問題であるという前提の問題
なんか最近ふっかけられるんだけれども。
少子化についてどう思います?って聞かれた。
この人はどんな答えを言うのかなとか思われてるのかな。
そもそも、日本人は人口が多すぎると思うよ。
って答えた。
想像していた答えとは違っていたみたい。
いや、問題点はわかってる。
国力は落ちるだろうし、高齢化が進んで世代格差が広がる。
そういうのはわかっているんだけど。
この国土で今の人口はそもそもイレギュラーだと思っていて。
確かにバランスが崩れる何年かが生まれてしまうのだけれども。
団塊世代と、団塊Jrのベビーブーム世代が多すぎる。
マーケティングでは常にこの世代がターゲットになる。
民主主義だから、世代の数の力も偏る。
まあ、そりゃそうなんだけども。
今、たくさん子供が産まれたら解消するものでもない。
不思議そうな顔をしていたからオーストラリアの人口って知ってます?って聞いてみた。
あの広大なオーストラリア大陸。
すぐにスマフォで検索して想像以上に驚いていた。
日本の人口よりも東京の人口の方が近いなんて思いもしなかったみたい。
富国強兵、産めよ増やせよ。内需拡大。
そんな時代じゃない。
なんでもかんでも効率化でさ。
それこそAIに多くの仕事が奪われるなんて話もあってさ。
農業まで機械化が進んでいたりする。
今はインバウンド需要も伸びている。
江戸時代ぐらいの人口の方が実は食料自給率とか正常化する。
結構、本気でそう思っているのだけれども。
テレビも新聞もインターネットも、少子化問題として取り上げるから、問題であるという前提でしか考えられなくなるんだと思う。
それはほんとうに問題なのか。
税金を集める側が心配しているだけかもしれないぜ。
実際に若い世代は減っているけれど、生産性が落ちているとは思えないしさ。
だってペーパーレスになって、クラウド時代になって、どんだけ効率化出来ていることか。
これからもさらに便利になって効率化していくし。
問題がないわけではないけれど。
少子化問題よりも、ほんとうに問題なのかまで考えられなくなっていることの方が問題なんじゃないかって気がする。
ま、子供は好きなのでたくさんいる方が面白いけどさ。
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