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歯に衣着せぬ人

今より20年か30年も前、つまりポリティカル・コレクトネスやリベラルの黒船がやってくる前、ブレない一貫した意見があること、そしてその意見が正しいという確信がある限り、他人の気持ちを慮って言わないでおいたり、言い方を和らげたりするのは格好悪いことだという風潮がある人たちの間にたしかにあった。あった、という言い方をするのは、今ではこういった人たちはほとんどテレビでその残骸を見かけるか、ネット上で悲惨に火炙りにされるところをちらほら見かけるくらいでしか存在を確認できなくなったからだ。



「思っていることをありのままに言おう」とか「したいことを我慢せずにしよう」といった類の自己啓発は時代に依らずいつでも一定の需要がある。だいたいの人は何かで我慢しているし、欲望を肯定されたいと思っているからだ。

しかし、「本当に思っていることを言う」とか「本当にしたいことをする」というのはかなり難しいことのように思える。たとえば何かがしたいと思うとき、その根拠を辿ると他人がそうしているのをなんとなく羨ましく思って、それを模倣しようとしているだけだったりする。自分の思っていることを言うのに関しても同じで、あれはああだ、とかこれはこうだ、と自分で思っているつもりでも、ただ誰かが言っているのを何となくそうなんだなと思って自分の意見として採用しているだけだったりする。そのことを自覚している人はあまりいない。

それに、人が思っていることをどこまでも掘り下げたところで、自分の利益を守りたいとか、欲望にふけりたいとか、何もかもサボりたいとか、イヤなことや怖いことが起きてほしくないとか、虫や動物レベルのどうってことのない本体しか残っていなかったりする。そこで意思とか自律することに価値が生まれる。



「本当に思っていることを思ったままに言おうとしている人」はけっこう見つけやすい。自然な状態の人は、「こんなことを言っても相手が傷つくだけだ」と思って言わないようにしたり、「棘の立つ言い方をしても誰も得しないだろう」と考えて穏便に済ませたりする。言ってみればその時点で既に、自分のしたいようにしているわけだ。

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