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娘が短腸症になるまでの話

今回は娘が生まれた時を振り返って書こうと思います。
娘は産後2日目で産院から大きい病院に運ばれ開腹手術をし3日目に小腸を大量切除し短腸症になりました。
病院へ搬送され短腸症になるまでの経緯を書いていきます。

〇出産前~出産時

妊娠中は特に問題なく37wの時に逆子ですねと言われて焦って逆子体操をしだしたくらいでした😅
妊娠中は吐きづわりが多かったので自分の体重は妊娠前から中期前半まではあまり変わらず、中期後半から後期に入って最終的に+6kgになりました。
お腹の娘も体重はやや小さめな印象でしたが
最後にエコーした39wの時の推定体重は3200gでした。

39w2dで出産。
生まれた娘の体重は2860gと推定体重より小さかったです。
赤ちゃんは生まれたらすぐに泣くと思ってたんですが娘は一言「オエッ」と発したのみで泣きはしませんでした。
出産前にネットで【赤ちゃんは生まれてもすぐに泣かない子も居るので最近では産後お尻を叩いて無理やり泣かせたりしてない】
という記事の読んでたので娘はすぐ泣かないタイプなのかと思っていました。
あとは肌の色が赤紫っぽく血色が悪いなという印象でしたが生まれてすぐだから血色悪いんだろうなと思ってました。

〇産後0日~1日目

娘を産んだのが日時変わってすぐだったので
産んだ直後は母子別室だったため私は病室に戻り朝まで寝かせてもらいました。
が、明るくなってから目が覚めると会陰切開したとこの痛みと何か体調悪いと思ったら熱が出ていたため
ちょうどコロナが出始めた時期という事もあってその日1日は赤ちゃんへの面会NGでした😅
ガラス越しに見に行くとやはりまだ血色悪そうで全く泣きもせずただ寝てつだけでした。

翌日になって微熱が出たり治まったりの繰り返しだったので熱が引いていたタイミングで初めてしっかりと抱っこさせてもらいました🙌
この時も一切泣かずで未だに泣いてる姿見てないのでうちの娘いつ泣いてるんだろう?と思うくらいでした。
起きても少し目をあけてすぐに寝る状態で試しに授乳してみます?と言われて挑戦したものの娘が嫌がったので秒で終わりました💦
その後ガラス越しに様子してると泣かないけど何度か白い嘔吐物を出して衣類に入っていくのを見ましたが
看護師からも特に何も言われてなかったので【赤ちゃんはよく吐く】と言う浅はかな知識で特に揉んだら無いと思い込んでしまいました。
この時までは明日からは授乳、沐浴が始まる楽しみでウキウキ気分でした。

〇緊急搬送

2日目ので早朝5時くらいに看護師が病室に来て「娘ちゃんの態が悪いので大きい病院に緊急搬送するので今のうちに娘ちゃんの傍に居てあげて下さい」と。
急な出来事で頭が真っ白になりながら娘が居るナースステーションに行くと
変わらず肌の血色が悪く寝たままでいつも以上に動いてない様子。
全然状況が分からず事情を聞くと
今まで何度か嘔吐していたが今朝になって緑色の嘔吐物が出たとのこと。
原因が分からず本人もぐったりしてるため大きい病院で診てもらうと言う話でした。
この時の私は心配だったがきっとそんな重い病気じゃ無いだろう、きっと一緒に退院出来ると思っており病院の付き添いが必要だったため
夫に連絡をし娘の付き添いをお願いしました。

〇病院での結果

腸回転異常症、腸軸捻転でした。

腸の回転は900度捻れていてここまで捻れてるのを見るのは10年に1度レベルと言われました。
それでも搬送されたのが多少早かったおかげか正月全部は壊死していなく解いたら腸に血色が戻りピンク色に回復していく箇所があるので
開腹した状態で1日様子見をすると言う内容でした。

まさか開腹手術するとは思っていなかったので夫から事後報告で聞いた時はとてもショックでした。
でも急を要することですぐに開腹手術して解かないと命に関わるとその後説明があったので仕方ないと思うしかしありませんでした。

1日置いて小腸の回復傾向が見える箇所を多めで残して小腸切除となりました。
この時で残存小腸38cmだったと思います。

〇娘の緊急搬送後の私

母子別室の個室メインの産院だったので常に赤ちゃんの泣き声が聞こえる訳ではなかったんですが

赤ちゃん居ないのにここに居て良いのか。
時折聞こえる赤ちゃんの泣き声が羨ましい。
私も赤ちゃんのお世話がしたかった。
娘は1人で居るのにここでのんびりしていて親失格では。

などなど暗い考えばかりになり鬱状態が続き
看護師が様子見に来るだけで赤ちゃん居ないのに時間取らせてしまって申し訳ない。
と泣き続ける事が多く産院に居るのが辛すぎて無理言って入院予定より3日早く退院させてもらいました。

〇NICUの娘

搬送後は腸瘻を作り栄養を注入しつつ腸管の開腹を試みました。
幸い1ヶ月経たず腸の状態がよくなり1度腸を繋げます。と言われ安心した覚えがあります。
結局1週間経たずで繋いだ腸のから胃液が漏れているのが分かり再度開腹手術をし人工肛門を増設。
この時小腸と大腸に栄養をいれるためにカテーテルを小腸と大腸の境目までいれて栄養(エレンタール)や母乳を薄めたものを注入していました。

しかしいれると腸管が狭いこともありカテーテルから押し出されて戻ってきてしまうという事案が出ました。
そこでカテーテルの小腸から大腸までいれる部分のカテーテルに穴を数箇所あけて融雪装置のように所々の穴から栄養が流れるようにしました。

図だとこんな感じ。

その後も何度か腸が硬くなってしまってるところや壊死しかけている箇所が見つかりその都度小腸を切除するという状態でした。
合計で6回開腹手術をして最終的に残った小腸は20cmでした。
この時点で娘は4ヶ月でこの頃には腸の状態も娘の状態も良いから2ヶ月後くらいには退院出来ると言う話が出てました。

〇終わりに

娘が短腸症になった経緯はこんな状態でした。
その後も腸が原因でいろいろと病気が出てくるんですがそれはまた別記事でまとめます。

実は最近になって、今まで母子手帳は地元病院では預かりだったため入院中の1年ちょい手元に無かったため改めて母子手帳をじっくり見直して見たところ
娘の産後状態欄にミルクののみが悪いと書かれており、そういえば産院で私の1ヶ月健診行った時も尿の出が生まれてから他の子よりも悪かったなど聞いて
これってもしかして本当はもっと早く大きい病院で診てもらえてたもしくは親である私に伝えるべき事だったんじゃないのかと思ってしまいました。

夫もここまで酷い捻れ方してるならお腹の中にいた時から捻れてたんじゃないか?エコーで気づかないものなのか?と不信感があるとよく言われます。

私も当時は産後に赤ちゃんのお腹の中で腸が捻れて起こる病気とネットで見かけたので仕方ないまだ早く搬送出来て良かったと思っていましたが、
母子手帳の手記を見るともう1日早く大きい病院で診てもらえたんじゃないか。
せめてもう1日でも早く処置が早ければここまで病状悪化しなかったんじゃないんだろうかとモヤモヤする事がありました。

未だにモヤモヤは消えませんが娘は頑張って病気と戦ってくれているし
あの時はとか過去の事を言っても娘が元気になって赤ちゃん時代が返ってくる訳でもないので
今は娘にとって最前の治療をする。
病院に居ても医療ケアや障害があっても可愛い服やイベントコスチュームを着せて親のテンションも上げる。
一緒にいれる時間を大事にするが今一番必要な事かなと思って頑張ってます💪





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