この一年の話(後編)

前編から続く)

前編では、この刑事事件の発端となった当日のことから、逮捕、報道、略式起訴を経て、公判請求を決意するまでの経緯をお話ししました。後編では、私の診断のこと、地裁公判がどう進行したのか、判決そして控訴についてお話ししたいと思います。

なお、本稿は前後編ともに弁護人および担当精神科医によるレビューのもと公開されています。

診断

公判の準備を整えながら、私は唐澤検事の言葉を反芻していました。

「20歳そこそこの子供ならともかく、35歳のいい大人が」
「頭がいいはずのあなたが」
「投稿の結果どうなるか分からなかったなんて、常識的に考えてあり得ない」

取調室で投げかけられたこれらの言葉は、ぐうの音も出ない正論でした。私は捜査機関の手続きは不当だったと考えていますが、私の問題のある行動が、彼らに故意を誤認させる原因になったことは確かでした。

私はなぜ、そうとは思わずに非常識な行動に出てしまったのか。今回のような社会との衝突事故を繰り返さないためにも、故意がなかったことを法廷で説得的に主張するためにも、私はそのことを正しく理解する必要がありました。

当時の私は、ニュースで見た「俺はコロナだ」という言葉に面白さを感じ、衝動的に反復する内容の投稿に及びました。私はこのような投稿が当時の社会情勢下でどのような影響を及ぼすか想像できず、一時間後に自ら投稿したツイートの写真に、店舗のロゴが映り込んでいることに気がつきませんでした。

そのことからすると、私の行動は「衝動性」「結果に対する想像力のなさ」「不注意」が重なったことで引き起こされたものと考えられました。

「不注意」に関して、事件当日、20年3月17日の私は特に注意力が低下していました。記録によれば、私はこの日、久しぶりの通勤で逆方向の電車に二駅も乗ったり、仕事用のノートPCを自宅に忘れたりと、日中から不注意によるミスを繰り返しています。

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私には睡眠障害(睡眠相後退症候群)があり、日頃から入眠に困難を抱えています。この日も明け方まで寝入ることができず、4時間半しか眠れないまま出かけたことで、極端に注意力が低下していたことが伺えました。

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もうひとつ、「不注意」や「衝動性」に思い当たる節がありました。私は以前から、フライパンで鮭を焼こうとしてボヤになりかけたり、海外旅行で帰りの航空券を紛失したりといった不注意の傾向がありました。

他にも、集中力のムラ(過集中)がある、感情が不安定になりがち、相手の反応が想像できずに、思ったことを衝動的にしゃべってしまう傾向がある、などの問題から、自分は発達障害の傾向があるのではないかと悩み、一時は診断を受けることも検討していました。

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事件のことで「やはり自分はどこかおかしいのではないか」と深刻に困ってしまった私は、都内の精神科で検査を受け、その結果ADHD(注意欠如・多動症)の傾向があると診断を受けました。いわゆる大人の発達障害は、本人が何か決定的な社会的課題に直面するまで医療に繋がらず、発覚しないことが一般的ですが、私にとってはこの事件がそうでした。

ADHDとは、脳の前頭葉の働きが弱いことで起こると考えられている器質的な障害で、「年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすもの」(文科省)とされています。

前頭葉というのは、衝動の抑制注意自分の行動結果の予測・感情の制御・自己コントロール・社会性といった「実行機能」を司る脳の部位です。この部位の働きが弱いと実行機能が適切に働かず、たとえば「ストーブは熱い」という知識はあっても、前頭葉がその知識に素早くアクセスできず、ストーブに触るという衝動的な行動を抑制できなくなることがあります。(参考

この事は、少なからず今回の事件に影響を与えていたように思います。診断の過程で受けたさまざまなテストの結果は、私にとっては私自身が抱えていた課題の「答え合わせ」のように感じられるものでした。

その中でも、WAIS-IV知能検査の結果は特に興味深いものでした。このテストでは総合的な知能指数(全検査IQ)の他に4つの指標得点を測定しますが、私の結果はこうでした。

・全検査IQ: 115(上位15%)
・言語理解指標: 128(上位3%)
・知覚推理指標: 112(上位21%)
・ワーキングメモリ指標: 103(上位42%)
・処理速度指標: 73(上位97%)

私の指標得点は、言語的知識や概念的思考の能力を示す「言語理解指標」が128(上位3%)と高い一方で、視覚的な情報を素早く正確に処理したり、物事を同時に実行する能力を示す「処理速度指標」は73(下位3%)しかありませんでした。73というのは、全検査IQであれば境界知能(知的障害境界域)に分類される低さです。

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一般的に定型発達者は各指標間の差(ディスクレパンシー)がおおむね15以内に収まるとされていますが、私のディスクレパンシーは55にも及んでいました。医師によれば、この結果から、頭の中では高度な事が考えられるのにいざ実行に移すと上手くいかない傾向を読み取ることができ、その不全感から相当な生きづらさを抱えていたことが分かるそうです。

確かに、私はプログラミングのように自分のペースで取り組め、頭の中だけで完結するタスクは得意な一方で、言語的コミュニケーションやボール遊びなど、頭の回転の速さや素早い運動が必要なタスクは子供の頃からとても苦手でした。

今まで私が社会に順応できていたのは、苦手な部分が要求されず、得意な部分を活かせるエンジニアという職業を選んだからかもしれません。学生時代はまだ自分のことをよく理解しておらず、販売員のバイトをしては、興味のない商品のスペックを覚えられなかったり、客とうまく話すことができなくて上司に怒鳴られたりしていました。

しかし私の指標得点は、上位3%の思考力と下位3%の注意力が同居しているようなものです。その落差は周囲からすれば意味不明で、「できるはずのことができない」「わざとやっている」と思われかねません。

「普段のツイートを見ていれば、あなたが頭のいい人間であることはわかります。結果に気づかなかったなんて常識的にありえません」という検事の推論も、今にして思えばそういった種類のものだったようにも思います。

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バウム(樹木画)テストという心理検査では、私の結果を見た心理士に「夢が大きすぎて現実が見えていない様子が伺えます。20歳くらいの若い人であればこれくらいの人はたくさんいますが、普通は現実を知ってどんどん収まってきます。35歳でここまで強く特徴が出ている人は珍しいですね」と苦笑されてしまいました。

そういえば、唐澤検事にも「20歳そこそこならともかく、35歳のあなたが結果に気づかなかったとは考えられない」と言われました。

ADHD研究の権威であるラッセル・バークレー博士は、ADHDの実行機能や自己統制の発達は定形発達と比べておよそ30%遅れるという経験則を主張しています。人間の脳は30代半ばまで成長を続けることが知られていますが、博士によればADHDの場合はそのピーク時点でも30%遅れた「20歳そこそこ」の実行機能にとどまるのだそうです。(参考)。

「頭がいいはずのあなたが…」「20歳そこそこの子供ならともかく、35歳のいい大人が…」。検事が私に故意を見出すために用いたこれらの指摘はむしろ、私の発達的特性を見事に言い当てているようでもありました。

刑事裁判では、故意の存在は「『常識的に』推認される」そうです。裁判官が経験則から「通常人であれば結果を認識していたはずだ」と評価すれば、故意があったと認定されます。私は、その『通常人』に入っていたのでしょうか。「常識的には考えられない」という検事の言葉が、私に重くのしかかってきました。

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診療を続ける中で、私の実行機能は外部からのストレス(体調不良、心理的荷重、不慣れな環境、etc...)を受けて急激に低下してしまう傾向がある、と医師から指摘を受けました。私の身体はいわば、「ストレスが高まるとヘッドライトが消えてしまう車」のようなものでした。

たとえば、私は事件の一年ほど前に仕事のストレスから適応障害になり、当時の会社(事件当時の所属とは別)を休職して転職していましたが、今から思えば、この頃の私は、

・しょうゆと間違えて同量(全具量の10%)の塩を料理に投入する
・インスタント味噌汁にただの水をぶっかける
・洗濯機に衣類を入れて運転ボタンを押さず一日放置(を1週間に2度やる)
・技術イベントに出かけて駅に到着したところで開催が翌日だと気づく
・採用面接当日に風邪をひき、担当者に電話するも「面接は明日です」
・etc…

と、顕著に実行機能が低下していました。

今になって振り返れば、事件のあった2020年3月も、転職後の環境にまだ慣れないなか、リモートワークをはじめとした新型コロナウイルスの感染拡大に伴う生活環境の激変があり、当日の睡眠不足もあわさって、特に実行機能が低下していたのかもしれません。

現在も診療とカウンセリングを継続しており、医師とは、さまざまな認知ストレスによって実行機能が低下する自分の特性を理解し、負荷のかかる行動や急な環境の変化を避けることで、実行機能を維持しようと方針を立てています。

弁護人選任

ここまでの弁護人は「起訴前弁護」の契約だったので、略式起訴を受けた時点で契約は満了となりました。この弁護人は公判請求には消極的だったので、私は公判を一緒に戦ってくれる別の弁護士を探す必要がありました。

9月上旬、Coinhive事件で一審無罪を獲得した実績のある平野敬弁護士(@stdaux)に公判弁護を依頼し、受任していただけることになりました。

平野先生にお願いすることにしたのは、その実績もありますが、講演動画「エンジニアのための刑事手続入門」を見て「ああ、私もこういう弁護活動をして欲しかった!」と感動したのが一番の理由でした。

平野先生自身もネット文化に造詣が深く、かつてふぁぼったーを利用していただいていたそうで、それも一つの縁となりました。平野先生からは、すでに自白調書を取られており、相当に厳しい状況だと念を押されましたが、私の決心は揺らぎませんでした。

冒頭陳述

2020年11月25日、東京地方裁判所にて公判が始まりました。

第一回期日では検察官は起訴状を、弁護人は意見書を読み上げます。正面から法律論を展開する平野先生の意見書は、深野英一裁判官から「とてもよくまとまっていますね」と褒められるなど好感触のスタートでした。

被告人質問

刑事裁判はおおむね月一ペースで進行します。12月23日の第二回期日で行われた被告人質問は、弁護人が被告人を尋問する『主尋問』と、検察官が尋問する『反対尋問』あわせて1時間半に及ぶ長丁場となりました。

主尋問では、事件当日の経緯を時系列で説明し、投稿を組み合わせて読ませる意図も、業務妨害の意思もなかったことをアピールしました。また、私に睡眠障害があり、当日も睡眠不足で日中から注意散漫であったことや、ADHD傾向があり、従前から不注意な行動や、相手にどう受け止められるか深く考えずに衝動的な言動をする傾向があったことなどを供述しました。

捜査については、自白調書が唐澤英城検察官による作文調書であり、任意性に欠ける取調べで作成されたものであることを主張しました(任意性のない供述調書は証拠として採用できません)。あわせて、自白調書以前に作成されていた私が故意を否認している3通の調書を、検察官が証拠として提出していないことも指摘しました。

主尋問は落ち着いて供述できましたし、手応えがありました。

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しかし、反対尋問は、正直うまくいきませんでした。

取調室がそうであったように、法廷もまた検事のフィールドです。検事は安易に答えると有罪判決の材料にできるような質問をしてくるので、被告人は質問をよく聞き、罠を避けながら、適切な回答を、数秒以内の遅延オーダーで応答しなければいけません。しかし私は処理速度指標の低さからか(人狼や販売員ができないのと同様に)それに全く対応できず、結果としてちぐはぐ・しどろもどろな対応に終始してしまいました。

そんな私に対して、深野英一裁判官は苛立ちを隠しませんでした。例えば、検察官(公判部の女性検事)と私が…

検察官:あなたのフォロワー8,933人は、当時各自Twitterを開いたら、あなたのツイートが勝手に流れてくる状態にあるわけですね?
:全員のフォロワーが私のツイートを見るとは限りません。ユーザーは普通多数のアカウントをフォローしているので、タイムラインの仕組み上、基本的にはツイートはその時に閲覧した人にしか見えません
検察官:タイミングはともかく、ずっとスクロールすれば見れるんでしょう?
私:そういう使い方をする人は少数です。あるかもしれませんが…

と押し問答していると、

深野裁判官:質問をずらさないでください!8,900人が必ずみたでしょうじゃなくて、見る可能性があることは分かっていたか聞いてるんですよ!

と、深野裁判官が法壇上から割り込んでくるのでした。実際のところ私の普段のツイートのインプレッションは2〜3,000程度なので、「可能性としてはありえますね」などとエンジニアが言いがちな回答で迎合するわけにはいかなかったのですが、質問をずらすなと叱られてしまいました。

あげくに

深野裁判官:フォロワーが多かったり、いいねがつくというのは、承認欲求が満たされるんじゃないんですか?
私:ツイートは日本語でつぶやきと翻訳されていましたけど、私も昔から日記的な、独り言的な内容が主で、これだけの人に見られたいという気持ちだったでしょうと言われると、そういうわけではないです
深野裁判官:あなたはネット関係の大企業に勤務して、インターネットのことにも詳しい、8,900人もフォロワーを抱えて、ネット上の成功者ですよね。そんなふうに言われて、そうかとはなかなか思えませんよ。普通の人よりもはるかにネットのことに詳しいし、活躍されてたんじゃないんですか?

と、唐澤検事と似た様なことを言われてしまいました。

聞かれていない事に答えてしまったところもあります。

検察官:Twitterのタイムラインに流れる各投稿から、その投稿者のプロフィールページに移動できるというのは、当然分かってますよね
私:はい
検察官:そのプロフィールページを見たら、その人のツイートだけが時系列順に表示されるというのも、当然知ってますよね
私:はい
検察官:あなたは、アカウントに鍵もかけていないんだから、あなたの投稿に辿り着いた人があなたのプロフィールページを見たら、あなたが投稿した『私はコロナだ』という投稿の次に『濃厚接触の会』という投稿が連続して表示されるというのも,当然分かりましたよね
私:その場面、つまりそれによって、私がコロナウイルスに罹患していて、コロナパーティーの様にそれを分かった上でお互いに感染させることをしてるんじゃないかと解釈されたんじゃないかということだと思うんですけれども、私はその日は普通に会社に行ったり生活していることがわかる日常的なツイートをしているので、二つのツイートを紐づけるために私のプロフィール画面に来たら、病気ではなく元気に生活していることは文脈上わかると思います

…最後の私の回答が盛大にバグっていて、質問と全く噛み合っていません。これは一体どういうことでしょうか。

この時の私は、たぶん、集中力が切れていたのだと思います。

私は、人の話を聞いてる途中で集中力が途切れて、話が頭に入らなくなることがよくあります。この時もすでに1時間以上も連続して尋問を受け、疲労と緊張はピークに達していました。前頭葉も処理落ちしてきます。そんななか検察官に早口で長い質問をされ、途中で質問が頭に入らなくなってしまいました。

普段だったら遠慮なく「聞いてなかったのでもう一回言ってもらえますか?」と聞き返すのですが、苛ついた検察官と裁判官に気圧されてしまい、「プロフィールページ」「辿り着いた人」などの聞き取れた部分的なキーワードから、機会が来たら言おうと準備していた別の質問(「プロフィールページ辿り着いた人はあなたがコロナに感染していると理解しますよね?」)への回答を出力してしまいました。

自分でも失敗したと思うのですが、私が受けたP-Fスタディという心理検査からも、私が法廷のような状況でうまく自己主張できない心理傾向あることが分かっていました。この検査は、他人から非難されるなどの高ストレスな状況がイラストで示され、自分だったらどう答えるかを考えて空白の吹き出しに書き込むというものです。通常はその回答内容から被験者の心理傾向を解釈するのですが、私はそもそもほとんど何も書き込むことができず、珍しい反応だと驚かれていました。

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私は厳しく糾問される法廷で「何か喋らなくてはいけない」というだけで大きな負荷にさらされ、その内容をコントロールすることがほとんどできませんでした。

このように私にとっては苦しい法廷だったのですが、この様子は傍聴席にいた阿曽山大噴火にも面白おかしく書かれてしまいました。

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悔しい気持ちはありましたが、公開での裁判を請求することに決めた以上、誰に何を書かれようと受け入れるしかありません(とはいえ阿曽山自身も「故意がないのは伝わった」と被告側主張の支持を表明しています)。

傍聴人がいて、裁判について公に書くというのは、それがどんな傍聴人であろうと司法システムを公平たらしめる重要な機能の一部です。それは、検察官の取調室が決して代用法廷たり得ない理由の一つでもあります。

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他方、写真についての尋問には、概ね失点なく対応できたようです。

検察官:あなたは個人情報が映らないように写真を撮り直したと言いますが、なぜ個人情報が写っていたらまずいんですか?
私:
一般的な常識で判断しました。その人がどこにいたか、誰といたか判断できる情報を軽々に公開するべきではありません
検察官:
要するに、その人の許可なしに個人情報をネットに上げたら、その人がどこにいるか特定されてしまうから、そういう情報は載せてはいけないということですか?
私:
少なくとも私と一緒にいたことは分かるので、一般的には避けます

検察官は「SNSに写真を投稿するとその場所が特定されると認識していた」と言わせようとしましたが、場所の問題ではないと常識的に回答したためにこれは成功しませんでした。

検察官:写真にはお店のロゴが写ってるんだから、写真を見た人がお店やチェーンを特定できる可能性があることは常識的に考えて分かりますよね?
私:私はそのお店を利用したのは初めてで、グラスのロゴが店舗のものなのか、たとえばビール会社のものなのかも特に認識していませんでした
検察官:今、常識的に考えてどうですか?お店の人は写真に写ったテーブルの傷の状況も一致してるのを確認してるみたいだし、いくらでも店の場所の特定はできるとわかってたんじゃないですか?
私:インターネットで見た人が特定できるのかはわかりません。そりゃあ、お店の人が一つ一つその場にあるテーブルと見比べて、ああこの机ですね、ということは可能でしょう

弁護人が意見書で「同色のロゴを採用している店舗は他にもあり、写真は特定性に欠ける」と主張した点に検察官は対応してきまたが、テーブルの傷から店舗を特定できると分かっていただろうと無茶なことを言われ、私はここで少し怒り気味で回答しています。

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紙幅の都合上全ては紹介できませんが、全体として、反対尋問はボロボロでした。落ち着いて話ができる環境であればどうということはないことでも、法廷では質問を正しく受け取れないこと多数、言いたいことと発言が一致しないこと多数でした。

そもそも反対尋問とは供述者をストレスに晒し、そのような状況で供述が一貫性を保つかテストするものですが、その観点から見れば、私の供述態度は全く信用の置けないものだったに違いありません。

思えば私は事件発生から勾留質問、取調べ、公判に至るまで、全てのコミュニケーションポイントで何らかの失点を積み重ねてきました。私が刑事被告人に向いていないことはよく分かりました。

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被告人質問後、裁判官から検察官に、唐澤検事が作成した自白調書の証拠調べ請求を撤回するように訴訟指揮がなされました。これで私の故意を証明する直接証拠はなくなり、裁判官はその他の間接証拠から判決を導くしかなくなりました。

弁護側の主張

被告人質問が終わり、証拠の採否が確定すると、弁護人・検察官双方が意見を述べる「弁論手続き」に入ります。ここから先は少し専門的な話になりますが、できる限り平易に解説を加えていきたいと思います。

弁護側は最終弁論で、「故意」が成立しないとして無罪主張を展開しました。

【①ツイートを組み合わせて読ませる意思が認められない】

・各投稿は時間が1時間離れており、リプライツリーなど関連づける機能も使われていないため、通常は二つの投稿はタイムラインで同時に表示されない。
・プロフィールページ上では各投稿は連続的に表示されるが、Twitterの利用法からすれば、ここでの表示を前提に投稿の意図を考えることは不自然である。
・以上により、被告人には各投稿を組み合わせて読ませる意思は存在しなかった

【②業務妨害を働く意思が認められない】

・被告人は当該店を利用したことがなく、業務妨害の動機がない。
・故意があったとすれば実名や所属企業を明記したアカウントでの投稿はあまりに不合理である。
・本投稿は被告人の不注意や衝動性の強いADHD特性から、他人からどう見られるか意識せず衝動的に独り言として投稿されたものと見るのが自然である。加えて被告人は当日睡眠不足により極端に注意力が低下した状態にあった。
・被告人のTwitterの使い方はもっぱら他人への反応を求めない独り言で、今回の投稿も第三者への強い働きかけが見られない。
・以上により、被告人には被害店舗の業務を妨害する意思が存在しなかった

【③予見可能性では未必の故意に足りない】

・故意の認定には「認容(結果が発生してもかまわないという心理状態)」の立証が必要である。検察官の主張は被告人には予見可能性に関するもののみで、認容の立証がなく、未必の故意に足りない。

実行行為性を満たさない】

次に、弁論は「実行行為性」についても否定しました。「実行行為性」とは罪の構成要件の一つで、おおざっぱに言えばその行為自体が危険性や悪質性を備えた、罰するに値する「犯罪行為」といえるようなものであるか、という論点です。

・本件各投稿は店舗名で検索もできず、店舗関係者が直接投稿を閲覧する可能性は極めて低かった。
・「濃厚接触」の語が流行語になっていた当時において、投稿は容易に冗談と理解しうる危険性の低いもので、現に錯誤したり問題視する反応は皆無であった。
・よって、第三者による通報は予見し難く、本件の経緯は通常の因果の経緯を辿ったとはいえないため、実行行為性を満たさない。

私自身も刑法を勉強し、以下のような主張を提案して弁論に組み込んでもらいました。

・被告人の第一投稿には客体の特定性がなく、第二投稿には危険性がないため、各投稿は個別に見れば実行行為性を満たさない。被告人の行為に実行行為性を認めるためには、二つの投稿行為をあわせて「一連の行為」として扱う必要がある。
・しかし、『一連の実行行為論』は、時間的・距離的に離れた複数の行為を「一連の行為」と捉えるにあたり、各行為が同一の犯意に基づくこと、換言すればそれらが計画的犯行であることを求めている。
・検察官は被告人に未必的故意があったと主張するにとどまるが、「未必的な計画性」などというものはありえない、本件各投稿に実行行為性を認めるためには、検察官は明確な計画性を立証しなくてはならない。

文字通りの自己弁護ですが、二つの無関係な投稿を結びつけて犯罪行為を疑われてしまったことへの私なりの反論で、平野先生にも筋は良いと言ってもらえました。

検察官の主張

一方の検察官は論告求刑で略式命令と同じ30万円の罰金を求刑しました。論告は主に以下の3つの論点から私に故意があったと主張しました。

【①被告人は「ヤバいヤバいw」の投稿を第二投稿前に見ていた】

・被告人は第二投稿の前に「ヤバいヤバいw」のリプライを見ていたのだから、第一投稿について十分認識した上で第二投稿に及んでいる。
・なお、被告人は公判廷ではリプライをいつ見たかは記憶が曖昧だと供述しているが、釈放後の調書では「第二投稿の前に見た」と記されている。被告人は任意の捜査段階から私選弁護人を3人選任し、取調べ前に相談を受けていたはずであり、法廷での供述の変遷は極めて不合理である。

唐澤検事の自白調書はすでに撤回されているにも関わらず、論告に至ってもいまだに自白調書の方が正しいと主張しています。

検察官はまた『私選弁護人を3人選任し』と、私があたかも金にものをいわせて何人も弁護人を選任していたように主張していますが、それは単に弁護士事務所から「円滑な業務遂行のため、ウチでは3人で案件を担当しています」と言われ、指示に従って3人分の弁護人選任届を出したという経緯によるものです。

そもそも、取調べの弁護人立会いが認められていないこの国では、弁護人を何人つけようと取調室では彼らの助けを得ることはできません。そのことを熟知している検察官が「弁護士を3人つけていたのだから自白調書が法廷供述よりも正しい」などよく言えるものだと腹が立ちました。

【②被告人はビールグラスのロゴを店舗のものだと認識していた】

被告人は自ら意識してビールグラスのロゴを正面に向け、2枚ある写真のうち、あえてこの写真を投稿している。被告人はロゴが店舗のものだと認識がなかったと言うが、店舗の入り口ドアにも店舗ロゴが掲示されていたのだから、被告人はビールグラスのマークが被害店舗のロゴだと当然認識していたはずである。

店舗入り口ドアのロゴというのは記憶になかったので確認したところ、確かに入り口のドアにロゴが掲示されていたようですが、当時は換気のため全てのドアが常時開放されており、入店時にはほとんど見えない位置にあったことがわかりました。

【③被告人は投稿が連続的に表示されることを自認している】

被告人はTwitterにとても詳しいのだから、不特定多数の者がプロフィールページを閲覧できることや、同ページでは第一投稿と第二投稿が連続して表示されることも当然わかっていたはずであるし、被告人自身もこの点については自認している。

自認した覚えはありません。ツイートが時系列で表示されることの認識と、「第一投稿と第二投稿が」連続して表示されることの認識は別ですが、論告はそのことを意図的に混同して述べています。

論告は書き出しこそ「本件公訴事実は当公判廷で取り調べ済みの関係各証拠によりその証明は十分である」と勇ましいものの、撤回済みの証拠や論理のすり替えが多用された苦しいものという印象を受けました。

裁判官の判決

2021年2月26日に判決が言い渡されました。罰金30万円の有罪判決でした。

判決は残念ですが、重要なのは中身です。判決書を検討していきましょう。裁判官は、まずは事件の『実行行為性』についてこのように整理しました。

 第1投稿は、被告人が「私はコロナだ」と投稿したにすぎず、本件店舗との関連を全く示していないから、これをもって本件偽計業務妨害の実行の着手があったとみることはできない。また、関係証拠を見ても、この第1投稿に及んだ時点で、被告人が、続けて本件投稿や、本件店舗に関わる投稿に及ぶつもりがあったとは、認めるに足りない。
 本件では、先行して「私がコロナだ」と投稿していた被告人が、さほど間をおかず、同じアカウント名で、本件投稿(第二投稿)に及んだことが、偽計業務妨害罪にいう「偽計を用いた」に当たるといえるか、すなわち、本件投稿(第二投稿)に実行行為性が認められるかが、問題となる。

「私はコロナだ」の投稿は実行行為(≒犯罪行為)ではないと認定されました。

では何が実行行為なのかかというと、「一つ目の投稿をした状態にあった被告人が、さほど間をおかずに二つ目の投稿に及んだこと」だそうです。思いがけないロジックで実行行為が第二投稿だけになり、私の「一連の実行行為論」は撃沈しました。

故意についてはどうでしょう。判決文は、

確かに、被告人が、積極的に本件店舗の業務を妨害することを意欲して、その目的で、本件投稿に及んだとは,認めるに足りない

と、「濃厚接触の会」を投稿した時点においても確定的故意が存在しなかったことを認めつつ、

(被告人は)本件店舗の業務が妨害されることになるかもしれないという認識は有していたというべきである。被告人は、このような認識がありながら、あえて本件投稿に及んだ。被告人には、本件業務妨害の故意が認められる。

と、「店の業務が妨害されることになるかもしれないという認識」に基づいた未必の故意を認定しました。

学説は未必の故意の成立には『認識』のみならず『認容(結果が発生しても構わないという気持ち)』の心理の有無が争われるべきとしていますが、裁判所は「『認識』がありながら、『あえて』実行に及んだのであれば、そのこと自体に自動的に『認容』の心理が認められる」と、実質的に認識のみで故意を認定する立場を取っているそうです(参考1 / 参考2)。

では、どのような根拠で「このような認識」があったと認定したのか、順に見ていきましょう。まずは【両毛線のニュース】についてです。

被告人は,電車内で「俺はコロナだ」と発言した者が業務妨害で逮捕された旨の二ュースを見て,第1投稿に及んだ旨を自認しており,公の場で新型コロナウイルスの感染者であることを吹聴すると,業務妨害として逮捕され得ることを知っていた。それにもかかわらず,第1投稿に及び,続いて本件投稿に及んだ。

判決は、「私はコロナだ」と投稿した時、私が両毛線の事件と自分のツイートを同一視し、業務妨害で逮捕されるかもしれないと分かっていたはずだと主張します。しかしこの主張は、裁判官自身が同じ判決文で、この投稿は実行行為に当たらない(犯罪行為ではない)と事実認定したことと矛盾しています。

裁判官自身も認めるように、私の第一投稿は(両毛線の事例と異なり)いかなる施設との関連性も示唆するものではなく、犯罪としての実行行為性は認められません。実行行為性が認められたのは第二投稿ですが、裁判官は「この時点で第二投稿に及ぶつもりがあったとは証拠上認められない」とも認定しています。

第一投稿を実行行為と認定しているなら話は分かりますが、裁判官自身は犯罪に当たらないと考えたのに、「被告人は逮捕されうると(犯罪に当たると)知っていた」というのは変な話です。この主張は、実際に起こった結果から逆算して私の主観を推認する、一種の後知恵バイアスの影響が認められ、事実認定として無理があるように思います。

【ビールグラスのロゴ】問題についてはどうでしょうか。

本件投稿は、本件店舗内でロゴを強調して撮影した画像を添付したものであり、被告人が、本件店舗に迷惑がかかるかもしれない、すなわち、本件店舗の業務に支障が生じ、妨害することになるかもしれないと認識していなかったとは考えられない

判決は、被告人はロゴを強調して撮影した画像を添付したのだから、店に迷惑がかかるかもしれないと分かっていたはずだと主張します。前編で紹介した様に、投稿した写真でロゴが大きく表示されているのは結果であって意図ではないのですが……。

さらに判決は、そのロゴデザインの視認性を根拠に「ロゴが店舗のものかは認識していなかった」という私の供述は信用できないと切り捨てました。

被告人は、本件店舗のロゴをそれと認識していなかった旨供述している。しかし、そのロゴは、店名を、大きく明瞭かつ印象的に記したものであり、そのマークが本件店舗に関わるものではないと考えることは困難である。被告人の上記供述は、信用できない

しかし、写真に何かが大きく写っていることは、必ずしも撮影者がその内容を認識していたことを意味しません。

撮影時の私は、名札やスマホ画面が映り込まないように、画面端に注意が向いていました。騒がしい飲み会のさなか、パソコンを忘れて出社するほどの睡眠不足や飲酒というという条件も加味すれば、私の注意がロゴマークに向かなかったのは、むしろ自然ではないかと思います。

ある有名な認知心理学実験では、ボールをパスをする回数を数えるように指示されて下の動画を見せられた被験者のうち、半数は途中で出てきて画面中央でドラミングして去るゴリラの着ぐるみを見落としてしまうことが分かっています。

別の実験では、酒を少量飲んだ被験者は、わずか12%しかゴリラに気づきませんでした。この現象は「非注意性盲目」と呼ばれていますが、人間は、何かに注意を向ける時、それ以外のものを(あとから見れば見落とすはずがないと思えるようなものであっても)認識するのは難しいのです。

さらに、仮に私がグラスのロゴをしっかり店舗のロゴだと意識できていたとしても、そこから「店舗に迷惑がかかるかもしれない」という認識に至るためには、1時間前の「私はコロナだ」という投稿を覚えていたか、もしくは想起し、ロゴの位置特定性と関連づけて発想する必要があります。

そこで重要になるのが、最後の論点、【二つの投稿が組み合わせて読まれることの認識があったかどうか】ですが、判決はこの点について次のように主張しています。

被告人は,第1投稿をした約59分後に同じアカウント名で本件投稿に及んでおり,その間に他の投稿をしていない。被告人が,第1投稿と本件投稿を積極的に関連付けていないとしても,「私はコロナだ」と投稿したのに引き続き本件投稿に及んだといえることは明らかであり,両投稿が組み合わせて読まれる可能性があることも明らかである。被告人は,自らこのような投稿に及んだのであるから,被告人自身,そのことを認識していたといえることも明らかである。
また,上記のとおり,被告人は,第1投稿は自分が新型コロナウイルス感染症にり患したことを示す趣旨で投稿したものではなく,本件投稿は新型コロナウイルス感染症にり患した者が会に参加していることを示す趣旨で投稿したものではない旨供述している。しかし,その用いられた言葉からして,新型コロナウイルス感染者が本件店舗内で飲み会に参加していることを示唆したものと読まれる可能性が高いことは明らかである。被告人は,自らそのような言葉を選択して投稿しているから,そのような読まれ方をして,本件店舗に迷惑を掛けて,その業務が妨害されることになるかもしれないとも思わなかったとは考えられない。

「客観的にそうなのだから、主観的にもそうだったのである」という事実認定で、これが言えるのであれば結果さえあれば自動的に故意が成立してしまいます。これほど簡単に被告人の認識を認定できるなら、逮捕までして自白調書を得る必要はあったのでしょうか。

Twitterの使用において、ツイートをする瞬間に、1時間前に何をツイートしたか、どう繋がり得るかを意識することは通常ありません。判決文が主張するように、仮に私自身がなにか犯罪的な投稿をしたという意識があれば、1時間後でもその前の投稿を意識するかもしれませんが、そう言った意識がなかった私には、この時第一投稿を思い出しませんでした。

判決は次のように結ばれています。

以上は,被告人に注意欠陥多動性障害や睡眠障害があったとしても,結論が変わるものではない。被告人は,「俺はコロナだ」と発言することが業務妨害として逮捕され得ることだということも知っていた。そのような状況下で,被告人は,あえて本件店舗のロゴを強調した画像を添付して本件投稿に及んだものであ[る]

たしかに、「全て客観的に認識できていた上で、あえて店のロゴを強調した写真を投稿した」という、ほとんど悪意といえる様な意識が私にあったという仮定を所与とするのであれば、注意力が低下していたことを示唆する証拠であるADHDも睡眠障害も裁判官の心証を揺るがすものではないと言えるでしょう。

判決書の振り返り

深野英一裁判官による故意の立証は、要約すれば次のようなものです。

「私はコロナだ」とSNSに投稿する行為は犯罪行為ではないが、被告人はその投稿が犯罪だと考えていたはずだし、そのうえであえてビールグラスのロゴを強調して撮影した画像を投稿しているのだから、被告人には店に迷惑をかけるかもしれないという認識はあったはずだ。

被告人は二つの投稿はそういう意味で言ったのではないと供述しているが、そういう意味で理解される可能性が高いのだから、そういう意味で理解されると認識していたことは明らかであるし、被告人は組み合わせて読まれる可能性を認識していなかったと言うが、実際に組み合わせて読まれる可能性があるのだから、本人もそのことは当然認識していたのである。

被告人は、それらを認識した上で、あえてふたつ目の投稿をしたのである。

検察官が直接証拠から故意を立証しようと撤回済みの調書まで持ち出して主張を展開していたのと比べると、裁判官による故意の認定は、ツイートや写真など間接証拠そのものの「印象」から直接的に導かれたもののように感じました。

実は、ある証拠から何が証明できるかについては、裁判官が自由に評価して決めることが認められています。それを『自由心証主義』といいます(刑訴法第318条)。

しかし、自由な心証とはいっても、裁判官に全くの恣意的な事実認定が許されているわけではありません。刑事裁判における有罪の認定に当たっては、「合理的な疑いを差しはさむ余地のない程度の立証」が必要とされます。

合理的な疑いを挟むとは、本件で言えば「被告人の行為が、被告人に故意(店の業務を妨害するかもしれないという認識)がなかったとしても、合理的に説明できる」という意味です。これが言えるのであれば、無罪判決にしないといけません。

私自身はもちろん「十分に説明できる」と考えていますが、今回の判決は「故意によって説明できるか」ばかりに目を向け、「故意がなくても説明できるかどうか」を検討すらしていません。正直なところ、落胆しています。裁判所というのは、もっと分析的・論理的な事実認定を志向する機関だと期待していました。

いずれにせよ、長い時間をかけて一審を戦ってきましたが、私の法廷闘争は「故意は常識的に推認される」という出発点に戻ってきてしまいました。

控訴

正直、有罪判決でもぐうの音も出ない正論で叩き潰されるのであれば判決を受け入れようとも考えていましたが、実際の判決書は、公平性や厳密性といった、刑事司法への期待が満たされたと感じられるものではありませんでした。

悩みましたが、私は控訴することにしました。

控訴趣意書では改めて、①第二投稿時に第一投稿を忘れていたという反対仮説が合理的に成り立ちうること、②故意を認定したとしても、偽計の要件を満たすものではなく、軽犯罪法における「悪戯等」に過ぎないこと、を正面から主張しています。

控訴趣意書(PDF)

実際には悪戯ですらないので「悪戯等」と主張するのは不本意なのですが、業務妨害罪における「偽計」というのは動機、目的、手段に照らし「他人を錯誤に陥らしめ、この錯誤を利用する意図」を必要とします。結果の認識を認定したにとどまる今回の判決からは、この要件を満たしていたと理解することはできません。

軽犯罪法違反は最大でも1万円の科料ですし、立小便などと同等の軽微な前科として扱われるため米国ビザの発給で問題になることもほとんどないなど、一介のエンジニアとしては刑法犯か軽犯罪法違反かは切実な差ではあります(私は逮捕された時点で、判決に関わらず一生ESTAによる渡米ができなくなりました)。

控訴審といっても、日本では上級審は下級審の審理に問題がなかったかをチェックする『事後審』と位置付けられているため、弁明の機会は大きく制限されます、新たな証拠請求も被告人質問の請求も原則として受け付けられません。すでに行われた審理の期日も書面のやりとりだけで、5分程度で終わってしまいました。

正直、判決を覆すことが容易でないことは理解していますが、諦めが悪いのは私の取り柄でもあります。諦める前に自分で納得したいですし、自分に出来ることは全部やらないと自分を納得させることはできません。

まとめ

以上が、この一年の私の事件に関する経緯です。

ここまでの刑事手続き全体を振り返ると「ああすればよかった」「これは失敗だった」と思うことだらけです。事件そのものはもちろんですが、なかでも検察官の自白強要に屈し、虚偽自白に落ちてしまったことは最大の分岐点でした。

平野先生の見立てとしても、もし私が自白せず当初から黙秘していれば、身体拘束は長引き捜査は苛烈になるものの、不起訴処分で終わる可能性があったそうです。

しかし実際には、私は逮捕前から弁護人を選任していたにもかかわらず、自白しまいました。どうすれば防げただろうと考えると、やはり「取調べの弁護士立会いが必要だった」と、切実に思います。あの唐澤検事の取調室で、隣に弁護士がついていてくれたら。検事が法律について嘘の説明をすることも、私がそれに騙されて虚偽自白におちることもなかったでしょう。

取調べの可視化(録音・録画)は全事件の5%を対象に2019年に義務化されましたが、一方で取調べの弁護人の立会いはいまだに認められていません。同様の国家は東アジアでは中国と北朝鮮だけですが、法務省は最近も、弁護人の立会いを認めると「被疑者から十分な供述が得られなくなる」と弁護人立会いを拒否する声明を発表しています。

日本の刑事事件のうち、検察官による不起訴処分が63%に対して、起訴後に裁判官が無罪を言い渡す事件はわずかに0.1%です。この統計は「その人を罰すべきかどうか」は、この国では実質的に裁判官ではなく検察官が決めていることを示しています。

これは、憲法が裁判所に与えた司法権の中核的機能が、いち行政機関である検察庁に白紙委任されている状況とも言えます。しかし、検察官の取調室は裁判所の法廷とは全く異なるブラックボックスです。被疑者を孤立させ、密室で行われる取調べは法廷の機能を代替できるものではありません。

被疑者・被告人という立場になった一人の国民として、全ての取調べで弁護人立会いが認められるようになることを強く望みます。

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現在は、裁判と並行して週3日、知人の紹介で業務委託の仕事をしながら過ごしています。裁判が落ち着いたらすこし休みたいですが、その後は少しずつ、医師と相談しながらもとのような生活に戻っていきたいと考えています。

控訴審は6月31日の第一回期日にて結審し、現在は8月末の判決を待っている状態です。判決がでたら、Twitterなどで皆さんにお知らせしようと思います。

(了)

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