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炎上マーケティングしたときに起こること



先日、「旅館で出てきた料理が多すぎる」という苦言風のtweetが拡散し、結果的に宣伝効果があったこと、そして発信者のプロフィールに「田端大学」というキーワードがあったことから「炎上マーケティングではないか」と話題になりました。

この田端信太郎という方を調べてみると、以前にも「コロナ禍で同業者が倒産すれば競合が減るのだからいいことだ」などと発言していて、中々すごいお方のようなのですが、それはさておいて、今回は炎上マーケティングに類する「結果的に注目さえ集めればいい」という手法を取ったときに実際に起こることについて、自分自身の経験をふまえて書いてみたいと思います。



頭がおかしくなっていく


私の結論から言えば、「法に触れない限りはどんな手を使っても良い」というような極端に成果主義的なやりかたを繰り返すと、普通の人は「頭がおかしく」なるのではないかと思われます。これは、批判とか揶揄のためにそう言っているのではなくて、実際に自分がそうなったという経験から言っています。

私の名前で調べてみれば分かると思いますが、あるいは既に過去に書いた記事を読んだことのある人もいるかと思いますが、私が過去にネット上で書いた記事も「タイトル詐欺」とか「釣り」のような要素を多分に含むものでした。感じたことのある人もいると思いますが、ネット記事には、クリックさえさせれば勝ちというような部分があるため(今でこそ離脱率とか閲覧時間を重視する文脈もあるようですが)、タイトルで意味のわからないことを言ったり、人を不快にさせるような内容を想起させることでアクセスを増やそうとする向きがあります。まともな企業ではイメージダウンに繋がるため、人を不快にするような手法は取られないのですが、猥雑なネット広告では「ほうれい線は○○すれば一発だよ?」とか「旦那『便器に脂浮いてたけど何?』」のようなものが未だに隆盛を極めていますね(ちょっと趣旨が違いますが)。

そして、こういう記事タイトルを打っているときの私の思考としては、「アクセス数を稼がないと仕事にならないから」とか「自分でしたいわけではないけど、そうでもしないと人が読んでくれないから」という消極的な言い分がありました。言ってみれば、「仕事で書いているものだから仕方ない」というふうに、自分の良心の呵責とか、モラルに反するのではないかという疑念を誤魔化していたといえます。私のそれを炎上マーケティングと呼ぶべきかどうかですが、広告記事を請け負ったときにも似たようなことをしていたので、広義には炎上マーケティングをやっていたと言っていいのではないかと思います。



しかし、これを続けていくうちに、だんだん記事を書く腰が重くなり、しまいにはパソコンに向かっても何も出てこなくなってしまいました。何故かというと、これは後になって考えたら簡単に分かることなのですが、「こういう状況だから仕方ない」という外的な事情に自分の判断を委ねているという状態は、はっきり言えば自分の主体性が死んでいるからです。

よく、「世の中お金が全てなのだから法に触れない範囲ならどんな稼ぎ方をしてもいい」という稚拙な拝金主義でリアリストを気取っている人がいるのですが、これも似たようなものだと考えられます。お金がほしいというのに、具体的に「何が欲しいから」とか「何をするのに必要だから」という目的が伴っていればそれはその人の意志だと言えます。しかし、「何でそんなにお金がほしいんですか?」というのに対して「いや、だってお金は欲しいものだから」というトートロジーが返ってくる場合があります。この人は、自分が欲しい理由もわからないものを「みようみまねで」欲しがっているに過ぎす、それは自分の意志ではないし、もっと言えば「どうしたらいいか分からないからお金をほしがっているという状態に身を置いている」のです。

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