見出し画像

「我慢」して「爆発」する人

メラニー・クラインは小児への観察によって、人間にとってのある対象が良い側面と悪い側面に分裂している関係性(対象関係論)を定義した。はじめ乳児にとって、母親の存在は自分が空腹や不満のときに授乳してくれ、構ってくれるとき―――ミルクの出る良い乳房―――と、要求を満たしてくれないとき―――ミルクの出ない悪い乳房―――の二つの存在に分裂している。ここでの対象、母親は単に「自分(乳児)が満足しているのか、不満なのか」によって分裂しているだけで、元は同一の存在だが、良い乳房と悪い乳房は精神的な成長の過程で相手にも都合があることや、人は他人の全ての望みを叶えるほど万能ではないことを理解し、徐々に統合されて行く。この統合に失敗し、対象が善と悪に分離されてしまう状態を妄想ー分裂ポジションと言う。

妄想ー分裂ポジションにある人は、一方では対象が自分の欲望を満たしてくれないと分かったとき、それまでにその人と築いていた関係や、相手が自分の欲求を満たしてくれた存在でもある事実を喪失し、「対象は悪い存在である」というふうに不満を爆発させる。不快な状況や処理不可能な状況に直面したとき、すべてを対象の非のせいだとみなして攻撃的な態度を取る。

また一方では、対象への理想化(良い乳房)を現実に投影し、悪いところのない対象のイメージを守ろうとする。対象は万能であり、自分の欲求を満たさず、落胆させることなどありえないという理想化は、過剰な期待になって現れ、それが満たされないと分かったとき、こんどは対象を過小評価することによって取るに足らない存在として諦め、これ以上の落胆を避けようとする。



分裂する対象関係を築く成人は、たとえば依存的な恋愛関係に見て取ることができる。対象に依存する恋愛は、対象への過剰な期待によって欠点や改善すべきところを認めようとはしない。しかし、それは欠点をその人の一部として「許している/認めている」のではなく、許せないから、認められないからこそ無視していると言える。その結果として、蓄積した不満は理想化が破綻した瞬間に爆発し、対象の人間としての欠陥性に対する批判が堰を切ったように流出する。対象が「わたしを愛する理想の恋人」と「わたしを傷つける認めたくない恋人」に分裂しているとき、自分自身も「理想の恋人を信じなければならない自分」と「傷つける恋人から逃れたい自分」の二つに分裂する。

また、社会や国家に対する言論でも対象の分裂が展開している様子が見られる。不安定な生活をする人々にとって社会は子に対する親のようなものであり、理想化や脱価値化(過剰な落胆)の対象ともなる。これは、歴史の罪や避けられない社会問題が突きつけられたとき、国家や社会は部分的にさえ悪いものではありえないとして跳ねのけてむしろ改善を困難にしたり、反対にそれらは私たちをいつでも裏切り、落胆させ続け、部分的にすら私たちに対して幸福や安寧をもたらしたためしがない、という悲観的な態度になって現れたりする。

ここから先は

2,369字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?