いつか僕を魅了したスターロード
かつてマヨネーズは赤い蓋であった。
あれをねじると口が星型になっていて1cmの太めのマヨネーズがヌリヌリヌリと出てくるという。
僕はマヨラーと呼べるほどのアレではないものの特定の食材にはマヨネーズをかけることが大好きであの太い星型の直線を愛していたのであった。
それが近年。あの赤い蓋がまさかのアップデートされたのだ。
ねじる蓋のその上に更にペコと押し上げるキャップがついている。
蓋そのものに小さな穴が空いていて細くマヨネーズを出せますよ使用になっているというのが一般的になった。
関西のお好み焼きの一部店舗で蓋にシャワー口のように複数の小さな穴をあけて厚みを出さずに綺麗に細い線で出すみたいなのがあった。
あそこからの発想なのだろうか。
あるいはカップ焼きそばのマヨビームからだろうか。
便利になったものだ。細いマヨネーズがデフォルトで出せるようになるとは。
高校生の頃、学校の近くにあった定食屋では唐揚げ定食にマヨネーズをかけ放題だったのだけれど、あそこのマヨネーズもなんか細く出る工夫をしていた。
蓋を加工してあったような記憶がある。
唐揚げにマヨネーズがここまで合うとは知らなかった頃だ。
あの時、あの細く出る蓋で特許をとってさえいればあの定食屋さんは今頃、悠々自適な生活を送っていただろう。
まぁ、恐らく全国にそんなお店がたくさんあったのだろう。
むしろ、この細く出ることがデフォルトになることこそ遅かったのかもしれない。
思えば、フランクフルトにかけるケチャップもマスタードも専用のやつがあって、かなり細く出せるようになっていた。
いわゆるマスタードだと思ってぶりぶり出したら、和がらしで鼻の奥がツーンとなる事件が多発したけれど、今となっては和がらしが懐かしくて食べたくなってしまっている。
そんなわけで僕たちは現在マヨネーズを全体的に平均的にかけることができるようになったわけだけれど。
それは最初から上にかける場合のみの話だ。
お皿の横にブリッとマヨネーズを出しておいて、好みでそれをつけながら食べる場合は蓋をねじるということも出来るわけだ。
卵サラダやツナサラダを創るような大量消費の場面ではねじるのである。
ところがだ。
どうも前と同じ感覚になれない。
今も星型だしあの太さで出てくるのは何も変わらないのに。
なんか、やりすぎてるような気がしてならないのである。
これはさすがにマヨネーズ摂取しすぎかな?と心配になるのだ。
細いのに慣れてしまった感覚がその太さに罪悪感を植え付けてきた。
ほんとうは酸っぱすぎるぐらいかけたいのに。
少しにしておいた方がいいような錯覚をしてしまう。
コルステロールが2分の1なら、倍かけてもよさそうなものなのに。
どこかQPちゃんへの冒涜のような気がしてしまう。
さて魚肉ソーセージである。
僕はこいつにマヨネーズをかけてそのままいくタイプだ。
刻んで少し炒めて七味醤油マヨでなんてオシャレなことはしない。
あのビニールを剥がしてプルプルしているそのものにマヨをかける。
かつては魚肉ソーセージの上に一直線、太きマヨロードをひいていた。
それがどうしてもできない体になってしまった。
細い獣道のごときマヨロードを一直線にひくのである。
なんか悔しいから少しでも太くなるようにゆっくり力を込めて。
無論、それでも美味いのである。
いやむしろ前はマヨネーズの味が強すぎて魚肉の味なんかどうでもよかったかもしれないっていうぐらいバランスが良いのである。
だから結果オーライだと思うむきもなくはないのだけれど。
どこか合点がいかないのはなんなのだろうか。
魚肉ソーセージなんてマヨネーズを食べるために存在していたのだ。
いつか僕を魅了したスターロード。
あの太きマヨネーズの道をたどることはもうほとんどないだろう。
冷やしトマトから滑り落ちてしまうあの重さ。
みみっちぃぜとあの星の道が僕にささやいている。
わかっていながら僕はその蓋をねじることが出来ずに夜空の星を見上げるわけだ。
OPちゃん、何をそんなに驚いて。大きなおめめをパチクリ開けて。
投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。