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ヴィランとしてのトランプ:絶望の中の希望

独・メルケル首相は、連邦議会への乱入事件を受けてドナルド・トランプのアカウントを「永久停止」した米Twitter社について「言論の自由への介入はソーシャルメディア側の判断によってではなく法に基づいて行われるべきだ」と批判した。

もちろん、この批判はイデオロギー的にトランプやトランピストたちに「寄り添って」いるわけではなく、それ以前の基盤となる民主主義的な前提について言っており、この批判がトランピズムを強化するというような「反トランプ的」な見方も、逆に不当な弾圧を受けているトランプは自明に正しいとするような親トランプ的な見方も適切ではない。

結果的にはFacebook、YouTube、Twitch、Snapなど多くのソーシャルメディアからトランプが追放され、ネット上のトランピズムは「臭いものに蓋」をされた状態となったが、のちのTwitter社CEOによる発言では、これも苦渋の判断だったことがうかがえる。



Twitterでアカウントを凍結することには重大な影響が伴う。アカウント凍結は、健全な会話を促進するためにならず、これはわれわれの失敗だと感じる。アカウント凍結は、公共の会話を分断し、われわれを分断する。説明や学びの可能性を制限することにもなる。個人や1営利企業が世界的な公共の会話に権力を持つ前例を作る危険性もある。(ジャック・ドーシーCEO、ITmedeiaより抜粋)



では、そこまで危険とわかっている判断をさせるトランプとは誰なのか。木澤佐登志によれば、支持者がトランプに見出す希望とは過去の中にまだあった未来―――換言すれば、「もはや希望など見えなくなった現在」からいったん過去に遡り、その過去の時点から再び参照された「未来」への希望という複雑な構造を持っている。



2016年の大統領選挙においてドナルド・トランプを支持したピーター・ティールは、ニューヨーク・タイムズのインタビューの中で次のように答えている。「若い世代はちっぽけな期待しか持てなくなっています。こんなことはアメリカの歴史の中で初めてのことです。」そしてこう続ける。「たとえトランプに懐古趣味や過去へ戻ろうとする側面があったとしても、多くの人々は未来的だった過去へ戻りたいと思っているのではないでしょうか。『宇宙家族ジェットソン』、『スター・トレック』、それらは確かに古い。だけどそこには未来がありました」。(中略)
トランプは「再びアメリカを偉大に」というキャッチフレーズを唱えることで、過去の中から巧みに未来のビジョンを掘り出してパッケージングしてみせた。それは他方で、未来は今や存在し得ず、それは常に過去から回帰してくる亡霊としてのみ捉えることができるという情況の反映である。
(ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う<ダーク>な思想、木澤佐登志)



「再びアメリカを偉大に」という1980年レーガンのスローガンのリサイクルは、もはやこの時代にしか未来が残されていないということ、そして同時に「今のアメリカは既に偉大ではない」という事実を示している。

しかし、この「未来のないアメリカ」とう限界はアメリカというよりは実質的にすべての先進国―――奇しくも、グレタ・トゥンベリが「無限の経済成長というおとぎ話」と評した資本主義そのものの閉塞を示している。もはや資本主義そのものに未来がないと分かっていながら、しかも誰ひとりとしてその論理一貫した代替物を想像すらできない状態をマーク・フィッシャーは資本主義リアリズムと表現した。無限の経済成長とは、無限の自己拡大であり、植民地化する外部がなくなった自己は、最後には自己自身を蝕むほかなくなる。

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