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贅沢=味わい尽くすこと

『贅沢を貧乏の反対と考えている人がいます。でもそれは違います。贅沢とは下品さの反対なのです。』

これは有名なココ・シャネルの言葉
常々思っていたことを形にしてくれる言葉だった。

みなさんは「贅沢」にどんな生活をイメージするだろうか。
お金を湯水のように使い、高価なものを頻繁に買ったり、常に新しいものばかり持っていたりする。
はたしてこれは贅沢だろうか…

私の考える贅沢の定義は、「味わい尽くす」ことだ。
つまりその対極にある下品とは、「味わっていない」ことだろう。
ここでは、やはり私の好きな服を例にあげたい。

私は服を購入する際に、何時間も、時には何年もかけてじっくり吟味する。(昔は違ったが)
それは、その時の気分で買ってしまうと楽しめる時間がほんの少しだからだ。何を吟味しているかというと、「消費者に対する愛」「自分への愛」である。

「消費者に対する愛」とは、すなわち着心地や機能性や耐久性。作り手から着る人への愛だと考えている。
「自分への愛」とは、すなわち自分らしさの追求である。誰かの真似をして認められるために服を着るのではなく、自分自身を表現するために服を着ること。
消費者への愛が込められたものを選び、その想いに応える形で使っていく覚悟を決めてやっと服を買う。

ここで贅沢・下品の話に戻りたい。
つまり「贅沢=味わい尽くす」とは自分自身と他者からの愛を感じること。
「下品=味わっていない」とは自分自身も他者も愛せないこと。
服でも、ご飯でも、家具でも、友達でも、ペットでも、なんでも当てはまる。味わえないほど身に余るものは、贅沢とは言えない。

物は壊れるし別れは訪れるし人は死ぬ。(唐突)
一つ一つの物や、時間を大切に味わうことが、贅沢な人生になるのではないだろうか。
まだ24歳なので、この説を今後も検証していきたい。

プロフィール

おのし
東京暮らし3年目、自粛生活24年目

好きなものはファッション、アニメ

「小さい子供が見てる前で、赤信号をわたらない」がモットー

インスタでは着こなし投稿してます↓
https://instagram.com/ono_xiu_

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