「護憲派」は唯一の勝機を逃してしまった、というお話

○2015年5月9日、ブログに公開した文章の転載
○安倍政権のもとで集団的自衛権の行使をめぐってあれこれあった頃のものです
○一部、削除したところがあります

安倍晋三が、憲法を改正することなく集団的自衛権の行使を既成事実化しようとすることによって、「護憲派」は実質的に敗北してしまっただろう。
「護憲派」に唯一の勝機があったとしたら、それは「集団的自衛権の行使」に賛成する国民より反対する国民の方が圧倒的に多数派であった段階で、憲法9条に「集団的自衛権は行使しない」という1項を付け加えることだったろう。
自衛隊の存在を条文解釈によって正当化するのではなく、憲法に自衛のための軍事力を保有することを明記し、その上で自衛隊の役割を専守防衛に限定する条項(あるいは「集団的自衛権は行使しない」という条項)も付け加えることだったろう。
このことに成功していれば、憲法改正手続きを経ず、憲法解釈の変更という名目で集団的自衛権を行使するという最悪の事態だけは避けられただろう。

もっとも、自衛隊の役割を専守防衛に限定した憲法改正案(集団的自衛権の行使を禁止した憲法改正案)に対しては、「改憲派」からの反対が予想される。(「改憲派」の多くは、憲法を改正して自衛隊が海外で武力行使できるようにすべきと考えているだろうから。)
「自衛隊の役割を専守防衛に限定した憲法改正案」に反対する国会議員が3分の1以上いた場合は、改正の発議自体できないから、憲法の条文に集団的自衛権の行使を禁止する条項を追加することはできない。
その場合、集団的自衛権の行使に反対する意見の方が多いときは、民意を無視して勝手に憲法解釈を変更することを批判できるが、賛成する意見の方が多くなったときには、多数派の意見を尊重するとして、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使が既成事実化する可能性もある。
(「改憲派」の国会議員が、まずは「自衛隊の役割を専守防衛に限定した憲法改正案」に賛成し、いずれ時機をみて再び憲法改正を行い集団的自衛権を行使できるようにしようとした場合のみ、前述の憲法改正が成立しただろう。ただし、憲法9条の条文を改正すること自体に反対する「護憲派」の国会議員が3分の1以上いた場合も、改正の発議はなされなかったけれども。)

「憲法9条を改正し、憲法に基づいて集団的自衛権が行使される」状態、「憲法を無視して集団的自衛権が行使され、憲法が形骸化してしまう」状態。
2つの状態を比較した場合、後者は最悪の状態といえる。


あくまでも、「護憲派」が勝利できる可能性があったのは、「集団的自衛権の行使」に反対する国民が賛成する国民よりも圧倒的に多かった時期だけである。近年のマスメディアの世論調査やアンケートでは、集団的自衛権の行使に賛成の意見と反対の意見がともに40数%づつで、国論が真っ二つに割れている。しかも私が目にした限りでは、賛成の意見の方が数%上回っている調査が多い。
このような状況では、前述したような「集団的自衛権の行使を禁止した憲法改正案」が成立する可能性はない。
もし、「護憲派」が逆転勝利できる可能性があるとすれば、集団的自衛権を行使して海外に派遣された自衛隊員が何人も死亡する事態が生じた時、国民の多数派がやはり集団的自衛権は行使すべきではないと判断した時だろう。
ただし、自衛隊員が何人も死亡する事態が生じた時には、憲法9条の条文も改正(あるいは削除)すべきだという意見が多数派となる可能性もあるけれども。


<2024年5月3日追記>
「護憲派」と言っても色々な考えの人がいて、この文章中での「護憲派」は、集団的自衛権の行使に反対している人たちという意味で使っています。
自衛隊は不要と考えている「護憲派」はとっくの昔に敗北しているし、憲法の条文を変えさせないのが「護憲派」なら、そういう意味での「護憲派」はまだ敗北していないけれども......。

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