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JIG SAW TIME

冗談というか軽いノリというか。
まぁ、よくあるようななんの意味のない会話。
もしもやりなおせるなら、どこからやりなおす?
みたいなのが、ふわっと出てきた。
そんなもんやりなおせることもないし、重要なわけでもない。
ただただ自分の口から自然とポロリこぼれた言葉に驚いた。

ええ。めんどくさい。もういっかいあんなに頑張るのはきつい。

冗談で話している流れだったわけだし。
面白い回答を出せればそれでヨシみたいな感じだったと思う。
けれども、なんか自然と自分の口を突いて出たのがこれだった。
やりなおさないでいいやってことか。
わりと瞬発力で出てきた考えなしの言葉には本質が隠れてる。

言った自分が少しポカンとした。
そうなのか。そんな感じだったのか。
いや、ちゃんと考えればきっと違う言葉になるんだろうなぁ。
とは言えこんなことクソマジメに考えるのもって感じだけれども。
そしてもっと面白い言葉を出せなかったことは反省でもあるけど。
それにつけても、そうなのか?って感覚が後を引いた。
だってずっと楽しかったはずだものね。

失敗も多いけれども。
自分で選んで苦しんで楽しんできたわけで。
でもどれだけ苦しいかは選択する時は想像でしかなかったわけです。
それを経験してきた今は、またちょっと違う感想なのだなぁ。
でもさぁ、あんなに苦しいのはもう嫌だよ!とかじゃないの。
めんどくさいから、いやなの。
なんか、すっごいリアルだなぁって我ながら感じたのだった。

たぶん、恐らく、きっと。
何かをするということはすべからくめんどくさいことである。
まさに効率の反対を行く、非効率、面倒、無駄の道。
生産性度外視でなければどうも計算が立たないこと。
なぜにそんなことをするんだ?と思うかもしれないけれど、意外にそんなことは普通の事だったりする。
だってそうじゃなかったらジグソーパズルなんて存在しない。
数万ピースのパズルを完成させた後に、どこに戻りたい?と聞くようなものだもんな。
その無駄の繰り返しが楽しいわけだけれど。
一度、そこを通ってしまえばもう一度は中々にめんどくさい。
そのわりには新しいめんどくさいことを探しちゃったりするもので。
いやはや。いやはやだ。

でもさ。記憶を消してやりなおしても意味がないもんね。
それは同じことだから。
これまでの反省を生かしてやりなおすって前提でしょ。
たぶん、反省を生かしても同じことを繰り返す自覚があるんだろうな。
そして、めんどくさいと思いながら結局、同じ道を歩く。
そういう感覚がどこかにあったんだろうなぁって。

要するに。
どうやら。
永遠に面倒くさいとこをループするわけだ。
メビウスの輪の中を歩くようなものだ。
今、ここはどこよ!みたいに。

それを自覚してなお楽しもうとしている。
楽観的にもほどがあるなぁと。
ちょっと自分に呆れた次第である。

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