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HSPブームと”カジュアル”心理学



HSP<Highly Sensitive Person,とても敏感な人>という精神的カテゴリが脚光を浴びつつあります。

Wikipediaによればその定義は「五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達(テッド・ゼフ)」とのことで、ざっくりと受け容れられているように「繊細/敏感な人」という意味になるでしょう。

しかし、「あなたは繊細な人ですか、それとも鈍感なほうですか」と問われたときに、どのような人に関しても言えるのは、他人の感性を体験したことがない以上、「私は繊細な人間です」と自信を持って答える根拠はどこにもなく、この定義だけでは「私はHSPである」と自認することはできません。

そこで各所にある「HSPセルフチェックシート」のようなものを確認すると、以下のような特徴が挙げられています。


・音や、光、においなど些細な刺激が気になる(敏感)

・人と過ごすと疲れる、小さなことに驚いてしまう(繊細)

・他人の(負の)感情を深く読み取ってしまうことがある(共感)

・行動する前にあれこれ考えたり、人に言われたことを反芻する(熟考)


そして、これらの特徴にどれだけ当てはまれば「HSP」であるかについて、全て当てはまらなければ厳密にはHSPではないとされたり、いくつか当てはまったらHSPだとされている場合があり、いずれにせよ「こうでない場合はHSPではない」という言い方はされないために、大抵の人は「自分は繊細だ」と考えるのであればHSPを自認してもよいようであります。

この、良い意味でも悪い意味でも「手軽」であるということが、HSPという概念が注目されやすい大きな理由なのではないでしょうか。



HSPという概念のメリット


この先の文章ではHSPというカテゴリについて可能な批判を考えていくために、まずこの概念の持つメリットについても触れておかなければなりません。

HSPという概念の大きな特徴は、傷つきやすさや敏感さといった特徴を「病気」や「障害」ではなく「個人的な特性」と捉えていることでしょう(病気ではないので、そう「診断」されることもないそうです)。HSPに関する本を読んでみれば、それらがたいてい「勇気づけ」の文脈を含んでいることが感じられると思います。HSPという用語は、傷つきやすさや敏感さを「肯定的」に捉えるための概念だと考えて差し支えないでしょう。

「傷つきやすい人」にとって最大の問題は、傷つくことそれ自体を忌避したり、傷つきやすい自分を憎悪したり罪悪感を抱くという自己否定に繋げることであり、この悪化にしばしば加担するのが精神論や自己啓発です。自己啓発ではしばしば「ポジティブな自分」になるために自らに対して「傷つくこと」を禁じ、それによって却って病的な状態に陥るということが起こります。”傷つきやすい自分”を肯定するHSPは、少なくとも「傷つく自分を憎悪する」という悪循環を止めるうえでは役に立つ可能性があるのではないでしょうか。

しかし、この「傷つきやすい人」「繊細な人」という曖昧で便利なカテゴリに対して、上で引用したような精神医学の立場からの批判もまた妥当なように思えます―――つまり、誰もが「自分はそうだ」と思えるとっつきやすいカテゴリが存在することによって、あまりにも多くの人が「自分はHSPである」というふうに自認し、もっと高度であったり実用的な分類を知らないまま安住してしまう可能性があるということです。

ここからは、HSPというカテゴリに対して存在し得る批判を考えていきたいと思います。



改善性が薄い


前述したように、HSPは敏感さや繊細さを「生まれつきの特性」として受け容れ、肯定するような意味合いの強い用語であり、これは逆に言えば敏感なのはどうしようもないという諦めに捉えることもできるわけです。HSPに関する本を一冊読めば、非常に勇気づけられ、気持ちが楽になるかもしれませんが、それで結局どうすればいいのだという疑問が同時に湧くかもしません。

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