説明するだけでなく、起こったことに対して「どう感じるべきが」がセットで提供されるという「共感のための」導線だ。

たとえば、登場人物の間で可笑しなすれ違いが繰り広げられているとき、画面の向こうの視聴者がそれを汲み取ってくれるとは限らないので、放送では客席の笑い声が足される。「フルハウス」のようなシットコムでは、起きているできごとに対して逐一客の反応(ハハッという笑い、かわいい子どもに対するため息、色恋沙汰に対する嬌声…)が付け足されるが、これは全ての場面についてどう反応すべきか手取り足取り教えてくれるものだと言える。そして、この懇切丁寧な「共感」への導線がフィクションからドキュメンタリー、ドキュメンタリーからニュースへと、つまり「現実に向かって」伸びてゆくのが今の時代なのである。

共有される感情は笑いや感動や愛情といったプラスのものばかりとは言えない。たとえば「スカッとジャパン(テレビ番組)」では社会やコミュニティに存在する迷惑・非常識な人物が「論破」だとか「退治」という表現が相応しいような痛快なしっぺ返しを食らう様子が再現ドラマの形式で繰り返される。視聴者は、架空の登場人物が迷惑な隣人によって被っているストレスフルな状況にあえて没入することで、最後に待っている痛快な展開の快楽にアクセスできる。言うまでもなく、そこに現実の問題が孕んでいる複雑さはなく、共感の対象はすなわち善であり正義となる。

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