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Episode 4: American Crayfish inside my head | アメリカザリガニが住み着いている

0. プロローグ

 「チョキリ」と、擬音語が適当だと思えるアメリカザリガニのそのつぶらな目に写っている景色を理解することは甚だ理解できなかっただろう。

 2020年は私達にとっても、21世紀の歴史を振り返った時にも非常に印象深い年となっている。2020は年の暮れまでは希望の光となり、年明けにはアポカリプトを想起させた。勿論兆候はあったはずだ。オーストラリアの環境問題や米国での新型インフルエンザの猛威など。しかしこれらの問題が白紙に戻される勢いで、2020という年は目まぐるしい変化を見せている。

 また、2020によって人生が変わった人達も沢山いただろう。「留学」という、人生の転換期となる1年を失った人達。はたまた「休学」という、人生の探索を続けると決意した1年を得た人々。そして、何も変わらなかったという人達も。

 僕の人生はというと、2020以前の兆候と同じ時期である2019年の8月頃から徐々に少し違う方向へと舵を切っていた。アメリカ大陸に上陸するのはこれでも5回目だから、空港に着く頃には懐かしさを感じるだけだと思っていたのも束の間、ロアノーク・リージョナル空港はこれまで感じたことのない空気が漂っていた。ロビーのその閑散とした姿は高校時代の最寄駅を想起させたが、侘しさと同時に何か違和感を覚えたのは小学1年生の入学式からクラスに向かう、その感じに似ていた。

 しかし空港で1時間程迎えが来るのを待っていると、やがてその違和感は緊張の表れだと自分の中で消化され、バスが来る頃には日常を取り戻していたではないか。バスに揺られる中で、後に1年間を共にするボスニアからの留学生との会話を楽しんだ。空港で感じた違和感が実感として心身ともに響いたのは、留学を終えた頃だった。

1. アメリカザリガニンドローム

 小学生の夏休みというのは、それはまた非常に退屈なものだった。現代ほどのテクノロジーの発展はなく、ゲームなどに興味が乏しかった私にとって、図書館で借りた本を読破した後に残っていたのは、水族館・プラネタリウム・そしてアメリカザリガニだった。しかしながら、金銭的な理由からアメリカザリガニ釣りがもっとも妥当な選択肢だった。

 当時住んでいたマンションから徒歩10分ほどのところに、それは誰も足を踏み入れたくないと思うほどの溝川があり、そこで枝にタコ糸を結びつけただけの釣竿を垂らすと、瞬く間にバケツいっぱいのザリガニがとれる。小学生にとってはロマンの詰まった溝沼スポットがそこにはあった。そこに友達といっては沢山のザリガニを釣り、「どちらが一番大きくて強いザリガニを捕まえられるか」という競争をしていたものだ。

 バスに揺られること約1時間半。時差と緊張の交錯による酷い車酔いをしていた私の視界に、大学の正門が顔を覗かせた。そしてバスが大学に入っていくうちに、「なんて所にきてしまったのか」と思った。今まで見たことのないような、アメリカの"上流階級の方々"が住んでいるようなキャンパス。レンガで統一されたその王国をみた瞬間、空港で感じた違和感が確信へと変わった。

「ここは自分の居場所ではない」

これを"getting out of your comfort zone" という経験と括るのであれば、アメリカザリガニ達が水の外に引き揚げられる、その瞬間のことを指し示しているのだろう。今まで経験したことのない漠然とした、ピリッとした空気感。バージニア州の未開の地に立つ私は、これからの経験を予知できなかったが、その空気の違いは自然によるものだと思っていたのだ。

2. アメリカザリガニ帝国

 今までにも何度か留学したりと、様々な所で "comfort zone" について考え、経験したことはあるが、今回は何かと勝手が違うようだ。それは周囲の留学生達と話した時に気がついた。当時はフワッとした違和感だったが、学校での時間が過ぎていくごとにその感覚は次第に足枷となり、重石となり、気付いたら日本に戻ってきていた。それは、いきなり釣られたアメリカザリガニが地上に上がったと思えば、次の瞬間、元いた場所に戻される。その感覚に似ているのかもしれない。

 しかしながら、アメリカザリガニの方が随分と強いものだと考えさせられる。彼らは日本に来て100年も経たないうちに、日本固有種を追い出した。元はと言えばエサという労働者階級出身の彼らが気づいたら貴族の居場所を奪い、一文化を築き上げている。フランス革命が想起させられる。人間以外の生態系でも、Westernizationは進んでいるのかもしれない。意外にも私にとって、日本は生きるのが難しい世界なのだろう。アメリカザリガニは何かと私の邪魔をしてくる。

 それはまた、学期の始まりから徐々に積み重なって行ったのだと思う。学校の9割が白人の世界。「冬の絶景、白銀の世界」ならば訪れてみたいものだが、吹雪いたときの山頂に1人取り残された時に上空から見た1点の悲しげなトーチのような心細さに襲われていた。英語には十分なゆとりを持っていたつもりだったが、緊急事態の時の対応マニュアルだけでは対応できなかったようだ。入隊後、すぐに最前線に送られる人達はどのように対処しているのだろうか。学校生活は人種という部分でブレーキがかかってしまった。

 そうした中で一度急ブレーキをかけてしまうと、中々ハンドルを持ち直してアクセルを踏むまでに時間がかかってしまうものだ。人種というアウトバーンを目の当たりにした初心者マークの私には、そのレーンに入りきる勇気がなかった。留学の経験がある人達は嘲笑うようにこう思うかもしれない。"You just chickened out." 確かに状況証拠だけ列挙すれば、私の器が想像以上に小さかったのかもしれない。しかしながら、当時の私が言えることは、

 "I might have chickened out, for sure. But things did not go as you imagine. Day to day, I was floundering, suffocating in the place where there was no anchor to tight me hard, or a life buoy to pull me out of the torrent."

 白人、いや、単一民族コミュニティの世界に生きるというのはそういうことなのだろう。

3. アメリカザリガニ、マイクロアグレッションと私

 なぜ、アメリカザリガニなのだろうか。世界中にいるあらゆる生物の中で、なぜかふとアメリカザリガニという単語が、ふと頭をよぎる。頭の中に住み着いているのだろうか、全く不思議な生き物なのだ。

 私が経験したアメリカでの経験は非常に貴重だった。リベラルアーツ大学の中で最も多様性レンジが狭く、ガラパゴス化された大学。単一民族コミュニティの中に生きることの大変さを身をもって経験させられた。その経験は人生観について考えさせられた。未曾有のウイルスにより途中で帰国を余儀なくされ、貴重な日々が削られることに対する残念な気持ちもあったが、同時に安堵を覚えた。日本は非常に生きやすい国だと、心身ともに思った。

 私はアジア人の外見に生まれ、日本という単一民族国家に安心して生きることができる、からだと

4. ザリガニの将来

 アメリカザリガニは将来どうなるのだろうか。固有種を追い出し、地の果てから這い上がってきたアメリカザリガニ帝国は、また他の外来種によって制圧されるのだろうか。私達は知る余地もない。でも、アメリカザリガニが図太く日本の地で生活しているということは歴史の中に残り続けるだろう。

 バージニアの空港からワシントン・ダラス空港に降り立った3月16日、私の足取りが軽くなったのを感じた。次第に自分ごとだった出来事も、次第に他人事となっていく。それが防衛機制なのだろうか、人間は都合の良い生き物だ。

 現代社会もまた都合の良い世界である。民主主義、資本主義、皆平等。聞こえは良いが、果たして私達が見ているのはユートピアなのだろうか、将又崩壊された社会なのだろうか。時々、今生きている世界が全て幻想であることを切望する時がある。それだけ、私たちは自由で平等で多様性のある良識のある人間なのだ。

 ザリガニ釣りは未だに人気だ。大きくて強いザリガニを獲るためにスルメというインセンティブを提供する猛者まで出てきたものだ。そうして沢山の機会を与えられた後、ふるいにかけられては捨てられる。その繰り返しだ。猛者は透明な新鮮な水を与えられ、主に管理される。残りは有無を言わせず、溝に捨てられる。捨てられたもの達は、嘆く者いれば破壊活動を始めるものもいるだろう。しかし機会は平等であり、自由である。

 一番賢いのは、前後関係を想像した上で、底に静かに生息するという選択肢を選んだ日本ザリガニなのかもしれない。


※本文章は個人的な経験を間接的に表現したものであり、経験の感性は個々に帰属するものとします。表現に違和感を感じる場合があると思いますが、ご了承ください。





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