見出し画像

<資本主義ゾンビ>移行のお知らせ

暗い現実を啓蒙するマガジン、<資本主義ゾンビ>をお読みいただきありがとうございます。

SNSで軽く触れましたが、当マガジンは4月よりタイトルを<資本主義ゾンビ>から、以前書いていた<平気で生きるということ>に戻し、再スタートを切ることにいたしました。

そこで、<資本主義ゾンビ>を書くに至った経緯を説明したいと思います。



<平気で生きるということ>はちょうど一年前から三か月、「生きることがどうしてこんなに辛くなってしまったのか」そして「どうすれば普通に、平気で生きていくことができるのか」を考えるために書き始めた文章です。

この文章を書き始めるまえの何年か、私は個人的に心の底に穴が空いたような感覚があって、どれだけ良いことがあってもその穴から情動が零れ落ちてゆき、逆に悪いことばかりが蓄積して「精神の採算が合わない」という状態になりました。そして終いには何もかもが無意味に思え、指一本を動かすのも面倒という状態になったため、藁をもつかむ思いで書き始めたのがあの文章でした。予想外の反響や支援を頂いて、その時点で書けることについては書ききったのですが、この文章は「平気で生きる」ことではなく「現実に直面すること」という地点で終わっています。

この文章の主題は、「問題を最小単位、個人的な単位で捉えること」という、今わかりやすい例でいえばアドラーの個人心理学のような考え方に類するもので、これは完全に動けなくなった人が一歩を踏み出すにはよい選択だったと思います。これは新自由主義にも通じることですが、問題をミクロで捉えることは要するに「他人が抱えている問題は他人に任せ、自分は自分の問題に集中する」のが精神的なコストを最も節約できるという前提に立っています。「自分のことで精いっぱいなのに他人のことになんて構っていられない」と言い換えてもいいでしょう。しかし、この考え方は実際のところ、西欧を中心として多くの先進国が閉塞感に包まれている個人主義の帰結するところであり、言ってみれば私たちの社会が息苦しくなっている原因そのものでもあると言えます(困っている人がいても助けなくてよい、なぜなら私も困っているのだから)。

ですので、この文章を書き続けるにあたって直面した問題は、「この問題はあなた個人が対処可能です」と言えば希望を持たせることはできるけれど、「あなた個人」が対処可能な範囲を拡げるほど「あなた」の責任は肥大し、かえって重圧がかかってしまうということでした。そして逆に、「この問題は社会が抱えている問題である」と言わざるを得ないことに触れるのは、本来は不必要な肩の荷を降ろしたり、社会に正当に怒るために必要なことであるのに、文章の本筋からズレてしまうということが起きていました。



これにあたって、いちど<社会が抱える暗い問題>について徹底的に、暗い現実を暗いまま受け止める必要に駆られて書き始めたのが<資本主義ゾンビ>です。この文章を通じて、資本主義が前提にしている個人主義や競争原理が人の心から優しさや豊かさをどれほど奪っているかということを、自殺したマーク・フィッシャーの<資本主義リアリズム>を中心に、色々な文献を引用しながら書き続けました。そして「このため人類は滅びることになるのである」と結論するくらいには、暗い文章にするつもりでした。

しかし、この「暗い文章」を書き続ける中で予想外のことが起こりました。それは、暗い文章をありのままに書き続けるほどに、自分の中に渦巻いていたどす黒い感情が昇華され、精神的な負荷が軽くなっていくということでした。このことを続けていくと、しまいには暗い文章を書くことに無理が出てくるという有様になりかねない。(余談ですが、この間に生活に何か好転する要素があったのかというと、全く何もなく、むしろ悪化すらしていました。)

これは、後で心理学の資料に触れていくなかで確信したことですが、筆記開示と呼ばれる心理療法があるように、「自分が何に苦しんでいるか」を明確にし、それを表現するという行為は、いたって健康な感情管理の方法であり、暗い文章を書き続けるという行為ははっきり言って心的健康に繋がってしまったわけです。しかし、「苦しい、辛い」と思っていた頃の自分はむしろ逆で、悲しいことや辛いこと、厳しい現実についてなるべく考えないようにし、楽しいことや明るい話題だけを見て暮らそうと真逆の工夫をしていました。そして、世の中にはけっこうこれと同じようなことをしている人がけっこういるのです。

健康な精神には「悲しいことを悲しみ、苦しければ苦しいと言う」という正常な過程が必須であり、それを阻止することはむしろ精神的な苦痛に繋がります。これは後の文章で触れますが、心理的抑圧の基本的なルールです。4月からの<平気で生きるということ(β)>では、いくつか心理学・精神分析的な視点を取り入れて、これまでの「どう考えたいか」に「なぜそう考えられるのか」という力学まで踏み込んで書けるものにできればと思っています。ちなみに、マガジンの枠そのものは継続するため、特別な手続きをしなくてもそのままお読みいただくことができます。

最後に、この暗く憂鬱なマガジンを支援してくださった皆様、本当にありがとうございました。これを機に、<資本主義ゾンビ>の文章は看板を外れますが月曜日から木曜日に枠を移し、ちまちまと書き続けるため、こちらの文章を応援してくださっている方もよろしくお願いいたします。


<資本主義ゾンビ>全編アーカイブ

ここから先は

17字
月額300円。メンタルの弱い人の生活を考える「平気で生きるということ」を中心とした、小野ほりでいによるコラムを毎週月・木曜日に配信します。月間記事数は約8本。

すぐに精神がすり減ってしまう人、何かと自分を責めてしまうようなタイプの人がどうすれば平気で生きていくことができるのかを考えていく有料マガジ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?