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「見捨てられ不安」と依存的な愛情

他者との関わりが親密になることを恐れる人は、心のなかで愛着の対象の存在が大きくなればなるほどその対象に「見放されるのではないか」という不安が増大し、精神的な恐慌に見舞われることから、その危機を無意識に回避しようと試みる(いわゆる「見捨てられ不安」)。この人の中では、一方では愛着ある他者に対して全面的に依存したいという欲求が持ち上がり、もう一方ではすぐにでもこの人から離れなければ「丸呑み」にされてしまうという恐怖が両価的に湧き上がる。この不均衡は、依存的な愛情の対象に向けてどこまでも愛情を試すような行動を取り、半ばその負担によってその対象が自分から離れるように仕向けているようなちぐはぐな態度によって表現される。愛情に依存する人は意識的には、愛着の対象に無限の愛情を要求し、ほとんど自己を放棄するような態度を取るが、無意識的にはその愛情に「見捨てられる」恐怖から逃れるため、この愛情から脱出しようと試みる。相手に過剰な負担を要求することは、愛情を求めながら愛情から脱しようとする矛盾を具現化したものだと言える。



理想化ー脱価値化の愛情


このようにして他者に対する愛情を「0か100か」の極端な評価に置こうとする傾向は大なり小なり理想化(相手を完璧なものと思おうとする)と脱価値化(相手はもはや無価値なので自分にとってはどうでもよい)を伴う。理想化ー脱価値化における二元論的な関係形成では、自分の愛情の対象は完璧であり、決して自分を裏切らないという幻想が守られる。その代わり、愛情の対象が自分を満足させられないとき、期待を裏切ったとき、対象は脱価値化され、分裂した別個の存在として隔離される。

「見捨てられ不安」のような、愛情が突如として断絶されるという恐怖は、理想化ー脱価値化という極端な愛情管理を他者に投影した結果だといえる。脱価値化は、自分の期待を裏切った対象がもはや自分にとって「完全に」価値のない・取るに足らない存在だと考えることで、裏切られたショックを過小評価しようとする防衛機制だと考えられる。対象が微塵も自分の期待を裏切らない存在であるという、現実の人間の限界を無視した理想を維持するために、脱価値化された「もう一方」の対象には否認された相手の不完全性が押し込められる。

自分が愛情の対象を見捨てる、すなわち「100から0に」まで突然に脱価値化するという前提に応じて、相手も自分をそうするであろうということ、つまり相手が自分に欠点を認めたり、期待を裏切ったと感じたときに、自分を見捨てるに違いないという恐怖が生じる。この恐怖を消すために相手の愛情を試したり、さらには恐怖から逃れるためにいっそ自分から愛情を断念するという無謀な試みが無反省に繰り返される。相手が自分を裏切ったと錯覚する些末な事態や、自分自身の失敗、劣等感の積み重ねによって「自分は相手に見捨てられる」という恐怖が昂じたとき、こういった防衛反応が「見捨てられる」という恐ろしい結末に先回りする形で表出する。


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