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自己否定の反対は自己肯定ではない

ある人の精神の安定性をさして「自己肯定感」などと呼ぶ言葉は、不可避的にひとつの誤謬を生む構造を持っている。もしもその誤謬があらかじめ想定されていたならば、この言葉は「自己同定性」とか「自己受容性」、あるいはまったく反対に「自己否定性」とさえ名付けられたかもしれない。

この言葉の持つ逆説的な性質の原因は、精神の不安定なものの視点からそうでない者を捉え、精神的に安定した者の中に実在する「何か」がこの安定をもたらし、対して不安定な者はその実在を欠いているという前提を立てたことである。

これによって、精神的な安定と不安定は「良い」ー「悪い」という二元論的な対立軸に乗せられてしまい、「自己肯定感」なるものは「自己否定感」の対義語にあたるという誤った前提が立ってしまった。このことを、前回触れた「絶対否定」と「相対否定」の差異に照らし合わせながら吟味してみよう。



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この図におけるような、「自己肯定」と「自己否定」の誤った認識は、「良い自分」と「悪い自分」の二元論的対立のうえに成立している。既に説明したように、「良い自分」というのは「悪い自分」という概念に立脚し、相互依存的にしか存在し得ないものである。

「自己否定感」の強い人物は、自分には「何か」が欠如していると考え、その「欠如している何か」を持っている人物を「自己肯定感」のある人物、と捉える。そして、この時点で既に誤っている。なぜと言うに、一般に自己肯定感と呼ばれる安定性を持っている人とは、「否定的な自分」、すなわちあるべきでない自分を用意し、その自分をまた否定することによって「肯定的な自分」のイメージを作り上げ、そのイメージに同一化している人物ではない。むしろ、「悪い自分」なるものを否定するのではなく、「悪い自分」を含めた全体を自己として受容している人物のことである。

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