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JAM「そばかす」歌詞徹底解析・前編

2021年、昨年から続くコロナ禍で大きく社会構造や生活様式が変わった今だからこそ、JUDY AND MARYの名曲「そばかす」を通して私たちの心の中にある「不変の感情」を解き明かしていきたい。

 「そばかす」は1996年2月19日に発売された。今から25年前。スマホも無いし、ケータイもそこまで若者に浸透していなかった。高校生はみなポケベルを愛用し、昼休みには10円玉を握りしめて学校の公衆電話に「ベル打ち」の列を作っていた。

 発売当時に青洲時代を過ごしていた若者たちもアラフォーとなり、そばかすどころか、シミやシワと日々奮闘している。

 しかし、人の心の本質は何百年前から変わらない部分がある。そんな部分を「そばかす」の歌詞を細かく読み解くことで突き止めてみたい。

まずは、1番のAメロ部分前半。

「大キライだったそばかすをちょっと
ひとなでしてタメ息をひとつ
ヘヴィー級の恋はみごとに
角砂糖と一緒に溶けた」

 主人公はそばかすをひとなでしている。そばかすという表現から、年齢は思春期頃であると推定できる。ここで注目すべきは「ちょっとひとなで」という表現だ。ひとなで、しかも「ちょっと」である。

 主人公はそばかすが「大キライ」であり、日頃から気にしていたのだろう。日々鏡を見るたびに、そばかすがなくなることを切望していたのだ。願っても願っても消えないそばかす。それこそ、消えることを願って何度も手を当てて撫でていたのだろう。ところが、この日のため息には、そばかすが些事に思えるほどの事項が含まれていた。

 毎日気にしていたそばかすが気にならないほどの大事件。それは「ヘヴィー級の恋」「角砂糖と一緒に溶けた」という事件である。

 まず「ヘヴィー級の恋」という表現である。このことから、恋には「階級」があることが分かる。ライト級、ミドル級、ヘビー級。もしかしたらもっと細かい階級分けがなされているかもしれない。世界恋協会(WKA)に確認をしておく必要がある。

 今回はその最重量級である恋が溶けてしまった。まさにそれは一大事だ。ここで着目すべきは「角砂糖」と一緒にという点である。一般的に恋は砂糖と一緒に溶けることは考え難い。恋をコーヒーなどの飲み物に入れることはないのだ。

 ところが、ここで主人公はコーヒー(もしくは紅茶)、しかもホットの飲み物に恋を角砂糖と一緒に投入してかき混ぜて溶かしている。暖かい飲み物を甘くして飲むとき。それは心身ともに温める必要があるときである。

 しかし、主人公はそれほど衰弱しながらも、衰弱の原因である「ヘヴィー級の恋」を飲み干そうとしている。捨て去って、忘れ去ってしまうほうが簡単なのに、あえてそれをせず飲んで消化しようとする前向きで強い気持ちがあるのだ。これこそ、小沢健二が歌った「強い気持ち、強い愛」なのかもしれない。

 続いてAメロ後半をみてみよう。

「前よりももっと やせた胸にちょっと
“チクッ"っとささるトゲがイタイ
星占いも あてにならないわ」

 ちょっと胸がやせた。このことから主人公は女性であると考えられる。男性が「胸がやせた」という表現をするのはあまり聞かない。ボディビルダーなどはそのように表現することもあるが、思春期のボディビルダーだとしたらそばかすより大胸筋や上腕二頭筋のほうが日常的に気になるはずだからである。

 その胸に、トゲが刺さって痛んでいる。「ちょっと“チクッ"っと」しか刺さっていないのに痛むのだ。これは、指に刺さった小さなトゲでも痛覚ドンピシャの位置に刺さるとメチャ痛いのと同じである。主人公は、恋が溶けた事件について、必死に矮小化して自己を守ろうとしている。大したことは無い、いつものことだ、気にすることはない。小さな出来事だと思い込もうとしているのに、しかし刺さったトゲは確実に痛みを与え続けている。しかも、「前よりももっと やせた胸」にである。これはAメロ前半で衰弱していることの証左である。心身ともに衰弱してしまっていることで、今回の事件の重大さをさらに強調しているのだ。

 そして「星占いも あてにならないわ」である。つまり、主人公は星占いをあてにしようとしていたのだ。しかしその結果が裏切られた。では、どのような結果を期待していたのか。それは、この時点では明らかになっていないが、Bメロから読みとることができる。

「もっと遠くまで 一緒にゆけたら ねぇ
うれしくて それだけで」

 書いてある通り、「もっと遠くまで一緒にゆけたら」と仮定していることからわかる通り、星占いには「もっと遠くまで一緒にゆけるでしょう」と書いてあったのだ。しかし、一緒にゆくことは叶わなかった。そのことが、Aメロ後半の「あてにならないわ」の理由なのである。

 主人公は、ヘビー級の恋の相手ともっと遠くまで一緒にゆけたら、それ以外にもう何も望むことはなかった。最大の望みが、「一緒にゆくこと」だったのだ。歌詞においては、「それだけでどうなるのか」という点に言及されていないが、これは明確に書くのが野暮になるほど、うれしくて幸せでたまらない状況であるという意味だ。最も重要なことがそれ自体を文脈から明らかに読み取れる場合、あえてその内容を書かない。これは日本文学特有の表現技法である。主語をその都度書かないのはその顕著な例である。そばかすの歌詞は、(作詞当時の)極めて現代的な若者の心情表現を言語化しているが、しかしそれは伝統的な日本文学における心情表現の作法に則っている。これが、時代を超えて愛される楽曲となった所以であろう。

 それでは続いてサビを見ていこう。

「想い出はいつもキレイだけど
それだけじゃ おなかがすくわ
本当は せつない夜なのに
どうしてかしら?
あの人の笑顔も思いだせないの」

 ここで着目すべきは「思い出はいつもキレイ」という発言である。これはAメロ前半で言及した「"ヘヴィー級の恋"溶解事件」について述べている。現時点では大事件であるが、それが「想い出」にさえなってしまえば、「キレイ」なものとして受け止められるというのだ。つらい出来事は、あとから思い出してもだいたい苦い気持ちになるのが一般的である。しかし、それは「思い出」だからであって、「想い出」になってさえいれば、それはキレイな記憶として心に収まるのだ。

 歌だけを聞いていると、このレトリックに気が付くのは難しい。さらに重要なのがその次に出てくる「おなかがすくわ」である。

 主人公は、Aメロ後半にある通り「胸が痩せてしまった=食事が喉を通らない」状態にあった。しかし、ヘヴィ級の恋を角砂糖と一緒に溶かして摂取した結果、胃腸の動きが活発になり空腹を感じ始めた。

 破綻した最重量級の恋を甘い飲み物に入れて摂取した=辛い記憶を消化して「キレイな想い出」として排泄したのだ。

 では、なぜ主人公は「あの人の笑顔も思いだせないの」と感じたのだろうか。ここで着目すべきは、その直前の「どうしてかしら?」という疑問である。皆さんは気付かれただろうか。「?」は「思い出せないの」にはついていない。あくまで、「どうしてかしら」に対してのクエスチョンなのである。

 詳しく説明しよう。ここでの「どうしてかしら」は、「想い出はキレイだが、それだけではお腹が空く」という事象の原因に対する疑問なのだ。

 想い出で空腹を満たせないのは当たり前だと思うかもしれない。しかし、本当にそうなのだろうか。人はしばしば想い出を語るときに「胸にいっぱいの」という言葉を付け加える。つまり精神的な意味での空腹感を主人公は述べているのだ。キレイな想い出なのに心が満たされないとなれば、それを疑問に思うのも必然だろう。

 更に見逃してはならないのが「本当はせつない夜なのに」という記述だ。主人公は辛い経験をキレイな想い出にしたと言っているにも関わらず、ここで「本当はせつない」と本音を告白している。つまり、キレイな想い出とはなっていない事を自白しているのだ。だが、ここまで未練があるのに「あの人の笑顔も思い出せないの」と、記憶の一部が欠落している事も述べている。

 また、「笑顔も」と言っている事から、他にも思い出せないことがあるのだと分かる。つまり、徐々に記憶を消していく事が主人公の言う「きれいな想い出」にしていくという作業なのだ。また、サビの最後に唐突に記憶の欠落を告白している事から、主人公の精神状態が極めて不安定になっている事も分かる。

 ここまで見てきた通り、そばかすの一番には主人公が心が千々に乱れている様子が克明に書き記されている。これは、失った恋から立ち直るための、主人公の孤独な闘いの記録でもあるのだ。では、この闘いの先には何があるのか。

 次回、二番の歌詞からそれを読み解いていこう。


※こういうの野暮ですけど、私、ずっとふざけてますからね。


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