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「よかれと思って」のメカニズムー課題の分離とは何か

優しさや善意には私たちを助け、より良くしてくれるものと、反対に危険な状態に引き込み、その状態から抜け出せなくしてしまうものがある。

精神的に自立していない人間は自分と他人の区別がつけられないが、これによって他人に自分の幸福を押しつけたり、あるいは自分の不幸を他人に肩代わりさせようとする。

この問題は、アドラー心理学の代名詞となっている「課題の分離」という言葉によって説明される。課題の分離は、私の問題は私の問題であり、あなたの問題はあなたの問題であるという「自我と他者」の切り離しを意味する。

しかしここで疑問が湧く。課題の分離とは、他人の抱えている問題を看過し、見捨ててしまう自己責任論と何が違うのだろうか。

まずはこの違いから考えてみよう。



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アドラーは、共感(sympathy)と同情(empathy)の意味を分けることでこのテーマの説明を試みた。共感はまず、他者の置かれている状況に関心を持つを持つことを意味する。たとえば図のa:のように、共感する私はそうしない私に比べて溺れている他者を助けることができる。

一方、同情は他者の問題を抱え、「一緒に苦しむ」、すなわち図のb:のように溺れて同じ感情を味わうことを意味する。

優しさや善意についての最も大きな誤解は後者、つまり同じように苦しむことを優しさだと思うこと、あるいは自分と一緒に苦しんでくれる人を「優しい人」だと考えることである。一般論としてある「優しい人は冷たい」という言説は、優しさを「一緒に苦しむ」という連帯関係に帰結した結果である。

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