コーヒーの豆をぶち撒ける。
『ぶち撒ける』ということはかなりの散乱具合である。これは片付けが大変。そして「あーあ」という心持ちと自分の怒りが頭の中を占領する。何故、コーヒーの豆をぶち撒けたのだろうか。何故、テーブルに持って行くはずの豆をぶち撒けたのだろうか。真意はわからない。でもこの思考をしている瞬間も世界は回っているからこのビジー状態の私の周りを皆恒星のようにぐるぐると動く。川の中に大きな石を置いたように流れは変わるが動き続ける。そんなことだしそんなもんだ。
机に『アイスコーヒー』がある。それなのに私は『コーヒーの豆』を運んでいた。この『アイスコーヒー』の元を運んでいた。何故運んでいた。もう完成しているのに。オムライスを作って出来上がりにケチャップで落書きして完成したのにまたケチャップを持って何かをしようとしているようだ。せっかく完成したケチャップのニコちゃんマークも上塗りすればただの『赤色』と化す。何をしているのだ私は。
「鷹を飼っていますか?」
と見知らぬ人に聞かれた。この状況、コーヒーの豆をぶち撒けているこの状況下でこの質問をされた。
「何故です?」
「いや、鷹飼ってそうで」
「それは何基準ですか?」
「なんとなくです」
「ずいぶん曖昧な基準ですね」
「はぁ」
と愛想笑いをされた。
私は愛想笑いをされるやり取りをしただろうか。この状況下で答えてやったのだから感謝して欲しい。むしろありがとうございますとお供物を捧げて欲しい。ペコペコして欲しい。
なんだ、愛想笑いって。なんだよ愛想笑いって。帰ったら右腕に『愛想笑い』という入れ墨を入れよう。そうしよう。外国の方はそれを見て「エクセレント」と言ってくれるだろう。きっとそうだろう。「ジャパーン」と言いながらその日の朝は白米を食べるだろう。きっとね。知らんけど。そう知らんけどなのだ。
「お客様」と呼ばれて我にかえる。
「お客様、何故コーヒーの豆をこぼされているのですか?」
「あー。分かりません」
「コーヒーの豆は持参されたのですか?」
「あーどうでしょう」
「持ち込みは困ります」
「ですよねー」
と私も愛想笑いをした。何故したのかはわからない。けど、今日は天気が良いというのは明らかだ。
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