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それにしても希望は必要だった

ある星の話をしよう。

その星には人間のようなものが棲んでいるが、環境変化が激しく、土地も痩せて貧しく、病気や争いは絶えず、とても寿命は短い。誰一人として明日生きているかも分からない状況で、現実は厳しい。

そこで彼らは理不尽な死に見舞われた者たちの魂を救済し、天国に送り届ける力を持った神を崇拝し、死者を弔ったり、天国に行けるように善い生き方をしようと努めた。その神のために高い塔を建て、それが天に近付くほど生前の善い行いが認められ、死後に天国に送り届けられると考えられた。

ある日、異教徒がやってきて、こう説いた。あなたたちは高い塔を建てて死後に浮かばれるよりも、正しい見方を身につけ、生きているうちに苦しみを逃れた世界を作るべきだ、と。異教徒は彼らに神の使者として受け入れられた。

百年後、星には以前より高い塔が立っていた。その塔が高ければ高いほど、神の使者の言う、苦しみから逃れた世界に近付くと考えられていたのだった。



人が生きるためには、今日はゴミを捨てなければいけないとか、顧客のクレームを処理しなければいけない、というような短期目標だけでなく、もっと長期の目標―――自分はなんのために生きているのか―――が必要だとされる。それを夢とか希望だと呼ぶ。

人が貧しさや天変地異、病に襲われ、いつも死に貧していた時代、神の力は圧倒的だった。なぜなら神の力は失われた死者を救い、そして神の約束する幸福は死後―――来世や天国にさえ及んだからだ。

しかし医療が発達し、種々の危機がテクノロジーによって退けられたことで人の寿命が延び、人生が長い平坦な道になったとき、死はもはや最大の問題ではなくなってくる。今、生きることに関する最大の問題は死ではなく、生きなければならないことそれ自体だ。

人間は命令を待つだけのロボットではない。あれをしろ、これをしろ、と決められなくても自分のしたいことをして生きて行ける。長い間そう考えられていたが、死が人から遠ざかり、生命が延長された結果に起こったのはロボットの悩み―――何をしたらいいのか分からない、ということだった。


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