この一年の話(控訴審編)
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この一年の話(控訴審編)

小野マトペ

判決から3ヶ月も経ってしまいましたが、ようやくレポートとしてまとめることができたので、8月31日に受けた控訴審判決についてお知らせします。

私を被告人とする偽計業務妨害被告事件の控訴審(東京高裁・細田啓介裁判長)ですが、すでに報道されている通り、結果は残念ながら控訴棄却となりました。本稿では、この判決についてくわしく見ていきたいと思います。

なお、公開裁判の原則に鑑み、本件訴訟を誰でも検証できるよう、判決書を含む裁判記録は一部個人情報等を伏せたうえで以下リンク先にて公開しておきます。 Googleドライブ - 刑事裁判記録

争点の確認

判決を解説する前に、改めて裁判のポイントを整理させてください。

この裁判で私が主張していたのは、私は悪くないということ…ではなく、「業務妨害の故意は存在しなかった」という事実です。

大前提として、民事裁判では過失でも損害賠償の責任が生じますが、刑事罰は「あえて法を破ったこと」への非難の意味をもつので、一部の罪を除き、刑事裁判では故意がなければ処罰の対象とされません。

刑法上、故意・過失はいくつかの状態に分類されます。違法な結果の発生を積極的に意欲していれば『確定的故意』、意欲がなくとも犯罪事実の認識・認容(発生しても構わないという心理)があれば『未必の故意』、どちらもないが客観的には予見できたはずだといえるなら『過失』が認められます。

検察官は、私が一時間前にTwitterに『私はコロナだ』と投稿(以下『第一投稿』)したことを念頭に浮かべ、続けて店のロゴが写った写真を添付して『濃厚接触の会』と投稿(以下『第二投稿』)すればタイムラインやプロフィールページでは二つの投稿が連続的に表示され、閲覧者が新型コロナウイルス感染者が同店で飲食していると理解して同店に通報し、同店の業務が妨害されることを認識しながら、あえて(認容して)第二投稿に及んだとして、『未必の故意』があったと主張しています。

実際には私は第一投稿を完全に忘れていました。軽率と言うほかありませんが、私にはそれが「私が新型コロナウイルスに感染した」と錯誤され得る表現だという認識はなく(実際そのような反応は一つも寄せられず)、そのまま投稿を忘れ去っていました。そのため私は第二投稿時に第一投稿を想起できず、二つの投稿の関連性に気がつかなかったため、業務妨害が起こる可能性を認識することができませんでした(第一投稿は本件店舗との関連性がなく業務妨害行為と認められないため、第二投稿における故意のみが問題となります)。本来ならば注意できたはずのことに気づかなかったのですから、これは過失です。

本件において罪を認めることは、検察官の主張を事実として受け入れることを意味しますが、それは私にとって罰金よりも耐え難いことでした。

一審では、私が二つの投稿を積極的に関連づけたり、店舗への業務妨害を積極的に意欲していたわけではないことは認められたものの、犯罪事実は認識していたはずだと認定され、有罪判決となりました。今回の判決は、この一審判決を不服として東京高等裁判所に控訴した二審のものです。

未必の故意の認定

弁護側は一審判決の故意の認定に関して、控訴趣意書で概ね以下のように反論しました。

  • (1)一審は被告人について「両毛線のニュースを読み、第一投稿をすれば逮捕されると知っていた」「感染者が来店したことを吹聴すれば店舗が対応に迫られると考える可能性は極めて高かった」と言うが、電車内の発言とSNSの投稿は同一視できず、実際にそのように被告人が考えたという証明はない。

  • (2)第一投稿は移動中に暇つぶしに読んだネット記事への雑多な反応のひとつに過ぎず、その後友人らと酒食を楽しんでいた被告人にとっては印象が薄い出来事で、第二投稿時に第一投稿を想起できる可能性は低かった。また被告人にはADHDや当日の体調など注意力が低下する個別的事情があった。

  • (3)被告人は同席者の名札やスマホ画面が映り込まないことに意識が向いており、騒がしい店内での、小さなスマホ画面上の作業でもあったこともあり、『非注意性盲目』によりグラスのロゴに注意していなかった。

検察官は答弁書を作成せず、被告人質問の請求も却下されたので、二審は6月30日の第一回期日で結審し、二ヶ月後の8月31日に判決の言渡しとなりました。

(1)社会情勢

(1)に関して、二審はトーンダウンしつつも概ね一審の見方を維持しました。

(1)被告人には、当時の社会情勢についての知識はあり、また、飲食店において感染者等が飲食したことが判明すれば、通常以上に念入りな対応を取らなければならない状況に陥ることは、そのような社会情勢を承知している誰の目にも明らかである。
被告人は、ニュースを読み、少なくとも「俺はコロナだ」と言う発言がトラブルのきっかけになるほど、社会がこの問題に敏感になっていることを承知できたことは明らかである。

高裁判決要旨より

一般論としては概ね了解可能ですが、両投稿の関連性に気づいていなかった私が具体的にそのように想念する契機はありませんでした。

(2)二つの投稿の関連性

二つの投稿の関連性については、二審は次のように判断しました。

 (2)被告人は、また、「私はコロナだ」という第 1 投稿と、本件投稿とは続きものではないし、本件投稿の「濃厚接触」とは、友人との楽しい飲み会を一種のはやり言葉を使って表現したにすぎないとも供述するが、自分自身で本件投稿の約1時間前に第1投稿を行っており、その間は他の投稿はしておらず、仮に本件投稿を行おうと思った際に友人同士の親しい飲み会を「濃厚接触」と表現するにすぎない意図であったとしても、本件投稿においてそのような新型コロナウィルス感染症に関連する用語を使用しようとする以上、「私はコロナだ」という内容の第1投稿をしたことが想起できたはずである。
そして、被告人は、自身が投稿を行う以上、それが不特定多数の目に触れ、そこから被告人のアカウントのページに行くことも容易であり、そこでは被告人の投稿も連続的に表示されるであろうことや、そのアカウントには多数のフォロワーがいて、フォロワーには被告人の投稿が連続して閲覧できる可能性があり、したがって、第1投稿と組み合わせて「濃厚接触」も感染者との濃厚接触であると受け止められる可能性があることなども当然に念頭に浮かべたものと認められる。

高裁判決書 6ページより(以下、強調および丸囲み数字は引用者)

想起できたはずだと言われても……という気持ちになりますが、確かに判決が言うように、同じコロナ関連の用語を使ったのであればその文脈的近接性を手がかりに、普通は1時間前の投稿でも思い出せそうにも思えます。

そうなると、問題は私の方にあるのでしょうか。私は事件後、処理速度(情報を処理し、選択的注意を行うスピード)が極端に低い注意欠陥多動障害(ADHD)だったことが分かりました。加えてこの日は慢性的な睡眠障害(概日リズム睡眠障害)からくる睡眠不足の影響で判断力が低下し、ミスを連発していました。

傷病名の通り、ADHDは周囲全体に注意を向けたり注意を分散することが苦手とされ、主治医も私のADHD傾向は事件そのものにとどまらず、捜査や裁判の経緯にまで、明らかに影響を及ぼしていたといいます。

私自身も今回のことは注意のコントロールの失敗と捉えており、少なくとも過失の蓋然性を高める証拠であることは間違いないため、控訴趣意書でもこれらの影響により二つの投稿の関連性に気がつかなかった可能性を指摘しましたが、高裁の判断は以下のようなものでした。

被告人は、傷病名注意欠陥多動障害として『発達障害の傾向がある』と診断を受けているが、診断を行ったクリニックヘの検察官の聴取結果(①原審甲第9号証)によれば、注意欠陥多動性障害には、自身が直前に行った行為を忘れたり、自己の置かれている状況や、自分の今行っていることの意味内容を理解できないというような症状はないと認められること、②被告人質問によっても、ただちに投薬その他の治療を要する状態ではないことがうかがわれ、また、③睡眠障害の影響をうかがわせる事情もないことから、この認定の妨げにはならないものと考えられる(この判断は、次の(3)における認定においても同様である)。

高裁判決書 7ページ

①原審甲9号証とは、一審で弁護側証拠として提出した発達障害の診断書に同意する交換条件として検察官が追加提出した電話聴取書で、検察官が私を診断した医師に「ADHDの症状に、自身が直前に行った行為を忘れたり、自己の置かれている状況や、自分の今行っていることの意味内容を理解できないという症状があるか」と質問し「一般的症状にはそのような症状はない」と答えたやりとりを録取したものです。

しかし、常識的に考えて1時間前の投稿は「直前に行った行為」とは言いませんし、「自分の状況や行為の意味が理解できない」という症状もADHDと何ら関係がありません。知的能力と注意力の問題は全くの別物です。

細田裁判官はまた、一審被告人質問で私が「今後投薬治療を受けるかどうかは医師と相談して慎重に検討したい」と供述したことからも「②ただちに投薬その他の治療を要する状態ではないことがうかがわれ[る]」としてADHDの事件への影響を否定しましたが、ADHD治療は症状が重ければただちに薬物療法が開始されるというものではないので、「薬が出ていないなら症状も大したことはない」という裁判官の推論には根拠がありません。ちなみに主治医によれば、私の症状は「今まで他の能力の高さと職業適正で補ってこれただけで、ADHDの症状自体は決して軽くはない」そうです。

当日の睡眠不足によるアクシデントも「③睡眠障害の影響をうかがわせる事情もない」の一言でなかったことになり、判決上は私は十全な注意力を発揮していたことになりました。

細田裁判官は、投稿同士の関連性の認識について、

被告人は、とりわけ情報技術についての専門知識が高く、前記第4の1(3)ウの指摘を考慮しても、第1投稿と本件投稿とを結びつけて読まれ得ることに気付かなかったとの被告人の供述は採用できず,反対仮説の可能性を疑うことはできない。

高裁判決 7ページ

と結論づけました。ITの専門家なら一時間離れた投稿の関連性に気づくはずだから被告人の主張は虚偽であるという事実認定ですが、それはどうでしょうか……。

(3)ビールグラスのロゴ

最後に、高裁は私が添付写真の撮影前に自らグラスの向きを変えていたことに着目したうえで、次のように私がロゴを認識していたと判断しました。

(3)(略)被告人は、カメラ写りをよくするためにグラスの角度と位置を変更したものの、同席者のネームプレートが写り込まないように注意をした一方で、店のロゴの認識はなく、それが写ってしまうことによって経営会社等が特定される可能性は当時分からなかったと供述する。
しかし、当該グラスのロゴは、一般的な飲食店でよくみられるような大手飲料メーカー等のマークとは明らかに異なる特徴的なもので、①本件店舗入り口にも明示してあり、上記のとおりグラスの向きが変えられていることを考えれば、人の注意資源には限界があることやスマートフォンの画面の大きさをも踏まえたとしても、被告人がグラスのロゴに気付かないまま投稿したという可能性は疑われない。

高裁判決 8ページ

前回のnoteで紹介した、一審の検察官論告(10ページ目)での「店舗入り口ドアにも同じ同店ロゴがあるので、グラスのロゴを同店ロゴだと認識していたはずだ」という検察官主張がここにきて判決の根拠として採用されました(①)。

確かに検察官証拠の写真を見ても、店舗入り口のガラス戸の良く見える位置に店舗のロゴが描かれており、これだけ見れば私が入店時に店舗のロゴを目にしたことは疑えないでしょう。しかし、コロナ下での営業であった当時、私の記憶ではその入り口のガラス戸は換気のために常時開放されており、ロゴは入店する客からは見えにくい位置にありました。

「入り口にロゴがあった」という状況証拠から「被告人はグラスのマークを店のロゴだと認識していた」という結論を導くためには、当然ながら私が実際に入り口のロゴを目にしていたことを証明する必要がありますが、検察官は論告でも「(被告人は)誰かに引率されて行き先もわからぬまま気づいたら店に着いていたということもなく、自ら店名を調べて被害店舗を訪れていることは明白であるし、被害店舗の入り口にも同店のロゴが描かれているのであるから、入店時に同ロゴを目にしているはずである」と推測するのみで、被告人質問でも私に入り口のロゴを見たかどうかは聞きませんでした。

そのため、この主張は一審の論告求刑で初めて登場したものの判決に採用されなかったために弁護側は控訴趣意書で反論できず(控訴趣意書の攻撃対象は一審判決文に限られます)、くわえて二審での被告人質問の請求も却下されたので、私は裁判を通じてこの検察官主張に反論する機会が一度もありませんでした。高裁が、明らかに立証が不足している一審検察官主張を、被告人に反論の機会を与えないまま漫然と有罪判決の根拠に採用したことは残念に思います。

高裁はロゴの認識についての認定を次のように締めくくりました。

前記(1)の状況を前提とすれば、添付写真を通じて同席者が特定されることを防ぐ配慮をする被告人にとって、本件店舗が特定された場合、本件店舗がその反響への対応に追われる可能性も当然に予測できたものと認められる。

高裁判決 8ページ

「同席者の個人情報が写真に映り込まないように注意を払っていた」という私の主張を認めた上で、「だからロゴに気がつかなかった」のではなく、反対に「そのような配慮をしていたということは、ロゴの写真を投稿すれば店に迷惑がかかることも当然予測できたはずだ」と認定されてしまいました。

私からすれば、オフ会で同席者の個人情報がSNSに投稿する写真に映らないように配慮していたのは、それが長年のネット経験から身についた習慣的知識だからであり、そうであるにも関わらずロゴの写り込みに無頓着だったことは、むしろ1時間前に第一投稿をツイートしたというエピソード記憶が想起されていなかったことの証左に他ならないのですが、すでにツイートの想起もロゴの認識も認められている以上、常識的な配慮をしていた事実すら故意の証明に利用されてしまうのでした。

ちなみにこの認定もまた、前回のnoteで紹介した一審の反対尋問でのやりとりにその原型を見出すことができます。

検察官「あなたは個人情報が映らないように写真を撮り直したと言いますが、なぜ個人情報が写っていたらまずいんですか?
「一般的な常識で判断しました。その人がどこにいたか、誰といたか判断できる情報を軽々に公開するべきではありません」
検察官
要するに(略)個人情報をネットに上げたら、その人がどこにいるか特定されてしまうから、そういう情報は載せてはいけないということですか?」
「少なくとも私と一緒にいたことは分かるので、一般的には避けます」

被告人質問供述調書 24ページ

場所の問題ではないとかわしたつもりでしたが、回答とは無関係に都合よく判決に使われてしまいました。

(4)状況証拠による事実認定

最終的に、高裁は次のような「総合評価」によって故意の存在を認定しました。

上記(1)〜(3)のとおり認定できることを総合すると、被告人は、感染症に罹患した者が本件店舗で飲食しているかのように受け止められる可能性があることや本件店舗が店舗内を通常以上に念入りに消毒する等の対応を余儀なくされて業務に支障を来す可能性を認識しながら、あえて本件投稿を行っているのであるから、被告人に偽計業務妨害の故意に必要な認容と評価できる心理状況があったことも明らかである。

高裁判決 8ページ

「行っているのであるから」「明らかである」と、まるで完璧に故意の立証ができたかのような書き振りですが、今まで見てきた事実認定を個々に振り返ると、

  1. 第二投稿でコロナ関連の用語を用いたから、第一投稿を想起できたはず

  2. ITの専門家だから、両投稿が関連づけて読まれることに気づかなかったはずがない

  3. 特徴的なロゴのついたグラスを自ら動かしており、(被告人が目にしたかはさておき)入り口にも同じロゴがあるのだから、グラスのロゴを店のものだと認識していた

  4. 写真に同席者の個人情報が映らないように配慮をしていたのだから、写真を投稿すれば店が対応に追われることもわかっていた

と、いずれも反対仮説が十分に許容されうる、証明力の低い推論を並べているに過ぎません。推認構造上も、時系列順に3→1→2→4と順次の推認関係を構成するものの、結局のところ1の「想起」がなければ2,4も成立せず、要証事実には到達しません。

前回のnoteでも少しだけ紹介しましたが、裁判官が有罪の認定をするためには「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」が必要とされています。これは冤罪を防ぐための人権保障上極めて重要なルールですが、実のところその基準は不明確で、実務家や研究者の間で激しい論争を呼んできました。

そんななか、最高裁は平成22年4月27日の判決で、状況証拠から有罪を認定する場合には「状況証拠の中に、被告人が犯人でなかったとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも極めて説明困難な)事実が含まれている必要がある」と具体的な基準を提示しました(以下『平成22年基準』と呼びます)。

これはつまり、直接証拠(目撃証言や自白など、要証事実を直接的に証明する証拠)のない事件で状況証拠のみから被告人を犯人と推認するには「被告人が犯人だという仮定と矛盾しない状況証拠」をいくら集めても不十分で、いったん「被告人は犯人ではない」と仮定したうえで、その仮説と矛盾する状況証拠を示さなければならないということです(下図)。

平成22年基準が要求する推認構造

たとえば、痴漢を疑われた被告人の自宅から痴漢モノのビデオが出てきたり、犯行推定時刻に被告人が殺人現場近くに立ち寄った痕跡があれば「被告人が犯人だという仮定と矛盾なく説明できる」ために被告人が犯人であるという蓋然性(=疑わしさ)は高まりますが、このような証拠は「犯人でなかったとしたら説明できない」とまでは言えませんから、そのような「疑わしさ」のみをもとに有罪認定してはいけない、というわけです。

本件訴訟でも、私の故意を証明する唯一の直接証拠だった唐澤英城検事の作文調書はすでに撤回されており、状況証拠のみから故意を推認する必要があります。

そこで、この平成22年基準を本件の故意の認定に当てはめれば、私が第一投稿を想起していたと認定するためには、裁判官は「私が第一投稿を想起していなかったとしたら説明できない状況証拠」を示す必要があります。たとえば、私が第一投稿のリプライツリーに第二投稿をぶらさげたとか、店内で犯行を仄めかす言動をしていたなどの外部的態度を示す証拠があったとすれば、私が第一投稿を想起していたことには合理的な疑いが差し挟めないというべきでしょう。

しかし判決は「第二投稿にコロナ関連の用語を用いたから」という経験則を用いて第二投稿から第一投稿が想起できたはずというものの、一方で想起がなかったとしたら説明できない間接事実を何一つ示しておらず、平成22年基準には明らかに届いていません(下図)。

平成22年判決の藤田宙靖補足意見は、

有罪の認定に関し、『合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いを入れる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である』という考え方は、当審判例の示すところであるが(多数意見が掲げる平成19年10月16日第一小法廷決定)……この判例の趣旨が、個別に見れば証明力の薄い幾つかの間接証拠の積み重ねの上に、『被告人が犯人であるとすればその全てが矛盾なく説明できるが故に被告人が犯人である』とする『総合判断』を広く是認する方向に徒に拡大解釈されることは、厳に戒められなければならない

最[3小]判平成22年4月27日刑集64巻3号233頁

としています。これはまさに本件の細田判決に当てはまる批判であるように思われますが、ではなぜ現在も、本件判決のような事実認定が是認されているのでしょうか。

日本の裁判所は「この状況なら通常人なら分かったはずだ」という一般論的・蓋然性的な経験則を積み重ね、被告人がその「推認を妨げる特段の事情」を立証出来ない限り未必の故意を認定することが知られています。この傾向はブラインド・ミュール(旅行者を騙して薬物等を密輸させる)事件や特殊詐欺の受け子(詐欺だと告げず若者にバイトとして受け子をさせる場合がある)の故意の認定において特に顕著で、このような事実認定の手法には誤判のリスクも指摘されています(参考1, 参考2

本件判決においても、ADHDや睡眠障害といった事実が本件認定の「妨げにはならない」という表現から同様の思考パターンが伺えます。しかし、検察官が「常識的にはこうだ」というレベルの推論で有罪の立証責任を果たしたことになる一方で、被告人がそれを打ち消す個別具体的な「特段の事情」を証明できない限り有罪になってしまうのであれば、検察官の立証責任が転換し、被告人が「無罪の証明」を求められていることになりますし、そもそも「予見できたはず」で故意が認定されるのであれば、認識や認容ではなく予見可能性から故意が認められることになり、故意と過失の境界が失われ、過失致死罪はすべて殺人罪になってしまいます。

……とはいえ、法務大臣ですら平気で刑事被告人に「無罪の証明」を要求してしまうこの国の深刻な法意識の低さの前では、もはや仕方のないことかもしれません。

裁判所は、平成22年基準はあくまで犯人性の認定について説示したもので、故意など主観的事実の認定には妥当しない、と考えているようでもあります。しかし高野隆弁護士は『憲法的刑事弁護』の中で、憲法のデュー・プロセス条項を根拠に「有罪の認定には訴追された犯罪を構成する全ての事実に合理的な疑いを差し挟めない程度の立証が必要」とした1970年のアメリカ連邦最高裁判所判決を紹介し、日本の検察官にも同等に、主観的要素を含む全ての事実にこの合理的疑い基準が求められていると主張しています(同様の論者に門野博元東京高裁部統括判事)。

いずれにせよ、第三者の複数の傍聴人が「故意がなかったのは伝わった」と口を揃える事案で、なぜ裁判官だけが顕著な証拠もなく「故意がなかったとは合理的に疑えない」と言い切れるのか、理解に苦しみます。

私には裁判官が、証拠上は認められないものの、第一投稿は道徳規範を害する社会規律への挑発に違いないのだから、故意がなければ投稿が連続するとは考えられず、実体的真実としては可罰性が認められるのだから、処罰感情の満足や治安維持のためには証拠の証明力や利益原則(疑わしきは被告人の利益に)といった法規範を超えて被告人を有罪にしなければならないと考えているようも思えます。

しかし裁判所は治安維持機関ではなく、治安権力(検察官)による法執行の正当性を審査する独立した権力です。司法機関が行政機関に同調し、法や人権保障よりも治安維持や規範意識の保護に価値を置くのであれば、司法の独立を基礎とし、戦後刑事司法が目指した当事者主義もデュー・プロセスも成り立ちません。必然的にこの国の司法制度はこれからも、構造的に冤罪を生み続けることになるのでしょう。

『偽計』か、『悪戯』か

控訴趣意書では、すでに述べた事実認定の誤りのほかに、法令適用の誤りも指摘していました。これは純粋に法律論的な争点で少し込み入っているのですが、個人的には面白い議論だと思うので前提をさかのぼって解説させてください。

私が問われている刑法の偽計業務妨害罪は「偽計を用いて人の業務を妨害」する行為を罰しますが、軽犯罪法にも「悪戯などで人の業務を妨害した者」の処罰規定が存在するため、用いた手段が『偽計』なのか『悪戯』なのかで適用される法律が変わります。

本件では私が意図はともあれ虚偽の事実をSNSに投稿し、結果として他人を錯誤させたとされているわけですから、当然に『偽計』が成立すると思えるかもしれませんが、話はそう単純ではありません。

『偽計』か『悪戯』かを争ったリーディングケースである大阪高裁昭和29年11月12日判決は、業務妨害罪における『偽計』を「人の業務を妨害するため、他人の不知あるいは錯誤を利用する意図を以て錯誤を生じせしめる行為」と定義し、たとえ行為自体に危険な結果を招く恐れがあったとしても、『業務の妨害のために他人の錯誤を利用する意図』に基づいて他人を錯誤させる行為に及んだと認められなければ『偽計』は成立しないと基準を示しました。

この判決は、ある男性が列車を降りる際に偶然体に触れた制動機(ブレーキ)のハンドルを興味に駆られて面白半分に廻したところ、制動機が緊締され、列車の運行に支障が生じたことが偽計業務妨害に問われた事案についてのものです。

判決は、被告人は確かにそのようなことをすれば運行に支障が生じる可能性があることを認識していたといえるものの、それだけでは『業務妨害のために他人の(制動機の緊締に関する)錯誤を利用する意図』があったとまでは言えず、また証拠上もそのような意図を推認させる特段の事情もないとして、偽計業務妨害罪の成立を否定しました。

この判例を素直に読めば、被告人に、結果発生の認識である『未必の故意』しか認められない場合、他に『業務の妨害のために錯誤を利用する意図』から出た行為であると推認させる特段の事情がなければ『偽計』は成立しないことになります。ということは、私も『未必の故意』の限度で業務妨害の故意が認定されているに過ぎないのですから、特段の事情がない限りは『偽計』性が成立しないはずです。

私の事件では、検察官は一審論告で私に『偽計業務妨害』の『未必の故意』があると主張し、この昭和29年判例から偽計の定義を引用しているにもかかわらず、判例が証明を要求する『業務妨害のために他人の錯誤を利用する意図を推認させる特段の事情』ついては完全にスルーしています。

そういったわけで、控訴趣意書では、本件は故意が認定されるとしてもただちには偽計は成立せず、その動機・様態・反復性などを判例や立法趣旨を踏まえて比較検討する必要があり、本件行為は悪戯と目される範囲を超えないと主張しました。

平野先生としても近年『偽計』概念が拡張的に運用される傾向にあることを憂慮し、明確な判断基準が判例として示されれば有益、という思いで裁判所の判断を求めたのですが……高裁判決はつれないものでした。

原判決が認定した罪となるべき事実が、偽計を用いて本件店舗経営会社の営業部長らの業務を妨害するものであり、偽計業務妨害罪の構成要件に該当することは、原判決が指摘するとおりである。
原判決も,被告人が業務妨害を積極的に意欲したとか、本件が周到な計画に基づくものであるとまでは認定していないが、被告人に後記第4で指摘するとおり、偽計を用いて本件店舗関係者の業務を妨害することについての認識、認容があることが認められる以上、同罪の認定に問題はない。犯行が複雑巧妙とまではいえないことや反復性が欠けていることも、同様である。

高裁判決 4ページ

偽計を用いる認識があったから偽計なのだ、というトートロジーになってしまいました。裁判所が『錯誤の利用の意図』要件を検討することなく、判例との整合性を放棄して偽計性の成立を認めたことは端的に言って残念です。

控訴審判決の評価

細田啓介裁判長による高裁判決を法廷で言渡された時は、「客観的にはこうだから分かっていた」「写真は強調して撮影した」と情緒的な決めつけが先行した深野英一裁判官の地裁判決と比べて少なくとも証拠には基づいており、こちらの話をきちんと聞いてくれたのかもしれないと、一瞬納得しかけました。しかし判決文を詳細に検討すれば、弁護側主張は当て推量で簡単に排斥する一方で(一審判決に登場しない)検察官主張は証明が足りなくても次々と採用し、証拠構造を組み替え、「総合的な判断」によって強引に有罪認定する、一方的な判決書であることには変わりがありませんでした。

それだけに、現在の刑事裁判において私の主張が認められる余地はないのだと思わされる判決でした。

そもそも私の「気がつかなかった」という主張には証拠もなく、そんな脆弱な申し開きが通用するのだろうかと、最初から自信はありませんでした。しかし唐澤英城検事の悪質な捜査には納得できませんでしたし、裁判で自白調書さえ排除できれば、証拠がないのは相手も同じなのだからイーブンなはずだ。そのように考えて戦ってきましたが、検察官に対して一方的に有利な裁判所の「自由な心証」の壁を破ることはできませんでした。

自白調書は形式上は撤回できますが、訴訟上の不利が全てリカバーされるわけではありません。私の反対尋問が散々だったことは前回紹介しましたが、私の反対尋問が下手すぎることは、実は事前の練習の時点で分かっていました。本当は平野先生は私に黙秘させたかったそうですが、自白調書を撤回させるためには反対尋問に応じざるを得ませんでした。私も練習を重ねたものの、脳の処理速度の遅さはいかんともし難く、不合理な弁解との心証を作られてしまいました。

終局

最後まで諦めず最高裁に上告する選択肢は、権利としてはないわけではありませんが、実体的な誤判救済としての機能は期待できないようです。

そもそも最高裁への上告理由は『憲法違反』か『判例違反』に制限され、事実誤認による上告は原則的に受理されませんし、ほとんどの上告事件は三行半と呼ばれる控訴棄却の定型書面が返送されて終局します。昨年の統計によれば、取下げを除く1527件の上告のうち裁判官が判決したのはわずかに7件(0.5%)で、原判決の破棄は3件しかありません。

そのため、上告は断念することにしました。

最初はただ納得ができないからと、勝算が低いことを承知で正式裁判を請求した私も、さすがにここまで裁判をやれば、私の訴えが通る見込みがないことは分かります。勝ち筋もない、なにか大義があるわけでもない、たかだか30万円の事件のために、200人に1人しか審理されない訴訟プロセスに時間と金と精神力を投入するのは、あまりにも合理性に欠けます。

結果は残念の一言ですが、現状の司法システムの中で、刑事事件の当事者として私にできること、すべきことはここまでで概ね尽くせたと考えています。

心理学意見書

ところで、控訴審にはちょっとした後日談があります。

実は私は控訴趣意書提出後、認知心理学者で刑事事件における鑑定経験も豊富な厳島行雄先生に、平野先生を通じて控訴審での意見書執筆を打診していました。

正直、控訴審での新規証拠が採用される見込みは低いのですが、一審判決を読み、裁判官の「常識」に基づく判決を覆すためには科学的な視点からの意見が不可欠だと感じた私は、できる限りの手は尽くしておきたいとわがままを言って、平野先生に連絡をつけていただいたのでした。

当初、厳島先生からは「資料を確認します」とお返事を頂いて以降音沙汰がなく、依頼は受けていただけないだろうと諦めていました。ところが、控訴審が終わり、上告期限が過ぎて数日後、厳島先生から完成した意見書が送られてきて驚きました。なんと厳島先生は意見書を執筆してくださっていたのでした。

そういった行き違いから、いま私の手元には控訴審に提出できなかった心理学者意見書があります。裁判所に提出できなかったのは残念ですが、著名な厳島先生に研究者として私の事件に興味を持ってもらい、意見書を執筆していただけたことは、単純に嬉しくもありました。

意見書の内容は、ADHDの記憶能力を分析・メタ分析した海外の論文を複数紹介し、記憶障害の面から本件における故意の有無を検討するというものでした。それによれば、海外の研究者の間では、ADHDの重要な特徴として記憶障害が近年注目されており、多数の研究から、ADHDは一般人よりもワーキングメモリ(短期記憶)の「中央実行系」と「音韻ループ」の機能が大幅に低いことから言語的な長期記憶注意のコントロールが大きく障害され、また展望記憶の能力も低いことが分かっているのだそうです。

展望記憶とは聞き馴染みのない用語ですが、歯医者の予約をタイミングよく思い出すなど、未来の予定や用事についての記憶です。私も判決を受けてからしばらくは精神科の診察や職業安定所の認定日の予定をど忘れし、4日ほどもも経ってからようやくすっぽかしたことに気づくような状態でしたが、これも(精神的荷重に伴う)展望記憶の失敗と言えるでしょう。

意見書はこれらの知見に基づき、本件の経緯についても、「注意のコントロール」「言語的な長期記憶」の問題によって第一投稿を長期記憶に留めることができず、「展望記憶」の問題から二つの投稿を関連づけて重大な問題が生じることの認識が形成できなかったことが示唆されると結論づけました。

こうしてみるとADHDは現在(注意)・過去(長期記憶)・未来(展望記憶)のいずれの記憶能力にも課題を抱えていることが分かりますが、今回の事件はまさに現在・過去・未来方向への意識を同時に組み合わせることが要求されていました。そもそもが高度な要求であり、ADHDであろうとなかろうと、やはり今回の経緯を事前に予見することは困難だったような気もします。

この意見書は、少なくとも私にとっては説得的でした。ここには「あなたは頭がいいのだから、幼稚なミスをするとは考えられない。わざとやったに決まっている」といった偏見とは一線を画する科学的な検討の態度があり、そのことだけでも私は少しだけ救われる思いがするのでした。

捜査段階の弁護人選任の重要性

今回、取調べから控訴審までの一連の刑事手続を経験してよく分かったのは、否認事件は起訴された時点でほぼ手遅れだということです。統計的にも、捜査段階であれば63%の確率で不起訴になる一方、起訴されてから無罪になるのは0.1%なので当然です。

本件のように前科もなく軽微な事件では、起訴するかどうかの判断は通常「自白」と「示談」の有無に大きく左右されるのが実情です。自白調書が取れなければ検察官は起訴を躊躇しますし、当事者同士の話し合いで解決した場合は多くが不起訴処分となります。どちらも弁護士のサポートが極めて重要になりますが、私の起訴前弁護人選びは、正直うまくいきませんでした。

私は最初の取調べを受けた直後、Web検索や弁護士ポータルサイトを介して何人かの弁護士に相談しましたが、どの弁護士を選べば良いかわからず、元検察官(いわゆるヤメ検)という外形的に評価可能なスペックに着目して、刑事弁護が得意だという若いS弁護士に起訴前弁護を依頼しました。

依頼後、前編のnoteで紹介したように、S弁護士は相手方と示談交渉をしてよいか警察に問い合わせましたが、相手方からの「大袈裟な処分は望んでおらず、示談は不要です」という伝言を受け取ると「こちらにできることはもうありません」と示談に向けた働きかけを早々に打ち切ってしまい、私は相手方とコンタクトできないまま、一ヶ月半後に逮捕されてしまいました(S弁護士は「まさか逮捕されるとは思っていなかった」そうです)。

S弁護士は私の釈放後も唐澤検事と交渉し、再び先方への示談を取り次いでもらう約束を取り付けましたが、それが裏目に出て、私は検事に「故意を自白しなければ示談を取り次がない」と虚偽自白を迫られてしまいました。

ところが、後日セカンドオピニオンを頼んだ別の弁護士によれば、今回のケースではそもそも警察や検察に相手方への連絡を取り次いでもらわなくてはならない理由はなかったのだそうです。たとえば一般的な痴漢事件であれば、加害者は被害者の連絡先を知りませんから、示談交渉をおこなうには警察に取り次いでもらう必要があります。しかし今回の被害者は店舗であり、連絡先は明らかでした。そのような場合、普通は弁護士が直接店舗に電話をかけて話し合いをするのだそうです。すると、S弁護士が唐澤検事に取り次ぎを依頼する必要は、そもそもなかったようです。

先方と接触できなかったことで、事実関係の把握にも問題が生じていました。取調べでは具体的な被害内容は伏せられていたので、S弁護士は「おそらく臨時休業して全店消毒したのでしょう」と推測し、それを前提に検事と多額(全財産)の贖罪寄付を交渉していました。検事との交渉は不調に終わりましたが、実際の店の被害が「いつもより念入りにテーブル等を消毒したこと」だったと分かったのは、起訴されたあとのことでした。

S弁護士からは具体的な取調べのサポートもほとんどなく、「最悪懲役もあります」と極端に悲観的な見通しを伝えられたり、「故意があったかどうかは客観的状況から決まります。あなたも無意識や潜在意識では故意があったんだと思いますよ」とまるで検察官のような説明を受けて故意を否認する自信が揺らいでいた私は「このまま否認を続けて検事を怒らせれば、示談もできず裁判になって再びバッシングを受け、勤務先にも迷惑をかけたうえに懲役になってしまうのかもしれない」と混乱し、検事の作文調書に署名をしてしまいました。

今から振り返れば、S弁護士に的確な弁護活動をしてもらえたとは言えませんでした。

刑事弁護人の探し方

たしかに私はS弁護士を自分で選任しましたが、しかし当時の私は信頼できる弁護士をどうやって選べばいいかは全く分からず、結局のところは運頼みになってしまいました。

今思えば、インターネットでヒットするのはSEOが強い事務所であって素人には能力を見分けられませんし、検察官としての職務経験が起訴前弁護の技量に寄与するとは限りません(示談交渉などは検察官にとって未知の世界でしょう)。私は弁護士探しの時点で失敗していました。平野先生も、本当に強い弁護士は検索ではなかなか出てこないといいます。

では、ある日突然刑事事件の当事者となった一般人は、どのようにして信頼できる弁護人を探せばよいのでしょうか。

私がおすすめするのは、刑事弁護リーダーズネットワークが運営する『弁護士が選ぶ刑事弁護人』というウェブサイトを使って弁護士・法律事務所を探すことです。刑事弁護業界には三大刑事弁護人と呼ばれるレジェンド級の刑事弁護人(高野隆・神山啓史・後藤貞人)が存在しますが、このサイトではその3人を含む選考委員が「本当に刑事弁護に強い」と考える弁護士・法律事務所を紹介しているため、その信頼度は折り紙付きです。

ほかには、村岡啓一「刑事弁護人はどんな人たちか」(『シリーズ刑事司法を考える(第3巻)刑事司法を担う人々』p.109)では、刑事弁護人の推薦リストを持つ地域の弁護士会や刑事事件に力を入れている都市型公設事務所、あるいは刑事弁護フォーラムに参加している弁護士に相談するなどのアプローチが紹介されています。

最終的には相互に信頼しあえることや弁護方針に納得できるかどうかが重要ですが、みなさんも、ご自身や身近な人が被疑者になった時は参考にしてみてはいかがでしょうか。

Tips: 弁護人を選ぶ間もなく逮捕されてしまった場合は、すぐに周りの警察官に「当番弁護士を呼んでください」とお願いして、あとは接見まで黙秘しておきましょう。弁護士会から派遣された当番弁護士と一度だけ無料で接見できるので、そこでアドバイスを受けてください。

最後に

そういうわけで、本件に関する全ての刑事手続きが終了しました。すでに罰金の納付も済ませています。

今回、私の社会情勢に対する配慮を欠いた不適切な投稿を発端として、第三者による通報が誘発され、多くの方々に多大なご迷惑をおかけしてしまったことについて、改めて深くお詫び致します。新型感染症の感染拡大に伴う社会の変化に適応できず、私自身もそのような社会の変化に浮き足立ち、判断を誤ってしまいました。

これからどうするかはまだ何も考えていません。とても多くのものを失いましたし、今はとにかく疲れて、何もできません(このレポートをまとめるのにも3ヶ月もかかってしまいました)。

事件をきっかけにしてWAIS-IV知能検査を受け、医療に繋がったことは自分にとってポジティブなことでした。今までぼんやり感じてきた社会と自分とのズレに輪郭が与えられ、対処可能な問題となったことは前進です。最近はストラテラを服用し、頭の中が以前よりも落ち着いているほか、長年悩んでいた概日リズム睡眠障害も改善し、毎日同じ時間に寝て起きることができるようになりました。睡眠障害は社会生活を送る上での大きな障害でしたが、ADHDの併発障害だったのかもしれません。

以前、バウムテストの結果から「年齢に見合った現実検討ができていない」と指摘されたと書きましたが、自分で解説書を調べてみると、同じ特徴は「若者や態度の若い人の特徴。楽天的。自分の潜在能力への無限の信頼。誤った自己中心性ではなく、天真爛漫で、世界を征服できると考えている。自分の望む目標に熱中する。時に注意深さに欠けるが、その楽天性は拡大してゆく」とも解釈できるそうです。たしかに、ふぁぼったーを作った時も、ヤフーのオブジェクトストレージをゼロから作り直した時も、私には図太い楽天主義がありました。反省すべきことは反省するとしても、あまり今回のことを気に病まずにやっていった方がいいのかもしれません。

正式裁判を請求したことは、無駄ではなかったと思っています。時間もお金も掛かりましたし、結局欲しかったものは手に入りませんでしたが、困難な状況でやれるだけのことをやったという事実は納得につながりますし、多くのことを学ぶことができました。どのみち人は失敗をした時、そこからできるだけ多くのことを学びとる以外にできることはないのです。

それに、こうして刑事手続の一部始終を皆さんにお伝えできたことは、それなりに有意義なことだったようにも思います。厳しい批判を受けることは分かっていましたが、私にできるのは、私がこの体験を通して見たこと、考えたことをすべて正直に書くことだけでした。

私がこの事件を通じて一端を垣間見た刑事司法の現場は、国家権力と人権が正面から衝突する戦場でした。みなさんに少しでも刑事司法に関心をもってもらえたのであれば、それだけでもこのnoteを書いてよかったと思います。

事件の経過を見守り、私が人生で最もつらい時に励まし、サポートしてくれた友人や読者の皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。

もしみなさんが人生のどこかで刑事事件の被疑者になったら、このnoteを思い出していただけたら幸いです。願わくば、その時あなたが私よりうまく立ち回り、自分の人生を取り戻せますように。

主な参考文献

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小野マトペ