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分類A

くしゃみは落ち着いた。
いや、出るけど。
朝晩だけのようだ。
昼間はなんにもなかった。良かった。
体調も別に変化はない。

人の噂も七十五日なんていうけれど。
確かに噂話なんかあっという間に旬を終えてしまう。
気付けば時の話題として消費されていく。
しばらくして話題が下火になる。

ただ最近の色々な動向をみていて、そうでもないのかと思い始めた。
確かに話題としては下火になるのだけれどレッテルが残る。
そのレッテルっていつまでもいつまでもはがれない。
多くの人がもう気にしなくなったとしても。
様々な場面でレッテルが邪魔をし始めるんだなって。

というのも先日のアメリカのアカデミー賞。
ロバートダウニーJrの受賞。
色々な意味で話題になったわけだけれど。
落ちついて考えれば日本アカデミー賞ではありえないのかと。
薬物で何度も逮捕されていて、今は復帰しているわけだけれど。
もちろん日本人だって犯罪を犯しても復帰するケースはあるんだけれどさ。
恐らく、日本アカデミー賞にレッテルがある人は呼ばれない。
社会復帰までは認めるけれどみたいな。
まるで顔に入れ墨を入れる古代の罪人のように。
レッテルをべったりと貼り付ける。
そういう意味じゃアメリカってやっぱすごいのかもなぁと思ってさ。

サッカーの日本代表選出のコメントなんかでもそうだった。
話題としては下火になりつつあるけれど、それだけじゃない。
日本人はレッテルを気にする人がやっぱりいるんだろうなぁ。
それを当人も先行する側も理解しての判断ということなんだろう。
実際にそこに何かがあったかどうかではなくレッテル。
ときに真実よりも重みをもっているんだなぁと思ってさ。

レッテルがあってもそれ以上に復帰する努力を称える文化というか。
そういうものは醸成されていないんだろうなぁ、きっと。
汚名挽回じゃないけれどさ。
名前を汚すというような感覚は日本人のDNAレベルに刻まれている。
その人が何を成したか、その人がどう生きているのか。
そこを評価しても、どこかに一線を引いてしまう。
なんか慈善活動とかしちゃってさ、でもそれを自慢しちゃいけないみたいな。
そういう感じがある。前科者とか言ってさ。

恐らく僕自身の中にもそういう無意識があるはずで。
自覚的にそういう目を持たないようにしているんだけれどさ。
大事なのは今なんだもん。今、どう生きてるんだ?ってこと。
僕にもなんらかのレッテルとか貼られているのかな。
そう考えればなんだか気持ち悪いなぁって思うよ。
身に覚えはないけれどさ。でもなんかはあるかもしれないしさ。

そういう意味で実は話題になってるのなんか大したことないんだよ。
その時盛り上がっているだけの、興味本位だから。
その辺の噂話と変わらないんだな。
まぁ、その間にさんざん誹謗中傷だのしてもいいですよというおかしな感じが出ちゃって、精神的には厳しいだろうけれどさ。
でもそういうのも、今は七十五日どころか2週間で収まっちゃうんだろう。
重要なのは噂話じゃない。
レッテルが貼られて消してもらえないことだ。

ああ。そうかそうか。
そういうことか。
このくしゃみは、どこかの娘がね。
うんうん。
噂をね。朝晩ね。
うんうん。

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